初めての昇殿

 貞観4(862)年


 道真みちざね文章生もんじょうせいに合格した。文章生とは国立大学の文章科の学生のことで、定員は二十名、その試験に合格する者はほとんどが二十歳を越えていた。そこを、道真は十八歳で合格する。史上最年少の快挙だった。



 当然、菅家廊下かんけろうかを構える菅原家としてはその快挙に沸き立った。道真は前評判通りの才を見せつけ、華々しい大学デビューを飾ったのだ。今後道真としてはまず、定員二名という狭き門である文章得業生に合格し、最終的には方略式ほうりゃくしきを受けて官僚になることを目指すことになる。だがその道は険しく、奈良時代からの200年の間に65人しか合格者を出していない。道真の前に広がる道はまだまだ厳しかった。



 9月9日、重陽の宴ちょうようのうたげに招かれた文章博士の是善これよしは、見事な大学デビューを飾った道真を連れて参内した。宴は宮中で催され、貴族も多数参加する。その内容は菊の花を鑑賞しながら酒を飲み、詩歌を詠むというもので、道真のお披露目をするにはもってこいの場だった。


 大学は羅城門から続く朱雀大路を北に北上し、平安宮へ入る南端の朱雀門をくぐってすぐの所にある。朱雀門の南には藤原氏の勧学院かんがくいんをはじめ、橘氏の学館院がっかんいん、和気氏の弘文院こうぶんいんなど、名だたる予備校が軒を連ねていた。新進気鋭である菅原氏の菅家廊下はそれらから南東に少し離れた所に位置していたが、そこから道真が最年少で大学に合格したことは貴族たちの話題にも登っていた。



 父に連れられ、道真は生まれて初めての昇殿に心が沸き立った。朱雀門をくぐり、朝堂院の横を通って建礼門をくぐり、さらに武徳門から内裏に入る。宮殿の前には踊り子の舞台が設置されていて、綺羅びやかな舞姫たちが蝶のように美しく舞い、まだ十三歳と若い帝の目を釘付けにしていた。時の帝は清和せいわ天皇、夭折した文徳もんとく天皇の後を継いで即位したばかりだった。



 帝の横には後宮の姫たちが、赤や紫や黄といった色とりどりの着物を纏い、豪華絢爛に宮殿に彩りを添えている。帝の後方には摂政である藤原良房よしふさが、深い紫の束帯姿で目を細め、その落ちそうなたっぷりとした頬を緩めていた。道真から帝まではかなりの人垣があり、すぐ前では群臣たちが、思い思いの詩作に興じていた。その人垣から一人の美男子が道真の側に寄って来る。


「どれ、この勧学院の落ちこぼれが、菅家廊下の天才を値踏みしてやろう」


 男は淡い緋色の衣を粋に着こなし、小麦色に日焼けした肌にはほんのりと朱が差していた。


「これ、業平なりひら殿、酔った勢いで絡むんじゃないよ」


 男の後からは身の丈六尺はあろう大男が追いかけてくる。そして道真の隣りに是善を認め、頭を下げると同時に前にいる業平と呼んだ男の頭に手を添えて下げさせた。


「これはこれは、業平殿に夏井なつい殿、揃ってなかなか良い酒をお飲みで」


 是善も慇懃に頭を下げる。その父の呼ぶ、自分の目の前に出て来た男たちの名前には道真も覚えがあった。美男子が在原業平ありわらのなりひら、宮廷では随一の色男として浮名を流しており、大男の方が紀夏井きのなつい、文官の割には腕っぷしが強いと評判だった。業平は勧学院、夏井が弘文院といった大学予備校を出て官職に就いており、同じく予備校に通って官職を目指す中級貴族として、道真もその名を頭に止めていたのである。



 ちなみに位が三位以上が上級貴族、四位と五位が中級貴族、六位以下(実質貴族の位は六位までなのだが)が下級貴族で、上級貴族のほとんどは方略式という難易度の高い試験を受けなくとも官僚になれるよう法整備がされていた。



「いや、是善殿も息災でなにより。今日はご子息の腕を見させてもらいますぞ。おーい!ここなる神童が次に謳われますぞー!」



 いきなり群集に向け業平が声を上げ、道真は面食らった。業平の横では夏井が、言わんこっちゃないとばかりに、酔った業平の振る舞いに頭を抱えていた。




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今話の扉絵です。よかったら見て下さい。


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