第29話

「お願いしますよ、ネギ高の生徒会長さん。ちょっとでいいですから」

「何度言えばわかるんですか? ダメに決まっています」

「警察を呼ぶわよ!」

 予想していたとおり、制服姿の生徒会長と菅原部長が例の男子と押し問答をしていた。

 二人の身長が高いせいもあって、男子の顔はよくわからない。ひなたちゃんを守るためだ、割って入ろう。

 覚悟を決め、ネクタイを軽く締めた。

「二人とも、下がってもらっていいですか」

「葛西君……」

 目の前の二人に近づいて声をかけると、海が割れるかのようにして左右に分かれた。

 今まで見えなかった男の見た目が、はっきりと目に入る。

 使いすぎたワックスで固められた髪にスラックスからはみ出たシャツ、だらしなく結ばれたネクタイ。本当にカイと同じ杜英の生徒なのだろうか。

 僕が疑問を挟んでいると、男が僕の方に気づいた。

「なんだ、テメエ! 校章のねぇブレザーは、ひょっとしてネギ高の生徒か?」

 スラックスのポケットに手を突っ込みながら、男が近寄る。

 鋭い目つきは、まるで獲物を捕らえた肉食獣のようだ。

「そうですが……」

 震えながらも答える僕。

「俺は甲子園で二年連続優勝した杜英に通ってるんだよ。お前らなんてどうせ甲子園で二回戦か三回戦で負けてんだろ? あん?」

 僕がネギ高の生徒と知るや否や、脅しをかけてきた。事実を突きつけられているせいもあって、立ちすくんで動けない。

 目を閉じて、ひたすら耐える。

 この男が臼井と同一人物なら、カイから教わったとおりに動くはずだ。

 息を殺し、相手に一歩、また一歩近づく。

「きっ、君はもしかして……、杜英の臼井? 気仙沼から来たって聞いたけど……」

 まずはカイから教わった個人情報で先制攻撃を仕掛ける。これで相手はひるむはずだ。頼む、動いてくれ!

「……なんで俺のことを知ってんだ?」

 ガンを飛ばしていた男は、後ずさりしながらキョロキョロと周りを見渡している。よし、効いたな。次はカイから聞いた友達のことを話そう。

「そんなことはどうでもいいよ。君には同じ故郷の友達がいるんだって?」

「ああ、いるさ。二人とも彼女持ちだけど、それがテメエと関係あんのかよ」

 強がってはいるものの、臼井の口調は明らかに焦りの色がにじんでいた。その証拠に、ワックスで固められた髪が少しずつ乱れている。

「彼女ができたからといって焦る気持ちはわかるけれど、わざわざこんなところに忍び込むのはどうかと思うよ。それに……」

「まだ何かあるのかよ」

 取り乱しているとはいえ、臼井はまだまだ余裕を見せている。

 あいにく、こちらには相手を揺さぶるとっておきの情報がある。下手に出ないでくれよ。

「今月の頭に授業をサボってゲン高の定期戦に忍び込んだそうだね。向こうの応援団長に追い返されて、みっともないよ」

 激しく脈が打つ中、事実をありのままに臼井に伝える。

 図星だったのか、臼井はぎくりと身をこわばらせた。

「ふざけんなよ! テメエ、俺を脅かしてんのか?」

「脅してなんかないさ。知っているから聞いたまでだよ」

 僕がニヤリと笑うと臼井は口を開いたまま立ちつくしている。ひなたちゃんには僕の顔を見せられないな。

「葛西君、大丈夫かな……」

「ミコ、心配しないで」

 菅原先輩たちが心配そうな表情を浮かべている。ここで引き下がるわけにはいかない。

「それにうちの父さん、君の故郷に単身赴任してるんだよね。父さんに君の話を聞いてみようかな」

 我ながら冷静な口で脅しをかける。僕はどうなろうが構わない。

 帰ってくれ、と心の中でひたすら祈る。

「……」

 見事に届いたのか、臼井の顔が歪む。

 唇を噛みしめながら「覚えてやがれ!」と捨て台詞を吐いて、臼井はその場を去った。

 振り返らずに走り去る様子は、まるで漫画やアニメのワンシーンを見ているかのようだ。

「ふう……」

 臼井が去っていくのを見守ると、急に肩の力が抜けていく。

 腕力で劣る僕が、知恵と勇気を出してひなたちゃんを守った。男の情報を教えてくれたカイだけでなく、自分のことを褒めてあげたい。

「葛西君……あなたって、何者……?」

「かっこいい……」

 静まりかえる駐車場の中で熱い視線が突き刺さる。その先に菅原部長と……生徒会長? 頬がやけに赤い。

 いや、菅原部長たちだけではない。知らないうちにチア部員たちが作る輪の中に僕は立ちつくしていた。

 もしかして、僕と臼井のやりとりを見ていたのだろうか。

「優人君!」

 輪の中から夏の太陽のような声が響きわたる。バスに乗り込んだはずのひなたちゃんだ。

「バスに乗り込んだはずじゃないのか?」

 心配そうな声色で問いかけると、ひなたちゃんは力強く首を横に振る。

「後輩の子が優人君のことを心配してね、それで一緒になって駆けつけたんだ」

「留守番は?」

「林先生に頼んだよ」

 確かに、輪の中には林先生の姿はなかった。バスに戻ったら、今のことを正直に話そう。

「優人君、私を……いや、みんなを守ってくれたんだね」

 ひなたちゃんが目の前に近づく。シャワーを浴びたせいか、シトラスの香りが普段よりも強く香る。

「僕が?」

 力強くうなずくひなたちゃん。その大きくてかわいらしい瞳は夏の太陽のような輝きを見せている。

「男の人に立ち向かっている優人君の姿、誰よりもかっこよかったよ! サッカー部の男の子なんて目じゃないよ! ねっ、みんな!」

 周りの女子も同調するようにうなずく。今日の主役はサッカー部のレギュラーなのに、僕が主役になるなんて。

 その次の瞬間だった。

「優人君、ありがとう! 大好き~!」

 ドン! とひなたちゃんが僕の胸に飛び込んできた。その勢いはこの前の鹿島さん、いや、それ以上だった。

 ひなたちゃんの柔らかい体と汗、そして甘い匂いが僕を包み込む。

 チア推しの姉さんたちから逃れ続けた僕がチアに救われるとは思わなかった。

 ああ、できるならばこの幸せに浸り続けていたい……。

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