FOURTH SESSION

10th number『Maiden Voyage』

「行ってくるね、マスター!」

 目覚ましがけたたましく鳴り、黎木はパチリと眼を開けた。

 にょきっと腕を伸ばし、黒のプラスチックで出来たデジタル時計に触れて騒音を止める。


 時計は早朝六時、日付は八月一日、ご丁寧に晴れ、とまでディスプレイに映っている。

 欠伸と背伸びを同時にしてからベッドを立つ。モノトーンで統一された部屋に色があるものは、天才から譲り受けたワインレッドのレスポールギターと、シンプルなカレンダーだけだった。


 今日の日付に丸が付き、大会、と赤い字で書かれている。

 冷房を消してカーテンを開け、暁に目を細めた。黎木は全裸で寝るため股間のイチモツを朝日に拝ませている。


 不思議と心が弾むような気分になり、清々しい様子で空を眺めた。生暖かい空気を部屋に入れ、寝起きの恋人へ触れるようにギターを指でなぞる。


 まずはトランクスを履いた。部屋を出てパンツ一丁で歯磨きをして寝癖も直し、二つあるコーヒーの銘柄に悩んで右側を入れる、その間に観葉植物に水を蒔き、玄関に刺さっている新聞を取って来る。


 リビングの窓も開けて空気を入れ、新聞読みながらコーヒーを飲み、煙草を吸った。

 一息ついたところでスマートフォンの着信が鳴る。黎木は嫌な顔で嘆息し、コーヒーを置いてスマートフォンへ手を伸ばし、通話ボタンを押した。画面にはルイーズと表示されていた。


「どうした、朝っぱらから」

『あぁ、ちょっと言っておかなきゃいけない事があってね。あんたらの命運に関わる話さ――』


          ♪


 智絵里は手を伸ばしてスマートフォンを探し、叩くように何度も触れて目覚ましを止めた。


「ぅ……ねむぅ……んぅ……」


 タオルケットに包まり、そのままごそごそと二度寝しそうになる。スヌーズ機能が働き、体を起こして今度こそ目覚ましをオフにした。

 大きな欠伸をして涙を拭く。


 父のポスターをじっと眺め、のそのそとベッド降りた。頬を両手で叩いて無理やり目を覚まし、「よし!」と声に出して身支度を始めた。


 準備が整った頃、連絡が来ていたことに気付く。ルイーズからの連絡で、すぐに返信した。


『今日の大会、見に行くからね。アーユーオーケー?』

「おーけー!」


 智絵里は返信してからスマートフォンをポケットにしまい、隠しておいた荷物を背負って階段を下りた。リビングに顔を出すと、母が遺影の前でぼうっと正面を見ていた。


「おはよう。随分早いのね」

「う、うん、ちょっと遠くに遊びに行くから……今日、少し遅くなるね!」


 何も返ってこない母に違和感を覚えたが、いってきます、と元気に挨拶して出て行った。

 母は我が子が出て行ったあと、操り人形が引っ張られるように立ち上がり、静かに後を追った。


          ♪


 智絵里は額に汗を滲ませながらアルバイト先へ到着した。既にメンバー全員が集まっていて、道路沿いにつけた店の機材車へ機材、物販、私物の荷物を積んでいる。

 全員へ元気よく挨拶してから、急いでその手伝いに参加した。


「お、おはよう智絵里ちゃん……」


 倉九は巨躯を腕で隠しながら、もじもじと姿を現す。既にライブ用の衣装を着ていた。

 長身を活かした腰上からのAライン肩出しワンピース、胸元と袖のみ色が変わり、群青と水色のツートンカラーが青天を思わせる。所々に散る茶と黄の模様がアクセントになっていた。


「うわー! めっちゃ可愛い! ってかもう着てきちゃったの?」

「に、荷物になるかなって……昨日お風呂入ったから、このまま明日も行けるし」

「いや今日も入って! 絶対汗かくよ!」


 倉九にそう言いつつ、智絵里は自分だけ泊まりではないため、少ない荷物を載せる。他の三人の旅行バッグや大きなアタッシュケースを羨ましそうに眺めた。

 上洲が自前のウッドベースを、元々乗っているアコースティックベースの横に積み込みつつ智恵理へ声をかける。


「親がうるさいなら一緒に泊まるとかすりゃ良いのに。過保護な親だねぇ」

「いや~それは……友達にアル中がいるなんて知られたくないもん」

「それ私のこと? 私はアル中じゃなくて、お酒がないとか弱い女の子になっちゃうだけ」

「同じじゃん!」


 元気にやり取りしている智恵理を、黎木は意味深に見つめていた。


「……ん? なんですか?」


 見られていることに気付き首をかしげてみるが、黎木は素知らぬふりをした。自前のスネアドラムを元々載っているカホンの横へ置き、そのまま運転席へ乗る。

 マスターは乗り込んだ彼へ近づき、空いている窓枠へ肘をかけた。


「タダで貸してあげるんだから、傷つけないでよ」


 黎木は生返事を返し、ナビをいじった。


「……ちっ、出ないな。誰か会場近くになったらナビ頼めるか。この車ぼろくてナビも古い」

「持ち主の前で言うなよ」

「はーい! 私やる!」


 智絵里は他のメンバーの荷物を載せ終え、挙手して助手席に乗り込んだ。倉九と上洲は後部座席に乗り、出発の準備が整う。


「行ってくるね、マスター!」


 窓から顔を出し、智絵里はマスターと店に向かって大きく手を振った。マスターも手を振り返し、決戦の地へ四人を送り出す。車が見えなくなるまで見送り「頑張れよ」と呟いて、感慨深げにカツラの位置を直して店へ戻った。


 誰も居なくなった店の前へ、智絵里の母がぬっと姿を現した。

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