第3話 1-3: 聖女の反論

「……いいえ」

リーナは、絞り出すような、しかし、決して折れない声で言った。

セラの作り上げた『嫉妬深い偽聖女』という構図を、このまま受け入れるわけにはいかなかった。

彼女の言う『哀れな女』として、この場を去るわけにはいかなかった。

「殿下。そして皆様方」

リーナは、床に手をつき、ゆっくりと上体を起こした。

その瞳には、先ほどの激情ではなく、薬師としての冷静さと、聖女としての最後の誇りが宿っていた。

「私は、セラ様の力を妬んでいるのではありません」

「……ほう? では、何だと言うのだ」

ジュリアスが、面白そうに唇を歪めた。

「私は、私の力を信じています。そして、その力が、この国に必要だと知っています」

リーナは、床から完全に立ち上がり、まっすぐにジュリアスと、集まった貴族たちを見据えた。

その毅然とした態度に、嘲笑していた貴族たちも、思わず息を呑む。

「私の力は、セラ様のように、その場で怪我や病を消し去ることはできません」

リーナは、静かに、しかしはっきりと告げた。

「ですが、私の祈りは、この国の『大地』に捧げるものです! 大地を浄化し、そこに根付く植物の息吹を活性化させること。それこそが、私の務めです!」

「……大地? 植物? 馬鹿馬鹿しい!」

ジュリアスが、腹を抱えて笑い出した。

「そんな目に見えぬもので、国が守れるか! 民が腹を満たせるか!」

「守れます!」

リーナは、その嘲笑を、強い言葉で切り裂いた。

「殿下は、五年前の『灰色の病』をお忘れですか!」

「……っ」

ジュリアスの笑いが、ピタリと止まった。

『灰色の病』。

五年前、リーナが聖女として召しだされる直前に、王都を襲った謎の疫病。

肌が灰色になり、衰弱していくその病は、当時のどんな薬も、神殿の治癒術も効かなかった。

「あの病の原因が、何であったか! 忘れたとは言わせません!」

リーナの瞳が、鋭く光る。

「あれは、隣国との戦争で汚染された大地から発生した『瘴気』が原因でした! 王都の誰もが、その瘴気に蝕まれ、死の淵をさまよっていた!」

「それを、それを止めたのは……!」

「……それは、確かに」

貴族の一人が、ゴクリと喉を鳴らした。

五年前の恐怖は、彼らにとっても生々しい記憶だった。

「それを止めたのは、この私です!」

リーナは、自らの胸を叩いた。

「私が、この五年間、来る日も来る日も祈りを捧げ、王都の大地を浄化し続けたからこそ! 『灰色の病』は再発せず、皆様はこうして、この場で私の断罪劇を安穏と眺めていられるのです!」

「……!」

貴族たちが、その気迫に押され、たじろいだ。

確かに、リーナが聖女になってから、王都では大きな疫病は発生していない。

作物の不作も、ここ数年、嘘のように安定していた。

それは、当たり前のこととして、誰も気に留めていなかった『事実』だった。

「私の力が『地味』? ええ、そうでしょう!」

リーナは、自嘲気味に笑った。

「水が清浄であることも、作物が豊かに実ることも、『当たり前』のことですから。誰も、その『当たり前』を支える基盤に、感謝などしない!」

「……黙れ」

ジュリアスが、低い声で呟いた。

図星を突かれた彼の顔が、青ざめていく。

「ですが!」

リーナは構わず、言葉を続けた。

「その『当たり前』が失われた時、国はどうなりますか!」

「私の浄化が途絶え、再び大地が瘴気に汚染されたら!」

「セラ様の『まやかしの光』で、瘴気に蝕まれた大地が救えますか! 根腐れしていく作物が、蘇りますか!」

「黙れと言っている!!」

ジュリアスの怒声が、謁見の間を震わせた。

彼は、リーナが語る『真実』が、集まった貴族たちに浸透していくのを、何よりも恐れた。

リーナの功績が『事実』であったと認められてしまえば、彼女を追放する大義名分が揺らいでしまう。

そして、自分が寵愛するセラが『まやかし』であるというリーナの主張が、現実味を帯びてしまう。

「貴様は……!」

ジュリアスは、わなわなと震えながら、リーナを睨みつけた。

「貴様は、この私と、民衆が選んだ『真の聖女』セラを、同時に侮辱した!」

「その罪、許し難い!」

(……ああ、もう、何を言っても無駄なのだ)

リーナは、ジュリアスのその逆上した姿を見て、最後の希望が消え失せるのを感じた。

彼は、真実など求めていない。

彼が欲しいのは、自分にとって都合の良い『筋書き』だけ。

リーナの反論は、確かに貴族たちを一時的に動揺させた。

だが、彼らは、王太子の怒りを買ってまで、リーナの『地味な力』の重要性を認めようとはしないだろう。

彼らにとっても、『派手な光』でその場を誤魔化してくれるセラの方が、都合が良いのだから。

リーナは、それ以上何も言うのをやめ、再び口を閉ざした。

伝えるべきことは、伝えた。

あとは、彼らが、自らの愚かさで破滅の道を選ぶのを見届けるだけだ。

(……もう、私の知ったことではない)

リーナは、静かに目を伏せた。

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