第三十五話 馬車の旅路


 そして、あっという間にその日はやってきた。


 随分久しぶりに踏みしめる気がする正面玄関の扉を開いて外に出ると、館の前に、大きな馬車が横付けにされている。


 馬車を引いているのは、なんだかよくわからない、ラクダのような馬のような鹿のような奇妙な生き物。こないだのムタ、とはまた違う生き物だ。


 毛深くて、背が曲がっていて、角がある。色は明るい茶色。顔つきはどっちかというと細長くて馬に似ている。


 まあよくわからん生き物である、生成AIで適当にうまっぽい生き物を描かせたらこんな感じになるかもしれない。まあ、今更の事である。


 一方、馬車の方はわりかししっかりとしたものだった。車輪が四つあり、みたところサスペンションもちゃんとある。品よくシックにまとめられた外装は、一目で権力者かお金持ちが乗る者だと判別できるだろう。大きさはキャンピングカーぐらいか? 結構大きい。


「これに乗っていくのかい?」


「はい、旦那様。乗り心地の方は保証いたしますわ」


 旅行鞄を手にしたメアリが、心なしか自信満々な声音で答える。考えてみれば、これは彼女にとっても名誉挽回の良い機会か。気がせいているような、不安さを感じないのは流石という所だろう。


 ちなみに私は手ぶらである。侍女に荷物を全部持たせて一人だけさっさと馬車に乗れるというのは、なんだか自分が偉い人になったような気持ちになる。


 メアリは荷物を馬車の後ろにしまい込むと、いそいそと御者台に昇って行った。どうやら、彼女自身が馬車を繰るらしい。馬? の手綱を引くメイドというのはちょっとおかしな光景だが、こちら側では珍しいのかそうでないのか。


「それじゃあ、言ってくるよ宮子ちゃん」


「はい、旦那様。どうぞ、お気をつけていってらっしゃいませ」


 ぺこり、と頭を下げる宮子ちゃんは、すました顔で落ち着いている。最初、お留守番の話を持ち出した時は流石に動揺を隠せていなかったが、それでも想像よりも大分落ち着いた対応だった。雫ちゃんのいう通り、結果に対するけじめとしての処置として、連れて行かない、という結論を伝えた事が、彼女の中では納得いくものではあったのだろう。


 一方で、同行する事になった雫ちゃんはいつになくご機嫌である。表面上は取り繕った顔をしているが、明らかに雰囲気が明るいし、語尾のイントネーションがいつもと違う。周りに誰も居なければ鼻歌でも歌い出しそうである。


 私と一緒におでかけがそんなに楽しいものだろうか? まあでも、ずっとこの館に籠ってばかりだったり、たまの外出となればそれは気分も上がるか。


「ささ、旦那様。忘れ物はありませんね?」


「特段持っていく物もないからね、私は。大丈夫大丈夫、ハンカチだってちゃんと持ったよ」


 言外に急かしてくる雫ちゃんに苦笑しつつ、私は馬車に向かった。メアリがそっと扉を開いてくれるので、中に乗り込む。


「ほほう……」


 馬車の内部はなかなかお洒落な空間が広がっていた。実際に乗った事はないのだが、高級ベンツの車内のような。座席は皮張りのソファで、床には毛足の長い絨毯が敷き詰められており、空間の真ん中には黒い漆塗りの机がある。窓も大きくて車内は明るく、それでいて視線を遮れるようにカーテンまで備わっていると、至れり尽くせりだ。


 おずおずと私が椅子に座ると、雫ちゃんも馬車に乗り込んでくる。彼女が扉を閉じてしばらくたつと、ゆっくりと音もなく、馬車が動き始めた。


 振動もほとんどない。現代車ばりのサスペンションが効いているようだ。


「ここから数日、旦那様のお世話をさせていただきますわ。どうぞ、よしなに」


「あ、ああ。ありがとう、雫ちゃん」


 ゆっくりと方向転換する馬車の窓から、館の玄関と、そこで頭を下げたままこちらを見送る宮子ちゃんの顔が見えた。


 馬車が遠ざかり見えなくなるまでずっと、彼女は頭を下げていて……緩いカーブを曲がった事で、その姿は塀の向こうに消えていった。


「……ううん、宮子ちゃん、心配だなあ……」


「大丈夫ですよ、ご存知かと思いますが、彼女あれで結構逞しいので」


「ああ、うん。それはよく知ってる……」


 乱暴者の鷹にハイキックした姿を思い返して納得する。


 いっそ、気を遣う相手である私もメアリも居ないので羽を伸ばしているかもしれないな。それぐらいに考えておこう。


「まあ、こっちはこっち、あっちはあっちか。それにしても、馬車ってもっと揺れるもんだと思っていたんだけど、これは静かなもんだね」


 窓から外の風景を眺めると、いつの間にか鬱蒼とした森を抜けて、草の生い茂る平原へと馬車は出ていた。……いや、なんかおかしいぞ。窓から来た道を振り返っても、館を取り囲む森のようなものが見えない。いくらなんでもちょっと不条理だ。


「?」


 あれ、と首を傾げて雫ちゃんと目を見合わせる。お互いに小首をかしげてから再び窓の外に視線を戻すと、そこにはこんどは大海原が広がっていた。馬車は海沿いの岸辺の上を、ごとごとゆっくり走っている。


 ここ、どこ?


「…………い、いい風景だね! 絶景かな!」


「…………そ、そうですね!!」


 多分気にしない方がいい案件だと互いに判断して頷き合う。


 な、なんだろう。宮子ちゃんを連れてこなくてよかったというか、お出かけする方が罰ゲームじゃない?


 いくら夢だからって理不尽すぎるだろ、頭おかしくなるよこれ!?


「は、ははは、良い天気だけど、ちょっと日差しが強いかな? カーテンしめておこう」


「そうしましょうそれがいいですわはい閉めます!」


 カーテンをじゃらじゃらと二人で閉じて、摩訶不思議な外の景色は遮断された。柔らかな日光の名残だけがカーテン越しに車内に降り注ぎ、私達二人はほっと息を吐いた。


「とりあえず、景色が見えなくても車内は快適だよね」


「うふふふ、そ、そうですね。あ、そうだ、何か飲み物でも頂きますか?」


「お、いいね。何か貰おうかな」


 二人して外の景色の事は忘れようと、不自然に明るく振舞う。正直ちょっとほっとしたよ、あの様子を見て雫ちゃんもけろっとした顔で「今日も良い天気ですね。ころころ景色が入れ替わって賑やかな事です」とか言い出したら馬車の居心地が最悪な事になっていた。


 おかしい事をおかしいと共有できるのって素敵な事だね!


「……?」


 そこまで考えて、私はふとした違和感に首を傾げた。


 なんだろう、何か見落としているような……。しかし、その考えは雫ちゃんが部屋の片隅からボトルを持ち出した事で霧散してしまい、結局私は自分が何にひっかかったのか知る事はなかった。


「はい、旦那様。冷やした炭酸水です、すっきりしますよ」


「ありがとう。ん、よく冷えてるね。どういう仕組み何だろう」


 透明なグラスに注がれた炭酸水の冷たさが指先から伝わってくる。まさか冷蔵庫がある訳でもあるまいし、どういう仕組みなんだろう?


「ええと、この箱が保冷庫だそうなのですが、なんでもおがくず氷で保冷しているのだそうです。普通の氷より何倍も長持ちするとか」


「へえ」


 彼女の説明に、グラスを持ったまま箱を覗き込んでみる。クッション材になっているコルクと布の向こうに、確かに何か冷たいものが感じられた。


 おがくず氷、聞いた事はある。


 日本の氷室なんかでも、氷の保存におがくずが使われているという話だ。氷の上におがくずをまぶす事で、おがくずが断熱材になると同時に、表面積を疑似的に大きく増やす事で溶けて出来た水が蒸発する際の気化熱で冷却するため、ただおいておくよりもずっと氷が長持ちするという話だ。


 ただこれは氷を保存するやり方で、ものを冷やすやり方としてはどうなんだろう。箱の小ささを見ると、もしかしてこれは別の意味のおがくず氷……パイクリートか? おがくずを混ぜて氷を作る事で、不壊性と不融性が増す、と聞いた事はあるがあまり一般的なものでもない。


 そもそも、その氷をどうやって作ったんだ?


 まあ、考えても仕方がないか、どうせ夢だ。不可解にならない程度に整合性が取れていればそれでいいか。


「ふーん、面白いね」


 私は深く考えずにとりあえず冷たさを堪能してから手を引いた。


 席に戻り、ぐい、とグラスを傾けて冷たい炭酸水を煽る。


 しゅわしゅわとしたきめ細かい泡立ちの水には、微かに柑橘の酸味がする。レモンかライムかを絞っているのだろう、おかげでただの水よりも喉越しがよい。しゅわっと喉を洗い流せば、先ほど流した嫌な汗の不快感はどこかへいってしまった気がした。


「ん、美味しい」


「ふふふ。どうしょうか、旦那様。もういっぱい、いかが?」


「いいね、よろしく」


 空になったグラスを手渡すと、雫ちゃんはそれを机に置いてとぷとぷと炭酸水を満たす。細かい泡が立つそれを、彼女は私に差し出してくる。


「旦那様、どうぞ……きゃっ」


 しかし、タイミングが悪いというか。ちょうどその時、これまで全く揺れる事のなかった馬車が軽く跳ねた。車輪が大きな石でも踏んでしまったのだろうか、衝撃にバランスを崩した雫ちゃんが私の方に倒れ込んできて、咄嗟に受け止めに行く。


 バシャリ。


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