第2話
「その本、面白かったよ! 映画も見たけど、原作とは別物だったよ」
本のことで秋山さんが興奮気味に話す。好きなものを好きと言えるのがうらやましい。
太陽のようなまぶしい笑顔を見ていると、僕もつい笑顔になってしまう。
「葛西君って、映画もよく見るの?」
「ううん、あまり見ないよ。この本も文芸部の部長から薦められて読んだだけさ。秋山さんは?」
「どっちも! 私の友達に映画と読書が趣味の子がいるんだ」
「本当かな?」
秋山さんが笑顔を見せながら力強くうなずく。
「その子も葛西君が今持ってる本を読んで、『すごく良かったよ』って話してたよ。良かったら今度、紹介しようか?」
「もちろん」
笑顔で答える僕。
「やった!」
秋山さんが笑顔を浮かべる。
チアリーダーをやっているのに本や映画に詳しくて、しかもこんなに気さくに話してくれる。意外な一面ばかりで、面白い子だ。
「ところで、秋山さんって本をよく読むの?」
「うん。最近では友情や絆を描いた話が好き、かな」
「そういう話って、実際に取材している人が書くと深みが出るよね」
「それだね!」
また笑顔を浮かべる秋山さん。
まるで他人事のように話しているけれども、本当だ。先輩たちから「葛西君の文章は深みがない」と何度も文句を言われたことか。
「ところで、文芸部の人って小説とか書いたりする?」
一瞬だけドキッとした。部長に言われるがままに書いているけれども、納得するようなものは書けていない。
「……まあね」と笑ってごまかす。
この話をしたら、秋山さんの顔を曇らせそうだ。話を変えよう。
「仲間と支え合うような話なら、僕も持ってるよ」
「本当?」
「例えば、就活生の話なんかどうかな。まだ先の話だけど……」
知っている本の話を始めると、秋山さんが腕を組みながら考える。
「それじゃあ、同じ作者の大学生の小説も持っている?」
秋山さんの問いかけに対して、無言でうなずく僕。
ちなみに、持っているのは小学校の頃に母さんが買ってくれた漫画版だ。
「その本、貸して……」
「貸してほしいな」という秋山さんの言葉を遮るように、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
席替えの余韻でざわついていた教室が、一瞬で静まりかえる。
「もうこんな時間だ」
「話が弾みすぎちゃったね」
慌てて秋山さんが自分の席へと戻ると、林先生が教壇に立った。
「今日は連絡事項もないので、これで終わり! 明日も授業があるので、ちゃんと登校してね」
林先生が教室から去ると、教室がまた騒がしくなる。掃除当番も動き出していることだ、部室へ向かおう。
果たして、秋山さんはどうするのだろうか。
「これから部活?」
立ち上がって、秋山さんの顔を見ながら問いかける。
「今日はお休みだよ。これから友達と一緒に帰るんだ」
ほほ笑みを浮かべながら、秋山さんはカバンにノートとタブレットをしまう。
「またあしたね、葛西君!」
笑顔を浮かべながら手を振ると、秋山さんは教室を後にした。
知らないうちに心が軽やかになっている自分に気づく。
秋山さんと話していると、あっという間に時間が過ぎていった。こんなに心地よい一日の終わりは、いつ以来だろうか。
「さてと……」
カバンを手に取り、机の中にある荷物を押し込む。
文庫本を手に取った瞬間、今日のことを思い出した。
明るい笑顔、気さくな話し方、そして……チアリーディング部。
胸の奥で、封印したはずの記憶が蘇る。
野球をあきらめた中一の春、母さんや姉さんは毎日僕にチアをやるように薦めた。
『今からでも遅くないから、チアをやってみない?』
それからしばらくの間、事あるごとに同じ話を持ち出された。
『チアなら運動神経がなくても大丈夫よ。奈美もそうだったから』
『男子がチアをやるのもかっこいいわよ。あの漫画を読んだなら、わかるでしょ』
毎日続く勧誘に、正直うんざりしていた。
幼稚園の頃、父さんと一緒になって見たプロ野球の試合が忘れられない。
バッターボックスへ向かう選手に憧れて握ったバットの感触や、グラウンドの土の匂いを感じる。
満員のスタンドから声援を浴び、物語の主役になるのが夢だった。
しかし、現実は厳しい。
友達に誘われて入った少年野球のチームでは、ずっと補欠だった。
父さんは仕事で忙しく、休日にキャッチボールをしたいとおねだりしても相手にしてくれなかった。
チアのコーチをしていた母さんも野球には無関心で、練習に付き合ってくれることはない。
そんな環境で練習する機会に恵まれるはずもなかった。
試合に出られないと知るたびに、母さんはいつも「待ってました」とばかりに笑顔を浮かべる。
『やっぱり、別の道がいいんじゃないかしら』
母さんが口にしている「別の道」、それはチアだ。
僕に似て内向的だった姉さんは、チアを始めてから別人のように明るくなった。
主役から脇役になりたくない。だから、僕はチアから目を背けた。
そして四年前の春、先生に相談して一冊の本を勧められるがままに読み、文芸部に入った。
今はすっかり文芸青年となったが、後悔はしていない。
秋山さんの輝くような笑顔を見ていると、氷のような気持ちが少しずつ溶けていくような気がする。
もしかして、母さんたちが勧めてきたあの世界と向き合うときが来たのだろうか。
「……部活に行かないと」
自分に言い聞かせながら後片付けを済ませ、西校舎へと足を進めた。
普段なら気が重い部長との時間だが、今日は違う。秋山さんのことを考えると、胸の奥で何かざわめく。
文芸部の女子部員たちにも、今日のこと話してみようかな。仮に話したとしても、からかわれそうだ。
今日のことは、家に帰ってからゆっくり姉さんたちに話そう。
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