03

 この日を境に、おれにとっての現実は、こっちの世界に移ったと思う。ナルーシャから話を聞かされていただけのときとは違う。実際に見て歩いたことで、真白神殿はもうイメージだけのものではなく、確かな存在となった。

 真白島の山中にあって、一般人は立ち入ることのない、ここ、真白神殿の奥の院には、年齢もさまざまな女性ばかり400人ほどが暮らしているのだとか。広大すぎる敷地には、壮麗な檜を多用した和洋折衷みたいなお城である本殿を始め、社務所、宝殿、洋館ふうの宿殿、周囲に倉庫や小屋、草庵などが連なっていて、ちょっとした集落になっている。

 外苑には、立派な庭園があり、さらに菜園とか鶏舎まである。あ、足湯も。温泉は宿殿の中にも引かれていて、大きな浴場が……日本式の、たっぷり湯船につかれるお風呂があったよ、ブラヴォーっ!! ……あまりに贅沢でため息がでる感じだが、ここはあくまで神殿の一部に過ぎず、参詣客が訪れる表の宮という大きな拝殿が山を下ったところにあるらしい。真白神殿と、本島とを結ぶ船便が発着する港までの間は、大きな門前町になっていて、いつも人で賑わっているんだとか。

 ……。……。

 ……やっぱ、異世界のうまい話でいいのか、これっ!!? ――と、使機獣シクロの背中に揺られながら鼻息を荒くしてしまった病み上がりの美少女巫女姫は、

「サリュウさま? お顔が赤い……お苦しかったらいうんですよ?」と、即座に丸顔のお母さんふうなアレッサに心配されてしまう。

 神官長と神殿祭司に殿舎の中を案内されていくと、先々で、遠目に小さな人集りができ、さざ波のように女性たちの声が聞こえてくる。

「――アズリーンさま? お目覚めなの?」

「サリュウさまよ。呼び名があるんですって」

「ご自分で名乗られたそうよ。思ったよりずっと幼い感じね」

「あれがサリュウさま? ……てっきり黒髪なのかと思ってたわ」

「しっ、聞こえても知らないわよ」

 若い顔。年のいった顔。羽織袴や巫女装束が直接神事に携わっているひとたちで、外働きや作業をするときには作務衣をつけていたりする。地味な胴着ふうの社人は、神殿のエッセンシャルワーカーといったところ。ここには確かに、おれという巫女姫が生まれる以前から、それぞれに役割を担って生活をしていたひとたちがいて、きちんとした秩序がある。……にしても、なぜに黒髪?

「あの……巫女姫が黒髪って、なんのこと……?」

 どうにも気になって、おれは神官長ナルーシャにきいた。

「まったく、女性の口に戸は立てられませんね」

 と、黒髪にヴェールをかぶったナルーシャは吐息とともに語った。「先代の――六十年以上も前に誕生された巫女姫さまが黒髪の方でした。現在のこの国――シグリーズ共和国ができる以前のことなのですが……あまり行状が芳しくなかったと伝えられておりましてね、……御身のことでもないのに、お気を悪くなさらぬよう」

「あ、……それはもちろん……」

 先代の巫女姫! ……ドキリとした。半世紀と少しなら、まだ記録ではなく記憶に残ってる人もいるだろう。どのような悪行を――いや、いきなりここでほじくり返しても、自分のためになるとはとても思えない。まずはもっと知識を蓄えてからだ。

「黒髪は、花冠六島かかんろくとうの西側、もともとの島民に多い髪の色ですよ、サリュウさま」

 と、アレッサが教えてくれる。「東国には、昔から大陸系の移民が多ございましてね、混血が進んだせいもあるのでしょうが、薄い髪色の人が多いと聞きますわね。……ここいらはまん中に近いので、いろいろ入り混じってて賑やかなもんですわ」

「へ、へえ、西と東……」

 そういうアレッサの髪の色も、金髪に近い茶色である。なるほど。……ここはシグリーズ共和国、花冠六島の真ん中あたり、現在地は真白島の真白神殿。新しい視界がどんどん開けていく。

 ゆっくり時間をかけて、社殿内で自由に動いていい場所の説明などを聞いているうちに、すでに夕刻が近づいていた。

「サリュウさま。……少し外の風にもあたりましょうか」と、ナルーシャ。

 中庭を抜けて、そのまま石敷の通路をたどっていった先に菜園があった。涼しくなる時間のせいか、二、三人が畑仕事をしている。……いや、せっせと立ち働いているのは、むしろ人よりも犬の使機獣だった。おれの乗り物になってくれてるシクロから、厳つい部分をそぎ落としたような、デカくてモフモフの、相当に犬らしさを残しているワンコの使機獣。荷かごを両脇にさげ、伸ばした触肢でひょいひょいと地面に落ちてくる野菜を拾ってまわっている。きれいに整えられた蔓植物用の柵の上には、さかんに動きまわっている別の生き物が何体もいた。丸い甲羅めいた体に、何本も脚をつけたような……。

「……え?」

 なにが出てきても驚かないと豪語したわりには、おれはあっさりと驚愕の声を上げた。「……く、蜘蛛クモなの、あれっ……!??」

 妙にメタリックな胴体に、左右に四つずつ並んだ丸くて赤い目、手をひろげたような八本の足がある、推定、昆虫系の生き物。ただし、大きさは子供の頭ほどもある。腹部には突き出た顎みたいな器官があり、それで器用に柵上の野菜を切り落としているのだった。

「農作業には欠かせませんわね」とふくよかなアレッサが笑う。

 シクロを使役するティティ同様、ここにいる女性たちは、使機獣を操りながら作業しているのだろう。特にひとりにつき一体というわけでもないらしく、動いている使機獣の方が人間の頭数よりずっと多い。

「使機獣というのは、どこでもふつうに使われているんですか?」

「ええ、使機獣なしの生活は不便きわまりないですからね。犬、鳥、蜘蛛、蛇……用途に応じて、種類も多ございますよ。こんどサリュウさまにもお見せしましょうね」と、アレッサ。

 どうりで優雅に暮らせるはずだ、と納得した。――これらの建物や施設、さらに広大な庭、菜園まで、ここの女手だけで行き届いた管理などできるはずがない。それを可能にしているのが、これら使機獣なのであり、おそらくこの世界では社会そのものが使機獣という労働力のうえに成り立っているのだろう。

 神官長――魔術師でもあるというナルーシャが説明を足してくれた。

「使機獣……もっと小さな虫のようなものは式ともいいますが、魔術の術式を書き込んで変成させた人界の生物を指します。素体の形状や特性を活かして一般化されてきました。……まあ、このように簡略化された術式で作られたクモなど、六岐竜ろっきりゅう八岐竜はっきりゅうのおもちゃのようなものですけどね」

 竜、また竜だ。魔術がらみの話はおれにはサッパリだが、竜は神竜世界において最重要なタームなのだろう。

「えーと、六岐竜……? 花冠六島には、竜もたくさんいるんですか?」

「ええ、もちろん」とナルーシャはほほ笑んだ。「花冠六島は、守護聖獣と呼ばれる五体の竜に護られた土地です。竜は世界中に数多とおりますが、人界の竜は、竜ではなく、竜機と呼ばれます」

「竜機?」

 そのとき、菜園のずっと向こうの木立の上方、奥の院の後背地、鬱蒼と生い茂る山林の中に最初の光がぽっと灯った。

 おれである少女の目は、薄暮の中に浮かんだ幻のような光にひきつけられた。

「……ヒカリノハイドリです、サリュウさま」

「ヒカリノハイドリ?」

 ナルーシャがこの時間、ここに来たのは、最初からこの光景をおれに見せようと思ってのことだったのだろう。

「……夕刻は不可識神域の巻き戻しの時間。ヒカリノハイドリが境界の地の補修に回ります。――人界のわれわれにとっては、見えているだけで存在しない異界の影を見ているようなものですが」


          *


 夕刻は、ここが見慣れた日本ではないと強く意識させる時間帯だった。

 暮れなずむ山の奥に、また、その最初の光が灯る。

「……あ、サリュウさまっ! いまいま! 見えました!」

 はしゃいだミアシュの声。……日本みたいな東屋で、あったかい足湯につかってても……ここは、かつておれのいた世界とは異なる理が支配する世界なのだ。

 温泉の湧き出る岩場の先は急峻な崖になっていて、その崖上には広さもわからないほどの広大な山林が続いている。たった今、光の見え始めたその地、奥の院の後背地である山々は、人界と、山界の不可識神域との境界面であるという。

 不可識神域とは、あらゆる魔力の源。竜の棲む異界の地。――真白神殿は、魔力の湧出地を祀るため、そして異界の竜の神と異界からの客人である銀鈴の巫女姫アズリーンを迎えるために建立された神社だという。

 最初の光が灯ったあたりから、白い光の筋が舞い始める。次から次へと木立ちの間を光の群れが飛び立っていき、みるみる無数の光が軌跡を描いて縦横無尽に山林を飛び回る。スペクタクルな光のショー。

 あの無数の光は、夕刻になると境界の地の補修をしてまわる、ヒカリノハイドリという小さな鳥の群体だと、ナルーシャがいっていた。通常、人の手の入らない山林が放置されていれば、どんどん木や雑草が生い茂り、人里を侵食していっている筈である。だがここは何十年、いやたぶん何百年も前から、見えているあの山は同じ光景をとどめているのだという。

 境界の地を、ヒカリノハイドリが補修して回るからだ。

 たとえば大嵐のあとの、崩れ落ちた岩、倒れた木々。そういうものの間を忙しなくヒカリノハイドリが飛び回る。すると傷が癒えるように、山々はもとの姿を取り戻していくのだ。奇跡の光景を、ここでは毎日目撃することができる。

「あれって、サリュウさまが感心するようなものだったんですね。ミアシュ、子供の頃からずっと見てたんで、もうなれっこになってて……」

 とはいえ神殿の子ミアシュにとっては、これは日常の一部。おれよりか、ずっと感動は薄い。

「本国からここに来たんだっていってたっけ。……本国って、都会なの?」

 ちなみに、シグリーズ本島は、和珠島という大きな島。この真白島は、その離島。……で、本国というときは、国名と同じ、首都シグリーズを指すのだとか。

「ハイ。本国シグリーズは、”夜明けの都”って呼ばれてて大都会です。ミアシュ、都落ちです。親に捨てられました」

「み、都落ち……?」

「父さんが、母さんより本妻の意向を優先したんです。……クソ男です! ミアシュの父さんみたいなのをそういうんだってお姉さま方が言ってました!」

「そ、そう……」

 異世界だろうとなんだろうと、おれのいる場所は人界だった。……不始末な男の話に、なにゆえこんなにも肩身の狭い思いがするのだろう。

「だけど、もうぜんぜん平気です。いまはサリュウさまのお世話係になれて、毎日すごく楽しくって……」

 笑顔のミアシュの目線が、ピタッとおれである少女の顔の上で止まった。わずかな異変も見逃さない、鋭いお世話係の顔つき。

「……サリュウさま? お顔が青いですよ? またお熱がでるんじゃないですか? もうお部屋に戻りましょう」

「あ、うん、平気。ここ、2、3日は自分でもホントに調子がよくて……」

 これは本当である。最悪の期間を脱して、ようやく身体がまともに動くようになった。神経がきちんとすみずみまでつながった、というか。やっと、おれの身体になった、というか。

「でも、そろそろリジーさん、お戻りですよぉ?」

 ミアシュのそのひとことで、かっと頭に血がのぼった。……この美少女の薄い肌ときたら、すぐに赤くなったり青くなったりするのをやめてくれっ。

「かわいいぃぃぃっ!! いやん、ミアシュ、胸キュンキュンですぅっ! サリュウさまったら、リジーさんのお帰りをすごく楽しみにお待ちなんですねっ!」

「あ……いや……そそそりゃもちろんたの楽しみ……」

「お姉さま方がいうにはですねっ! ミアシュとかサリュウさまぐらいのおとなになる前の頃って、異性より同性に惹かれたりするんですって! リジーさん、きれいですごく凜々しいですもんねっ」

「あ……はあ……」

「いいこと、教えて差し上げますっ。リジーさんはほら、あーゆー愛想のない方ですから、ほかに親密なお姉さまはいらっしゃいませんっ。サリュウさまのお気持ち、きっと届きますよっ」

「いや……そ、その……あ、あり……ありがとう……」

 小さな女の子にいじられている自分に愕然とする。おれが山と持ってるディープな知識は、圧倒的なガールズトークのまえにはまるで無力だというのかっ!?

「お姉さま方、しょっちゅう下の町で男の人に声かけられるみたいなんですけど、クソ男ばっかりなんですって。ミアシュの将来のために、見分け方とか、教えてくれます。つまらない男を相手にするぐらいなら、気の合う同性の方がずっといいって。男は危ないから」

「う……うん。さ、さすが女性ばかりだけあって、しっかり教育が行き届いてるんだね……」

 はかなげな美少女であるところのおれは、とてつもなくいたたまれない思いがした。

「あれ? そういえばお姉さま方、最近、下に行ったって話、聞かないですぅ。なんででしょう? いっつも帰ったあとは、あれこれ寸評してすごく盛り上がるんですけど。……あ、そうだ! サリュウさま、リジーさんに町の話なんかをきいてみたらいいんじゃないですか? 仲よくなる前に話題が途切れたりしたら、つらいですもんねっ!」

「あ……ありがと……」

 なんて的確なアドバイス。……意識・男のおれは、女の子のコミュ力に太刀打ちできる気がしない。これが……これが……女になるということ……? い、意外とハードル高いんじゃ……?

 おれはまたその問いをくり返す。

 帰りたいのか? 女の子のままでいいのか?

 ただ、これだけはわかっている。

 もとの世界に戻っても、男であっても、そこにリジーはいない。

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