Go!

「止んだ……?」


 園田がぽつりと呟く。結界から発射される光弾が突然途切れ、結界の中にいる頭のない兵隊の動きが止まっていた。兵隊たちはみなマスケット銃を肩に担ぎ、硬直したように棒立ちになっている。

 膝に手を突いた羽純は咳とともに血を吐き、傷とアザだらけの腕を持ち上げて絶刀を納める。額から流れる血を拭い、腹を押さえる。肋骨が折れ、内臓が少し潰れているらしい。甚八特製のダンジョン装備でなければ、とっくの昔に羽純は体はバラバラになって死んでいただろう。全身を突き抜けるような痛みと、泥のように鈍い体。しかし、思考だけはあまりに明晰だった。

 これは……これは、真美華だ。真美華が、やったことだ!

 羽純は歓喜し、決断する。これ以上ないタイミングだった。羽純は震える指でポケットの中に忍ばせていたそれを握り、取り出す。


「羽純! っ……ソノ、すぐに回復を!」

「いい」


 答えたと同時にガフ、ガフと気管に入ってきた血反吐を床に吐き出して、取り出した指輪を右手中指に装着する。《ヒール》の数十秒ですら惜しい。そうして、「何をする」という泉水の問いかけに羽純は微かに笑みを浮かべて「いいだろ」と戯けたように答える。


「シャーマンの指輪、厳島ダンジョンの踏破報酬だ。官公庁の通販で……2400万で、買った。ここに来る前にな、父様に……私が稼いだお金を貸してもらったんだが……もうあまり残っていなくてな、予算的に、これしか買えなかった。ちなみに、使用上限はあと1回のみらしい。ふふ、っ!? ガフ、ガフッ!」

「羽純!」

「ふーっ……迷い、を」

「お前、何を……」

「迷いを、断ち切る。ずっとそうしたかった。私は弱い。でも、弱いままでは真美華と歩けない。真美華に並べない。真美華は、私の友達は立ち向かった。真美華が先で待ってるんだ。今度は私の番だ。私が、証明する番なんだ。何が何でも、全てを捨ててでも……前にいかなければ、決意しなくちゃいけないんだ。なあ、だから……起きろ! 私の声を聞け! 《神器装填》!」


 シャーマンの指輪。それは現在、世界に2つしかない宝具である。1つは使用上限に達した無能力品として国立博物館に収蔵され、もう1つは今、この木雨雪 羽純の指の上で光っていた。

 《神器装填》、それがシャーマンの指輪の持つ効果だ。羽純は願う。意志を指輪に込め、イメージする。これは使用者が認知しているこの世界にあるあらゆる神器を憑依させることができるレアアイテムだ。……だから羽純は、声を上げてその神器の名前を呼んだ。


「来い! ……“裁天サイテン”!」


 差し出した羽純の指輪の上に、天秤が出現する。“裁天”、紅花小咲の持つ、使用者が己の力で稼いだ100万円と引き換えにあらゆる正誤を判定できる神器である。羽純は静かに息を吸い、を天秤に乗せ、叫ぶ。


「“裁天様、裁天様、お導きください! 私が……今、真美華を救うためにできることがあるか……教えろ!”」


 裁天が光る。天秤の上の札束が、光の粒子になって消えてゆく。天秤は一人でに傾き、そして中央の小窓の文字が変わる。……「正」。


「良かった。それなら命も、投げ出せるよ」


 はしれ。

 羽純はフフと笑い、指輪を投げ捨てる。血を撒き散らしながら、痛む全身を稼働させる。制止する仲間たちの声を背に受け、まるでゴムで弾かれたかのように疾駆する。

 グランディンの結界に飛び込む。パンデモニウムの薄暗い石造りの廊下は、一瞬でセピア色の二次元の景色に変わる。水彩絵の具で色づいた世界はあまりに広大で、そして果てがない。結界の効果だろう、景色は動かず、地面にも感触がなかった。ただその場を足が空転しているかのような徒労感。無限距離の概念結界だ。しかし、羽純はそれでも構わなかった。


「絶刀、顕現!」


 束だけの絶刀を顕現させ、全速力で走り続ける。一ミリも前に進んでいないとしても、並んで棒立ちになっている兵士たち、そしてその向こうに佇むグランディンをその両目は捉えていた。目視の距離と実際の距離の間には大きな乖離があるが、しかし、羽純にはもう迷いがなかった。納刀の位置に刀を構え、そして、呟く。


「木雨雪流剣術奥義……“絶狼ゼロ”」


 絶刀を振り抜き、足を止めた。

 一瞬の静寂。居合抜き、その演技、ただそれだけの剣撃だった。その束が切り裂いたのは空気だけだ。だというのに刃の無い刀の振り抜きは木雨雪羽純の手にその感触を伝え、あろうことかグランディンの体を完璧に捉えていたのだった。


「ギィィィィー!」


 兵隊たちの後ろに控えた王が苦悶の叫び声を上げる。緋色のマントがみるみるうちに黒くにじみ、グランディンが体を切り裂かれた痛みにその身をくねらせる。そんな王の様子に、兵隊たちはおたおたとその場で狼狽するばかりだ。


 “絶狼ゼロ”、木雨雪流剣術の理想の極地であり、誰も到達し得なかった奥義である。

 “斬る”と“斬られる”という行為と結果の因果を逆転させる技。羽純が子どもの頃に曽祖父のビデオで見たことがあるだけの、実際にはあり得ない子供騙しのトリック。だが……それを、羽純の極限の集中力と“絶刀”が完成させてしまっていた。

 厳しい修行の末に形を変え、が、そして「裁天ができると言ったのだからやれる」という羽純の強固な確信が非現実な“絶狼”を現実の存在へ昇華させたのであった。


「っ……は」


 そうして、足を止めた羽純はその場に膝を突く。ごぽっと喉奥から血が溢れ、握力を失った掌から絶刀が消滅する。

 渾身の一撃を放った羽純の体は、とっくの昔に限界を迎えていた。血を流し過ぎたのだろう、頭が冷えていく。死ぬ準備をする。蹲るように凍える体を縮めていく。そうして羽純は、心臓の拍動が弱り、眠気にも似た穏やかな感覚のまま、安心の中でゆっくりと額を地面に着けるのだった。ああ、これで、やっと……。


「羽純っ! 起きろ……逃げんべ!」


 声がして、羽純は驚き顔を上げた。しゃがみ込んだ真美華が、羽純の顔を覗き込むように手を伸ばしている。最後の力を振り絞って痛む腕をゆるゆると持ち上げていくと、真美華はその下に潜り込むようにして無理やり肩を貸して羽純を立ち上がらせた。


「まみ、か……」

「信じてた、信じてたよ、羽純」

「ああ、わた……し……」

「ぐのっ、重いぃ! なんか言ったあ!? ちゃんとあーるーけー!」


 真美華が小さく細い体で羽純を引きずるように進む。妙士郎とペトラに伴われ、2人は二人三脚でもするように足をもつれさせながら結界の外へと、光を目指し歩いていく。

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