狐の神域
三木
第1話 鳥居の向こう
授業時間に学校の外に出る。それだけで、こんなにも心が躍るのはなぜだろう。
「ふふ、脱出成功!」
さぼり、だと思われそうだが実は違う。なんと担任の指示なのだ。
秦瑞希は、ポニーテールを揺らしながら、上機嫌で自転車を漕いでいた。
*
遡ること十分前。
瑞希の学校では毎年十二月に、近隣の老人ホームや児童養護施設でクリスマスパーティーを開く活動をしている。
クラスの準備が進んでいないことを見かねた担任が「高校生として恥ずかしくない出し物を準備しろ」と一喝し、以降の授業が自習時間となったのだ。
しかし担任が教室から出て行った瞬間、クラスメイトたちは隠し持っていたトランプやお菓子を次々と机に広げ始めた。もちろん瑞希もブランケットを巻きつけながら友達の席に向かい、机に腰かけてお喋りに興じようとした。これぞ高校生らしい『健全さ』というやつだろう。
ここぞとばかりに遊び始めようとしたその瞬間、「……そうだろうと思ったぞ」ガラとドアを開け戻ってきた担任に、全員まとめてこってり絞られる羽目になった。
結局、準備を始めざるを得なくなったのだが、瑞希はじゃんけんを勝ち抜き、買出し係と言う名のサボり係を勝ち取ったのだ。
*
「ひえ、寒い!」
自転車を漕ぎながら瑞希は鼻の上までマフラーを引き上げた。制服のスカートの下に学校の指定ジャージを履いていても、それでも冬の風は切れそうなほどに冷たい。服を通り過ぎる風にピリピリと肌が痛む。
通り過ぎる人が、鮮やかな赤いジャージに目を止めるのがわかった。「在校生が悪さをしないように派手なジャージを導入している」と生徒の間で言われている噂を実感するのはこんな時だ。何も悪いことはしていませんよ、という顔を作って自転車を漕いでいるけれど、もしかして後ろめたさが顔に出てしまっているのだろうか。
そういえば、と瑞希は考える。
ホームセンターへ向かう途中に交番があったはず。このまま交番の前を通るのは気が進まなかった。もしこの赤いジャージが目を引いて止められでもしたら、せっかくの自由時間が台無しになってしまう。そうだ、少し遠回りになるけれど交番を避けた道で行こう。その方が外にいられる時間も長くなるし。
なんだかとてもいい考えな気がして、つい鼻歌なんて出てしまう。あまり通らない道だから少し自信はないけれど、どうにかなるだろう。担任公認で授業中に外に出られる優越感に浸りながら、自転車のハンドルを切った。
そうしてしばらく走っていると、冬のくすんだ街並みに、突然現れたかのように緑の竹林が目に入った。
「こんなところ、あったっけ……」
スピードを緩めながらゆっくりと通りかかる。竹林を左右に分けるように中央に長い階段があり、古びた色のない鳥居が数段ごとにいくつも並んでいる。
何も変わったことはないはずなのに、何となく街並みに無理矢理ねじ込んだような違和感があるのだ。あまり通らない道だけれど、生まれ育った町で知らない場所があるということ自体が気に入らなくて、瑞希は自転車を止めた。
「そうか、竹は冬でも緑なのか」
見上げた先に、色の褪せた緑の葉が見える。冬の寒々しさに慣れた目には、竹の白っぽい緑すら眩しくて、思わず瞬きをした。さやさやと流れるような爽やかな音は、懐かしい夏の暑さを思い出す。早く暖かくならないかな。そんなことを思いながら、興味を引かれるまま瑞希は自転車から降りて鳥居に近付いた。
触れれば崩れそうなほど風化した木の鳥居。その奥のつるりとした黒い石の階段は、ゆるやかとは言えない角度で続き、見上げても先が見えない。その先の見えなさに少し不安になって、誰か通らないかと自転車に寄りかかって待ったけれど、人も車も来る気配がなかった。
「やっぱりわかんないや。こんなところ、あったかなあ」
心細さから独り言が増える。一番手前の鳥居の周りぐるりと回って確認するも、神社の名前も何も書いていない。
友達が一緒にいれば楽しめたのに。瑞希は学校の友達を思った。
きっと「楽しそう、行こう」「えー、汗かくからやだ」と意見はわかれるはずだ。でも最後には、みんなでわいわい言いながら登ることになるだろう。もしかすると「遭難したら困るから」とか言って、飲み物とお菓子を買いにコンビニに寄ることになるかもしれない。それで結局そんなに階段も長くなくて、お賽銭だけして帰って、どこか公園で買い込んだお菓子を食べることになるんだろうな。
「……ふふ」
友達のことを考えていたら、先ほどまでの心細さが嘘のように消えていった。人間、興味のないものは目に入りにくいから、きっとこの神社だって、瑞希が気が付いていないだけでずっと前からあったのだろう。明日学校でここの話をしたら、あっさり「知らなかったの?」と言われるかもしれない。
「よし。行ってみるか」
もし友達が知っていたとしても、今度友達と来ることはもう決めた。けれどその前に、下見くらいはしておこう。最後まで登り切ってしまっては、友達と来た時の楽しみが減ってしまうから、一番上が見えたら帰ろう。そんな軽い気持ちで鳥居を潜った。
その瞬間、背後から微かな鈴の音が聞こえた。
「ん?」
振り返っても誰もいない。
鳥居の脇に、瑞希の自転車がぽつりと置かれているだけ。
「うん。気のせい。鳥居から先は神様のお家、幽霊なんていない、よし!」
少し背中がぞくりとしたが、それに気が付かないふりをして、少し声を張った。
よし、行こう。一つ大きく深呼吸をして、瑞希は先の見えない長い階段を登り始めた。
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