楽園の淵、笑う天使さまへ

くずきり

普章 灰の春

日常と怠慢

 いつもの秘密基地、あぶれ者の僕らの居場所。

 ついに見つけた、誰も邪魔してこない古びた廃屋。


 最初はゴホゴホと咳をしていた程のカビの匂いやホコリっぽさも足繁あししげく通ううちに慣れていった。

 いつものように廃屋の入口から最も遠い最奥のソファに腰掛ける。


「悠くん」


「うわっ……!?」


 急に頬に暖かい感触を感じ硬いソファから転げ落ちそうになる。いつもの藍のイタズラだと分かりようやく僕は息をついた。


「ふふ、いつも通り面白い反応。ね、藍さんのお話聞いてた?」


 藍は髪を耳にかけながら瞬きをして微笑んだ。

 二人がけソファに男女二人が収まるのはまずいだろうと感じ手だけでも後退させる。ぎしりとソファが音を立てた。


 そのソファはところどころ布が破れていたり部品が外れていたりしている。


「ごめん、聞いてなかった……」


 君に夢中で、という言葉は喉の奥にしまう。とてもじゃないが言えなかった。

 藍は少しつり眉になって頬を膨らませる。


「もう、藍さんは怒っています。代わりにお願いごとひとつ聞いて?」


 藍は上目遣いでこちらを見る。手と手を合わせて「おねがい」のポーズをしていた。何をしてもかわいい。


「もちろん……」


 僕がそう言うと藍は手を合わせて喜んだ。藍はたまに子供のような仕草をする。大人っぽい雰囲気からは想像もできないが、割と似合っていたりもする。

 夕日の光が藍に当たる。藍のこの表情に、僕は尽く弱い。


「明日も一緒にいてくれる?」


 僕は困惑する。いつもの、あたりまえの約束などなぜ今更する必要があるのだろうか。首をかしげながら返答をする。


「明日のことなんてわからないけど、一緒にいる。……いたいと思う」


 僕は精一杯の回答をした。一緒にいたい、なんて少しキザで言い過ぎだろうか。顔が赤くなる。


「そっか」


 藍はどこか寂しそうに困り眉で笑う。夕日の位置は動き、藍の顔に影ができていた。睫毛が綺麗に影を作り、彼女の瞳に憂いを映し出す。


 藍は僕の手を包むように握り込む。柔らかい素肌が体に当たり再び動揺した。……が、触れた手は少し強ばっているように感じる。

 何か隠しているのだろうか。そんな疑問を胸に抱いたまま、僕はそっと手をつつみ返した。




 ....




 神社に行こう、と誘ってきたのは藍だった。毎日のようにする散歩のコースの中でも神社は定番だ。僕は二つ返事で承諾した。神門の先には灰色の石畳が敷かれた参道がまっすぐのびている。


「暗くなってきたね」


 参道を歩きながら藍はこちらを向く。薄暗く月明かりが色を帯びて藍に影を作っていた。


 拝殿にたどり着き、息を吐く。


拝殿にたどり着き、息を吐く。

 冬は藍の息が白く映し出されるから好きだ。僕たちが当たり前のように吐く息がどれだけ尊いものなのかを思い知らされる。


 ガラガラと鉄のぶつかり合う音が鳴った。

 耳障りだな、と毎度の事ながら思う。

 あの音は嫌いだ。神様を呼びつける音らしいが、この世に神などが存在していたならきっと藍はもっと幸せになっている。


 そんなものなど無くても、藍は僕が幸せにする。そうやって、藍も僕だけを信じればいいのに。

……まあ、そう言い出せずにいる僕も僕なのだが。


「悠くんに気付かれませんように」


 藍は声に出してそうお願いをする。

 藍はいつもお願い事を声に出さない。声に出すと叶わなくなるジンクスを知っているからだ。


 なのに今日は声に出して、しかもなんとも変なお願いごとをしている。


 何を気付かれたくないんだ? それに、なんでわざわざ声に出したんだ?


「悠くん、お願いしないの?」


 藍の声で僕はハッと現実に戻る。


『次の席替えで藍の隣の席になりたい』


 やはりありきたりだがこれでいい。神がいるかなど知ったこっちゃないのだから、無茶なことを言って落胆するよりはずっとマシだろう。

 僕は笑みを浮かべ、目をそっと伏せた。



「はあ、楽しかった!」


 不思議そうに目線をやると藍は右上を少し見つめた後右手で左肩をきゅっと握っていた。


 ……藍が不安な時の仕草だ。


 藍の近くまで数歩足を進める。僕の手をそっと藍の手に重ねた。その程度のことしかできない事に苛立ちともどかしさを感じる。


 藍は無理をしたような笑みでぽつりと呟いた。


「あの廃屋で、待ってる」


 その音を発した横顔は、手を伸ばしても触れられそうになく感じてしまうほど儚げだった。

僕は怖くなって手を宙にさまよわせた後にそっと下ろす。


「藍、今日はなんだか__」


 口を開きかけたところに自転車のライトのようなものがカチカチと僕らを照らした。


 気付けば辺りは真っ暗だった。小さなライトのあかりだけが僕らの存在を主張している。


 再び静寂が僕らを包み込む。神社を仕切る木々の隙間から車が二台、三台と通り過ぎていく。


「……もう今日は遅いし帰ろう、藍。ここで解散でいいか?」


 藍はこくりと頷いた。何かあったのだろうが、それはまた明日聞けばいい。


 コンビニに寄って、晩御飯を買って、家に帰ろう。昨日少し高めの冷凍パスタを買ってしまったから今日はおにぎりにしようか。


 そうして明日も廃屋でお話をして、また神社に寄るような平凡な日常が続けばいいと思った。ずっと、藍が隣にいてくれればいいと願った。







 ところで、平凡が崩れる前の最後の日常を恨みたくなることはないだろうか。


 僕は今酷く恨んでいる。明日聞こうなどと腑抜けた考えをしていた、僕の事を。

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