霧崎小春の花影

椄瀬結

第一幕 祓魔師と紬師

時代は大正二十五年。

 日本はスイスに続いて第二の永世中立国として世界に宣言し、先進国として注目されている。

 世界各地で燻る大戦の火種を跳ね除け、独自に科学と文明の発展を遂げていた。

 そんな日本に住まう霧島小春きりしまこはるは晴れ渡る青空を眺めていた。

 今もなお、都市開発が進む帝都では空を眺めると、まず一面の青空を拝むことはできない。

 二十年前から帝都を中心に赤煉瓦の建物は次々取り壊され、銀色の高層ビルが立ち並び、青空の景色に横入りをしてくる。

 だが、今小春がいる山梨にはそのような建物はないに等しく、こうして壮大な青空を拝むことができているのだ。

 

「小春、どうかした?」

「良い天気だと思いまして」

「そうだね。昨日までは曇り空だったし、明日にでも観光しようか。富士山を見に行こうよ」

「ちゃんと任務を遂行してくだされば良いですよ」

「それもそうなんだけどさ、もっと楽しいこと考えようよ。せっかく山梨に来たんだから」


 そう楽しげに微笑むのは『紬師つむぎし』である小春のパートナー、『祓魔師ふつまし』の桃坂禄士郎とうさかろくしろうだ。

 この清涼な笑顔で多くの乙女を一目惚れに落としてきた猛者だ。顔が端正である。

 甘く緩やかな弧を描く薄い唇。白い肌に映える桃色の瞳は細められ、長い睫毛が散りばめられている。

 加えて首筋にあるホクロがまた魅力的だ。

 禄士郎が色男であるということは認めるが小春は一目見て恋に落ちることはなかった。

 理由は様々だが、その一つに奉公先の主人の弟ということも起因している。

 そもそも小春と禄士郎の出会いは一ヶ月前に遡る。

 

 帝都には日ノ本軍学校が設立されている。

 そこには二年後に陸軍、海軍、白夜軍に所属するため一人前の兵士を目指す候補生達が切磋琢磨、鍛え合っている。

 現在、小春は白夜軍の紬師候補生として在籍している。

 強制ではないが紬師と祓魔師の特性からそれぞれペアとなり、授業や任務に当たることが一般的な流れになっていた。

 見習生はその能力が未熟故、初回の授業までにほとんどの人がコンビを組む。

 その際に縁があったのが禄士郎だった。

 だが何の因果か奇跡か、霧崎家と桃坂家とは縁があった。

 小春の母親はかつて禄士郎の叔父にあたる桃坂八虎やとらとコンビを組んでいたのだ。

 そして軍学校に入学する前、母親の計らいで紬師として桃坂家に奉公することが決まっていたのだ。

 だから上の立場の男子に恋の『こ』の字も浮かび上がらないのだ。


「禄士郎様、犯人が動き出す夜まで時間がありますけどどうしますか?宿で休まれますか?」

「…ねえやっぱりさぁ、敬語やめない?俺たちコンビだし。それとも兄さんに俺の側仕えをしろって命令された?」

「そのような命令はされていませんけど軍学校を卒業すれば紬師として白夜軍ではなく、桃坂家に専属奉公になるので今のうちから態度で示しておいた方がよろしいかと」

「そういう割には容赦ないよね。朝は叩き起こしたり、無理やり朝ごはん食べさせたり。家にいた女中や家令はそんなことしてこなかったのに」

「禄士郎様は甘やかすともっとダメになりますから。昼夜が逆転する生活をされても任務に支障が出ますし。敬語もそういう理由だと思ってください」

「ははっ、そっか、俺を甘やかさないためか…うん、小春がパートナーで良かったよ。でも敬語はいつか無くしてくれると嬉しいな」

「検討しておきます」


 コンビを組んでから幾度となく、この申し出を出されてきた。

 だがその度に小春は断ってきた。

 両親の離婚後、小春は忙しく全国を飛び回る母親の代わりに多くの『年上』に面倒を見てもらっていた。

 ある時は二つ年上の幼馴染とその父親、またある時は母親のコンビであった八虎、そしてまたある時は何百年の時を生きている『妖』だったりと。

 故に自然と敬語を扱うようになり、今では親しい人以外への取り外しが難しいものとなってしまった。

 一度は気軽に接してみた方が良いかと考えもしたが、今後のことや今の立場、そして禄士郎が一つ年上ということも考慮し、小春は申し出を却下し続けている。


「それで宿に行かれますか?このまま調査を続けますか?」

「ああ、そうだった。今は十六時と少しか…今回の犯人はもうわかっているんだよね?だったらさっさと終わらせよう。まどろっこしいのは無しだ」

「それだと逃げられませんか?」

「それを逃さないのが俺たちの仕事だよ。それに相手は傭兵や妖じゃなく民間人だ。むしろ懸念は俺たちの方にある」

「俺たちというより、禄士郎様にありますよねそれ」

「それはすまないと思ってる。でも小春だから信頼しているんだよ」


 そう言って振り返る禄士郎の桃色の瞳は楽しそうに艶やかに輝いている。

 たまに禄士郎はこうして小春を試す節がある。

 不安からか、はたまた趣味の一環なのか、小春には知る由もないがその試す瞳を見つめ返す。

 田畑に強い風が吹き抜け、小春と禄士郎の体を撫でていく。

 いつだか軍学校の同期の女子に禄士郎とコンビになったことを羨ましいと言われたことがあったが、是非ともこの瞳を見てから言ってほしいと小春は思う。


「禄士郎様、あの」

「軍人様!」


 そんなやり取りも程々にと話題を無理やり変えようとした瞬間、今回の任務に協力してくれた村の少女、村井なつが遠くから声を張り上げた。

 目を離した一瞬で先程の禄士郎は消え、外行用の穏やな微笑みを浮かべて駆け寄ってくるなつの方を向いていた。

 小春もまたそれに倣い、なつを見る。

 例え軍学校の見習生であっても人々からすれば軍服をきた軍人なのだ。


「どうかされたかな?」

「あ、あの、どうか犯人を…お姉ちゃんを…!」


 消え入りそうな声で、そして噛み締めながら「お願いします」と言いながらなつは深く頭を下げた。

 お願いします、には様々な感情が込められているようだった。

 小春達が軍人であるからか、殺された姉の無念を晴らしてほしいや犯人を殺して欲しいなんて言葉は呑み込むしかできないのだろう。

 そんな願いをされても小春達は犯人が殺すことはないし、いちいち仇打ちを引き受けていてはキリがない。

 そもそもこれは小春の憶測でなつの真意を図ることなんてできやしないが。


「勿論。その為に俺たちはここに来たからね。さあ、もうお家にお帰り」


 なつは禄士郎にお礼を言って立ち去っていった。

 その姿を見届け、禄士郎はおもむろに息を吐く。


「文明が発達しても人間はどうしようもないね」

「それは戒めですか?」


 小春は禄士郎の隣に並び、その横顔を見上げる。

 少し驚いた顔と目が合い、逸らすことなくまた見つめ返した。

 だが禄士郎はその強い視線に降参し、目を逸らして苦笑を零す。

 意地悪だったか、と小春は反省したが謝りはしなかった。

 この後に起きる苦労を考えると謝る必要性を感じられなかったからだ。


「そうだよ、戒め。さあ、任務頑張ろうか」

「…ええ、早く終わらせましょう」


 あっさりと認め、歩き出す禄士郎に小春も続く。

 今回、二人に与えられた任務は山梨の農村地域で起きている連続女学生殺害事件の収束させることであった。

 なつの姉もまたこの事件の被害者だ。

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