一寸先は闇
世捨人@亀更新
第一話
※この作品は初投稿になります。
拙い点があるかもしれませんが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
私は茂みの側で身を隠しながら、己にだけ模様が現れないままの真っ新な首を指でなぞって小さく息を吐いた。
頭上では鴉が止まり木にいるのか、カアカアと忙しなく鳴いている。
――出来損ない。
――足手まとい。
――いっそ死んでくれたら。
幼い頃集落にいた時、浴びせられていた言葉をつい思い出してしまう。
集落の広場は賑やかしい人々の声で溢れかえっていた。
今日は、この集落から花嫁様が嫁いでくることになっているのだ。
私は己の身の程知らずな感情を諦めさせるために、城の人達の目を搔い潜り誰に伝えることもなく飛び出し、この常盤の森に赴いていたわけなのだ。
この婚礼の儀式が終われば集落の人達は
きゃらきゃらと笑う子供の声に、酒盛りをしているのか陽気な大人の声も聞こえる。
美味しそうなご飯の匂いを肺に取り込んでしまえば、きゅるると痛々しくらいに私のお腹が空腹を伝えるように鳴ってしまっていた。
朝餉を食べずに飛び出してきたことを、少し後悔してしまう。
「うう……胃の辺りが寂しい……」
気を紛らわせるように何度か胃の辺りを着物の上から撫でてみるけれど、空腹感は消えてはくれなかった。
けれど久しぶりの痛くなるほどの空腹感が懐かしく、何故だか感傷的になってしまうのだ。
かつて集落にいた頃の名を捨てさり、今は
集落の族長の娘として生まれた私は、父が浄化の力がこの集落で一等強かったことから、私も同様に強いだろうと周りから一心に期待を受けていた。
蝶よ花よとまるで宝物のように育てられ、順風満帆だった私の人生が崩れ去ったのは五歳の頃だと記憶している。
この地では、首に痣が現れることで穢れを祓う力を授かる。それが“顕現の儀式”と呼ばれていた。
そして私は浄化の力を賜るための顕現の儀式で首に模様が現れなかったのだ。模様が現れない、それすなわち穢れを浄化できないという事。
この最果ての集落で生きていくには、穢れの浄化が出来るということは当たり前にできなければいけない事だった。
「……もう私には、関係ないけど」
浄化もできない私には関わりたくても何もできないのだ。
私は視線を地面に移して小石を軽く蹴りながら来た道を戻ることにした。
少しだけ、期待していた。
久しぶりに父へ顔を見せれば、少しは懐かしんでくれるんじゃないかと。
けれど、目と目が合ったにもかかわらず嫌悪すらされずまるで他人を見るように無関心な視線を向けられてしまえば、私の心は修復不可能なぐらい粉々に砕け散ってしまったのだ。
「……わかってた。きっと集落の人達は、とうの昔に私が死んだとでも思っているのでしょうね」
はは、と口から乾いた笑みが漏れた。
浄化の力もなければ年端のいかない子供が一人で常盤の森に入って戻ってこなければ誰だってそう思う事だろう。
*
――思い出す。あれは、まだ私が五歳のときだった。
首に痣が現れなかった私は集落の人達の視線や言葉、態度に耐えきれなくなり、とうとう一人で常盤の森に逃げ出したのだ。
少しだけ、期待する気持ちはあった。浄化の力がなくたって、さすがに心配して父が探しにきてくれるはずだと。
しかし待てど暮らせど、誰も探しに来てくれることはなかった。
辺りが橙色に染まり、それから暗くなったころ、流石に怖くなった幼い私は集落に戻ろうとした。
しかし歩けば歩くほど戻り道が分からなっていく。
幼い私は父を何度も大きな声で呼んで泣き叫んだ。
しかしあっと言う間に体力の付きた私は茂みの下に蹲ってしまったのだ。
怖かった。お腹もすいていたし、体力も尽き果ててくたくただった。
ぐずぐずと泣き続けていた私の背後でがさりと音がして藁にも縋る思いで「父ちゃん!」と振り返った。
しかしそこにいたのは、真っ黒な毛の生えた四足歩行の巨大な生き物だった。
その真っ黒な生き物はあまりに大きく首を上に向けても足りないくらい、当時の幼い私にとったらそれはそれは大きな生き物だった。
唖然とした当時の幼い私は泣くのを忘れてぽかんと口を開いて放心していたことを思い出す。
そんな私に真っ黒な生き物は手を伸ばしてきて――
*
ざわざわとした騒がしい人々の声にはっと横を向いた。
そこには花嫁衣裳を纏った少女を先頭に、集落の人達がその後ろに並びついていく姿が見えた。
私はその様子をほうと見惚れる心地で見入ってしまう。
「あの子が、花嫁様なのかな」
この集落では五十年に一度、集落の中で一等強い浄化の力を持つ者が花嫁として嫁ぐ習慣があった。
だから、私は首の痣が現れるはずだった五歳の頃まで蝶よ花よと宝物のように未来の花嫁候補として育てられてきたのだ。
今はもう、過ぎた夢でしかないのだけれど。
「……いいなあ」
華奢な体格に透き通るような白肌。
なのに、対照的な漆黒の髪には、光を反射して現れた光の輪が歩くたびにてらてらと輝いていた。
守ってあげたくなるような愛らしい顔を真っ赤に染めて、汚れを知らない真っ白な花嫁衣裳を纏った花嫁様は、この世の幸せが全部集まったみたいなそんなキラキラした表情をしていた。
そんな天女のような花嫁様に、ああ勝てないなと、私は漠然と思ってしまったのだ。
けれど、これでいいのだと思う心もあった。
だって私のような人間が本当ならば手を伸ばしても届かないくらい遥か雲の上の人を、身の程知らずにも好きになってしまったのだから。
連なって歩く集落の人たちの最後尾まで見届けた私は何故だか地面に縫い付けられたみたいにしばらくその場から動けなかった。
「ツムギ」
どれくらいそうしていたのかわからない。
しかし、己の名を呼ばれて誘われるまま声のした方に目線を向けた。
そこには当時五歳の頃に常盤の森に入って迷子になった時に出会った漆黒の狼が大きな体をちんまりと小さくして座っていた。
彼の名は
そして山の都――『常世』を治める妖狼の長でもあった。
あの日彼に拾われ、私は今現在までに至って育ててもらったわけなのだ。
「エ、エンジュ……どうして、ここに?」
「……何を、見ていたのかな?」
槐の真紅の宝石のような瞳が私を非難するように一身に向けられている。
槐は私が人と関わる事が嫌みたいで、こうして言いつけを破ると怒られはしないけれど、酷く無言で責められてしまうのだ。
しかも今日に限っては、誰にも伝えずに城を一人で抜け出してしまっていたのでその分も加えてなのか冷え冷えとした槐の視線が恐ろしかった。
バツが悪くなった私はうろうろと落ち着かない心地で視線を彷徨わせて不安を紛らわせるように握り合った両手の指を意味もなく動かした。
「……婚礼の儀式を、見ていたの」
「……まるで家出をするように誰にも伝えず一人で城を抜け出してまで、こんな物が見たかったの? ふうん……ツムギは人が恋しい? いいよ、それなら私を見捨てるといい。だけどね、人の世に戻ればもう二度と会うことはできないよ。それでもいいなら……ほうら、私を捨て置いて戻るといい」
槐は狼のシュッとした細長い鼻先を集落の方に向けると、私に興味をなくしたみたいに背を向けて歩いていってしまう。
槐は身勝手な私に愛想をつかしたのかもしれない。
途端に心臓が凍りつくみたいな痛みと不安が追い立ててくる。
居ても立っても居られなくなり駆け出した私は、ふわふわと左右に揺れる槐の大きな尻尾に縋り付いていた。
「や、やだっ! ごめんなさい! 捨てないで置いていかないでっ」
槐からは何も言葉を返してもらえなかった。
伴侶を迎える槐への恋心を諦めさせるためにこうして一人で抜け出して来たというのに、このままお別れになってしまったらどうしようと、図々しく思う心もあって鼻がツンと痛み出す。
槐の大きな尻尾に顔を埋めたままぐずぐずとべそをかいていたら、ふわりと大きな尻尾が体を隠すみたいに包んでくれた。
これは幼い頃からの仲直りの合図で、つまりは槐わ許してくれたのだろう。
「全く困った子だね。ツムギが私を捨てることはあっても、逆が起こることはないのだから泣き止みなさい。ほうら、高い高いでもしてやろうか?」
槐の鼻先が慰めるように、すりすりと私の頬を撫でている。
少し湿った鼻先が触れると、ひんやりとしていてこの感触が小さい頃から嫌いでわなかった。
「子ども扱いしちゃやだ……私はもう大人だもん」
「ははは、知っているよ。知っているとも。私がお前さんの胎が成熟するのをどれだけ待ち焦がれていたか知らないだろう?」
槐は鼻先で私の下腹部辺りを優しく擦った。
「……どういう意味? たいってなに?」
「なあに知らなくていい事は沢山あるんさ。そうだろうツムギ」
「ん、うーん……難しい事はわからないけど……でも、エンジュがそう言うならそうなの、かな?」
「そうさな。……ほんにツムギは可愛い私の子だ」
槐がふわふわの顎の下でこてこてと私の頭頂部を磨いている。
「私の可愛い小鴉。私の目の付くところにどうかいておくれ」
「……エンジュったら寂しがり屋さんなの? ごめんなさい。もう、勝手なことはしない。エンジュの傍にいる」
「……魂に誓って?」
私の頭頂部を顎の下で撫でていた槐は動きを止めると、宝石のような真紅の瞳をこれでもかと私の顔に近寄らせた。
槐の瞳は私の手平ぐらいの大きさがあるので、私の視界には真紅の宝石以外映らなくなってしまった。
槐の赤い瞳はよくよく見ると微かに金色と黒色が混ざっているようで近くで見ると不思議な色彩をしていた。
思わず触れそうになって、再びどかこ私を急かすように放った槐の言葉ではっと意識が舞い戻ってきた。
「一生涯私の傍を離れないと、魂に誓えるのかい?」
「えあ……うん。……誓う、誓うわ。私は魂に誓ってエンジュの傍を離れない」
槐は真紅の宝石を細めると満足そうに笑った。
浮遊感が私を襲う。槐が私の首根っこの服を噛んで持ち上げたことによっての浮遊感だった。
槐は背に私を乗せると軽やかに走り出した。
私は慣れたもので振り落とされないように両手で抱き着いても足りない程の太さのある槐のふわふわの毛皮を纏った首に抱き着くのだ。
槐の背の上は高級な布団のようにふかふかで温くて広くて私が一番安心できる場所だ。
槐の背に頬ずりすれば胸がぽかぽかと温かくなって心地よくなる。
まるで槐と一心同体になってしまったみたいな感覚になって前後不覚に陥りそうなくらい陶酔してしまっている。
くらくらぼやぼやと何も考えられなくなっていく。
「ツムギ、身を任せて寝ておしまい」
「で、もお」
「そんなに目を蕩めかせておいてツムギはいけない子だねえ。ああ、その顔を他の者に見せてくれるなよ。私だけ、私だけの小鴉なのだからね」
「え、あ……なあに? よくわかんない……」
「よいよい、ほうら目をつむってごらん。そう、そうだ私を受け入れてくれるね?」
「う、ん……」
槐の言っている事はよくわからなかった。
けれど、私は槐の言われた通りに従うことにした。
槐が導いてくれる事に間違いなど今までなかったのだから。
槐の気配を纏った何かが私の胸の内の大事な部分を覆っていくのがわかる。
じわじわと熱が混じり変容していく。
変わる。
変わる。
変わる。
何が?
自分自身でもよくわからなかった。
けれどずっと寄り添っているみたいに槐が身近な存在になったことだけがありありと刻み付けられていく。
不思議なことにその変容は嫌なものでわなくて、唯々心地よくてずっと感じていたいくらい好ましい物だった。
次第に私の思考はどろどろと闇に溶けてなくなっていく。
しかしその刹那「つかまえた」と槐のどこか熱をもちドロドロと纏わりつくような甘さを纏ったような声が聞こえたような気がした。
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