「上手く化けたな」
倉九の、太陽に負けない熱量の
変拍子や、あえて皆を置いて行くような前のめりな演奏が展開され、鬼気迫る演奏に智絵里も観客も息を呑む。
トリッキーだが、ファンキーでキャッチ―なメロディラインは観客に退屈の暇を与えなかった。
無我夢中に鍵盤を叩いて繋ぐ。
全てを叩きこむ事へ夢中になりすぎて、つい自分のソロパートを数小節跨いだ。
与えられていた自分の時間が終わったことにはっと気が付き、我に返る。
きりのいい所で伴奏へ戻ると、観客からは演奏に負けないくらいの大きな拍手が生まれた。
(や、やばい、やりすぎた……)
恐る恐る他のメンバーを確認した。三人は怒るどころかはにかんで演奏している。智絵里は親指を立てて満面の笑みで賞賛し、倉九はほっとして伴奏に集中した。
「上手く化けたな」と、黎木は呟いた。
全体的な音圧が更に下がり、今度は上洲のベースソロが始まる。
俯いて顔を隠し、ウッドベースをもたれかかるようにして支える彼女は、柳の下で彷徨う幽鬼のようだった。
土台はウォーキングベースのままだが、スラップで手数を増やし、少ない部分では甘い華の香りを嗅いだような、一音一音を永遠に聞いていたい衝動に駆られる、重厚な歌が展開された。
プロと大差ない実力に会場は驚くが、智絵里と倉九の方が面食らっていた。煽るのも忘れて聞き入り、ウッドベースと踊る彼女から目が離せない。
(え!? 上洲さんいつも以上に凄い!)
上洲のベースソロが終わり、次は黎木へソロパートが回って来る。ドラムソロでは音圧が下がるどころか、所々のアクセントを除いて打楽器以外の音は一切消える。
黎木は名曲に準じてナイアガラロールと呼ばれる奏法を披露した。
音符の粒が細かく繊細な手捌きに会場は歓喜する。その後スリップビートという複雑なリズムを入れて観客や三人がついてこられるか試し、独自に研究されたフィルインを駆使し、終わりまで盛り上げていく。
打楽器で歌い、ソロの流れに起承転結を作り、クライマックスの最高潮でシンバルを乱暴にがなりたてる。
そしてシンバルをすぐに手で押さえて無音にし、数泊残して時間が完全にとまった。
水を打ったように静まる数泊の無音。
観客の呼吸も瞬きも止まっていた。次の小節の頭に楽器隊全員が一斉に戻り、再びステージ上と、客の犇めく会場は息を吹き返す。
圧倒的な緩急に緊張感が振り回され、観客の興奮は最高潮に達していた。
曲の主旋律、テーマに戻るかと思いきや、まだソロパートの雰囲気が続き、観客は不思議そうにする。
ジャズでは楽器隊のソロパートが全員に回りきると、曲は最後の主旋律をなぞって終わる事がほとんどである。定石を聞きなれた者たちはすっかり終盤だと考えていた。
そこへ、どこからともなく高音のロングトーンがクレッシェンドしてきた。
観客は空や遠くの森、近くのステージかと周囲を伺う。最後にステージ袖を注目する。
主役を譲るために横へ捌けていた智絵里が、
今聞こえている高音が彼女の声だと誰しもが気付いた時、丁度コルネットのような音でソロを取り始めた。
まるでもう一人の奏者が現れたかのような展開と、さっきまで幼い声で歌っていた女の子が出している事、そしてソロとして完成されている演奏だという事態を一気に理解し、会場が今日一番の賑わいを見せる。
彼女の『演奏』はジャズの名手そのものであり、夏の熱気が冷たく感じるくらいの熱いアドリブが場を食い尽くす。
隣のステージにまで届きそうな名演を、少し離れた木陰で爪を噛み砕きながら見ている三瀬がいた。しかし全員がステージに夢中だったため、嫉妬に怒り狂った悪魔に誰も気付かなかった。
智絵里は喉に痛みを感じ、終演を司る黎木へ目配せする。
すぐにソロが終わり、最後に楽器隊が盛り上げ、演奏は終了した。会場は大きな拍手と歓声で包まれる。
WEBカメラの向こう側からも拍手が聞こえて来るかのようだった。
一人を除き、この場の全ての人間がチェリー・ジャズ・カルテットを祝福していた。
彼女は肩で息を切り、笑顔と驚嘆で喜びに溢れている会場を満面の笑みで眺めた。
「どう!? 度肝抜かれた!? このまま二曲目、行きまーす!」
♪
二曲目も大盛り上がりで終わり、慌ただしいスタッフに誘導されて四人はステージを降りた。
ルイーズも四人を拍手で出迎える。ステージ裏で智絵里はルイーズへハイタッチして、そのまま倉九へ倒れ込むように抱き着いた。
「度肝抜いてやったぜ!」
「や、やったね……!」
胸の少し下に埋まる小さな頭を撫で、倉九は自分の指が震えている事に気が付く。背中をバシっと叩かれ振り向くと、上洲が確かな手ごたえを感じている様子ではにかんでいた。
「上出来上出来。毎回アレくらいちょうだいよ。でしょ、黎木」
彼はスーツの前を開け、額の汗を拭く。ルイーズへスティックホルダーを預けた。
「はしゃいでていいのか? 敵情視察に遅れるぞ」
こすり付けていた顔を上げ、智絵里は慌てて倉九の手を握った。
「そうだ! クラちゃんも行こう!」
「えっ、え、どこに……」
二人は人ごみを描き分けて隣のステージ、グリザイユ・ジャズ・トリオの演奏を聞きに駆けていった。
上洲は二人を見送り、悪戯顔で肩をすくめる。
「ちっとは褒めてあげりゃいいのに」
「いいから手伝え。楽器運ぶの」
ぐえー、と文句を垂れて自身のウッドベースと、黎木のスネアドラムを抱える。
ルイーズと黎木はスタッフが持ってきた倉九のキーボ―ドをケースに入れ、二人がかりで持ち上げた。
ずっしりと腕に乗る質量を感じ、ルイーズは「これ、いつもあの子一人で運んでるのかい」と嘆息する。
「あぁ。どいつもこいつも、度肝抜かれるだろ?」
黎木は満足そうに言った。
♪
智恵理と倉九は隣のステージに急ぎ、グリザイユ・ジャズ・トリオの出番には間に合った。しかし二人はステージから大分後ろの方に位置していた。
ぴょんぴょんと飛び跳ねる智絵里を、倉九は子供を抱っこするように背面から抱え上げる。
「クラちゃん、これはさすがに恥ずかしいというか、十八才としての尊厳というか……」
「ご、ごめん、降りる?」
「でもよく見える!」
「お、降りないんだ……」
ステージの三人は既に配置についており、MCもなく演奏が急に始まった。
最初はベースだけで、ざわついていた会場はどうやら開演したらしいと静まる。上洲に負けない程のアドリブを披露し、次はドラムが入ってきた。
ベースに合わせた繊細なドラムで、二人でソロを回し合い、落ち着くとピアノが入って来る。
一気に盛り上げた後、目配なしで一小節完全に時間が止まる。そして全員が一斉に入り、アレンジされた名曲が始まる。
ただでさえアドリブで高まっていた会場は、その選曲に強く沸いた。
「あっ、こ、これ……!」
曲を聞いた倉九は思わず智恵理を落としそうになった。抱えられている彼女もぐっと強張る。
「……チュニジアの夜」
奇しくも智恵理たちと同じ曲を、グリザイユは用意していた。同じである分、グリザイユの根源的な技術や演出の上手さを理解し、言葉が出ない。
更に途中からベースも歌い出した。独自の英語の歌詞をつけていて、ジャズボーカリストとして申し分ない。このベーシストこそ、智絵里達と揉めた張本人だった。
一曲目が終わり、倉九の力が抜けて智絵里がすとんと地に足をつく。
「こ、これ、勝てるの……?」
倉九の質問に何も返せず、智恵理の頬を冷や汗が伝った。
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