第7話:ボールルームにようこそ
「先輩、顔は、自分で設定したんですか。よくそんな時間ありましたね。キャリブレーションしなかったんですか?」
玲奈は首を傾げ、直人の顔をじっと見つめる。光に照らされた彼女の瞳は好奇心に揺れていた。
「なんだそれ」
直人は眉をひそめ、少し戸惑ったように答える。
「え? アカウント作成の時、聞かれたでしょ。VRヘッドセットが、顔を測定してくれるんですよ」
玲奈は両手で自分の頬を軽く押さえ、説明する仕草を見せた。
「へえ」と直人は言った。「実はこれは旧版のデータがあって、そのコンバートなんだ」
「は!? 旧版って『Elysium』ですか? 先輩、『Elysium』やってたんですか!?」
玲奈は目を丸くし、声を少し大きくして驚きを隠さなかった。そして、唇を尖らせて直人をじっと見つめると、少し拗ねたような調子で、なじるように言葉を重ねた。
「だったらあたしがこのゲーム始めるときに言ってくださいよ」
直人は肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
「いや、昔の話だ。学生時代に辞めてから、ずっとやってない」
「ふーん。ま、いいけど」
玲奈は小さく息をつき、直人を見つめながら言った。
「なんか、ちょっと違いますね。目元とか。それに髪も短髪だし。かっこいいけど、あたしはリアルの方がいいかなあ」
彼女の声は柔らかく、どこか照れを含んでいた。
直人は思わず苦笑し、彼女の姿を見返す。
「そういうお前は、よく見たらかなり現実に似てるな」
玲奈は首をかしげ、問い返す。
「それって、どういう意味ですか?」
直人は視線を逸らさず、静かに答えた。
「いや……見慣れてて安心すると思って」
その言葉に、玲奈の瞳がわずかに潤み、微笑みが浮かんだ。
「その服はどうしたんですか? すっごく高そうだけど」
玲奈は話題を変えるように、直人のスーツを指先で示した。
「ああ、これはカレンに買ってもらったんだ。実はめちゃくちゃ高かった。なんで、後でお金をカレンに返してくれ」
「えっ!?」
玲奈は目を丸くし、思わず声を上げた。
「だってしょうがないだろ? イベントは正装が必要で、俺はお金を持ってなかったんだから」
「いや、あたしもちゃんと持ってきてますよ、先輩用の服」
玲奈は唇を尖らせ、少し不満げに言う。
「まあまあ」とカレンが言った。「これは私が好きで出しただけですから、お金のことは心配しないでください」
カレンは二人の間に柔らかな笑みを差し込み、場を和ませる。
「いや、だが……」
直人はまだ気にしている様子で、眉を寄せる。
「本当に、気にしないでください。それより、あと5分でエントリーが締め切られますよ。いいのですか」
カレンの声は少し急かすように響いた。
その瞬間、玲奈は慌てて手首の時計を覗き込み、目を丸くした。
「あ、しまった! もう55分だ。エントリーしなきゃ! あ、カレンは?」
「私は、今日はエントリーする気はなかったので、気にしないでください。イベントを楽しんで」
「うん、わかった。ありがとう」
玲奈はすぐに軽く直人の腕を引いた。
「先輩、急ぎましょう」
「ああ、わかった」
直人は頷き、二人は並んで受付へと歩みを進めた。
受付前の光が強まり、イベントの始まりを告げるように周囲がざわめき始める。直人と玲奈の足取りは自然に揃い、互いの存在を確かめ合うように進んでいった。
受付前にはすでに数人の参加者が列を作っており、淡い光のパネルが順番を示すように点滅している。周囲のざわめきは次第に高まり、イベント開始を前にした緊張と期待が空気を満たしていた。
「こちらでエントリーをお願いします」
受付係の女性が微笑みながら声をかける。彼女の前には透明な端末が浮かび、参加者の名前が次々と表示されていた。
直人は少し戸惑いながらも、指示された通りに右手を端末にかざした。すると、淡い光が彼の手を包み込み、名前が瞬時に読み取られる。
「べディヴィア様、確認しました。エントリー完了です」
端末に「ENTRY SUCCESS」の文字が浮かび上がり、直人の胸元に小さな光のタグが付与された。
続いて玲奈が一歩前に出る。彼女は慣れた様子で左手を端末にかざし、光が走る。
「レイカ・エリシア様、確認しました。エントリー完了です」
玲奈の胸元にも同じタグが灯り、淡い輝きがドレスの布地に反射して揺れた。
二人が受付を離れようとした時、玲奈がふと直人を見て首をかしげた。
「あれ? 先輩の名前、べディアンじゃなかったでしたっけ」
直人は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らしながら誤魔化すように言った。
「……ああ、ちょっと前に変えたんだ。細かいことは気にするな」
玲奈は納得したような、まだ疑問を残すような表情で頷いた。だがそれ以上は追及せず、胸元のタグを指先で確かめながら歩みを進めた。
受付前の光が強まり、イベントの始まりを告げるように周囲がざわめき始める。直人と玲奈の足取りは自然に揃い、互いの存在を確かめ合うように進んでいった。
二人は並んで受付のゲートへと進んだ。
青白い光が淡く揺れ、まるで水面を通り抜けるように身体を包み込む。光を抜けた瞬間、視界が開け、そこは体育館のように広々とした空間だった。天井は高く、無数のシャンデリアが淡い輝きを放ち、床は鏡のように磨かれた木目が広がっている。周囲にはすでに何組かの参加者が立ち並び、ざわめきが波のように広がっていた。
直人は思わず足を止め、玲奈に問いかけた。
「ここはどこだ。ところで何をするんだ?」
玲奈はドレスの裾を軽く揺らし、楽しそうに笑みを浮かべて答える。
「これからダンスですよ。社交ダンスです」
「ダンス……?」
直人は目を瞬かせ、困惑を隠せない。
「俺、そんなのやったことないぞ」
玲奈は一歩近づき、声に弾みを乗せて安心させるように言った。
「大丈夫です。あたし、経験者ですから。先輩は私に合わせてくれればいいんです」
直人はまだ不安げに眉を寄せていたが、玲奈の楽しげな声と瞳に宿る確かな自信に、少しずつ肩の力が抜けていく。
そして玲奈は、まるで舞台の幕を開けるように、明るく弾む声で告げた。
「先輩!──ボールルームにようこそ!」
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