Ready?
「こんな所にいたのか」
「んうぇ!?」
背中からの声に思わず手を放してしまい、落下してずでんと尻餅をつく。深夜1時の公園、腰をさすりながら振り返ると、寝巻きにしている甚兵衛姿の羽純が私を見下ろしていた。
「もう遅いぞ、あしたの出発大丈夫か?」
「えと……結構昼寝したからあんま眠くなくて、いや……」
「やんないと、やっぱ気持ち悪くなっちゃって」、そう言って私は《登攀》習得に使っていた滑り台を見上げるのだった。
羽純は「真美華は努力家だなあ」と心にもないことを言って、私の横を通り過ぎ、滑り台の階段を上がっていく。幼児用の滑り台に背の高い羽純の存在は何だかアンバランスな感じに見えた。私はため息をつき、スライダーへ腰掛け、そのまま傾斜に背中を預ける。春先とはいえ、夜の空気は冷たい。夜の高円寺は明かりは少ないがやっぱり東京だ、星はほとんど見えなかった。ダンジョンに入ってしまえば、この空とも当分おさらばだろう。……ああ。
「あのさ。ウチの家、なんかみんなつえー神器だったんだよね」
私はなぜか、ぽつりとそんなことを吐露してしまっていた。「ふうん?」という声が頭上から聞こえる。羽純に言ったって何がどうなるわけでもないのに、別にダンジョンの中で言ったって構やしないのに。……だけど、言葉を続ける。
「パパがテニスラケットの神器でー、ママはタイヤの神器。兄貴はね……ハルバートっていう、でけえ斧みたいな神器。兄貴、高校生ぐらいのころはウチと同じ冒険者学校に通ってたんだ。海外のダンジョンにも派遣されてたし、いいパーティーにも結構誘われてたし。でも兄貴、急にやんなっちゃったんだって。女らしく生きたくなっちゃったって」
「へえ。ちゃんと夢を叶えていて、かっこいいな」
「だよね。強くて自慢のお兄ちゃん」
「でもウチは、雑魚に生まれちった」、口に出してから、これは悲鳴だと気づく。でも、もう一度口から溢れた言葉は、着地点を探して止まらなくなってしまっていた。
「分かってる、撮丸は悪くないんだ。配信画面を使ってダンジョンの外と連携を取れる、それってめちゃめちゃ強い神器なんだよ、本当は。今回みたく頭のいい人たちの指示が聞ける、ドローンで偵察してみんなの安全を守れる、パーティーのみんなを助けることができる強い子なんだ。それを駄目にしたのはウチだ、中学では頑張ってる子を笑って、高校では頑張りを笑われて折れた、撮丸を信じてあげられなかった雑魚のウチのせいなんだ……」
冒険者学校はエリートたちの競争社会だ。椅子は限られていて、誰もが少しでも上にいくために研鑽をしている。そんな空間で、何も準備してこなかった私は挫折した。戦闘型神器とフレーバー型神器の途方もない格差に当てられて、腐ったんだ。
瞼に腕を押し付けても、涙はぼろぼろと溢れてゆく。あのとき、何でもう少し頑張ろうとしなかったんだろう。どうして
そんな私が、あした日本有数のガチ勢パーティーと一緒に中層へ向かう。弱い私のまま死地へ赴く。自分で行きたいと言い出したというのに、今はこんなにも後悔してしまっている。こんなの、あのときと同じじゃないか。初めから無理だったのに、身の程を知らずに挑戦して、みんなに迷惑かけて。どうせまた、周りからは白い目で見られて……。
そんなふうに私が嗚咽を止められないでいると、羽純が能天気に「私も家族の話していいかい?」などと問い掛けてくる。
「ええ? やだよお〜、どうせウチより強い家族エピで不幸マウント取るんだろお?」
「ふこーまう……?」
「あーうそうそ、いまのはウチが性格悪すぎた。ごめん。マージで今の何でもない。……ね、話して。羽純の話、もっと聞きたい」
羽純が「体起こして」と言うのでそのとおりにすると、羽純は何の断りもなくスライダーを滑り降りて私の背中にどしんと突撃してくるのだった。私がぐえっと喘ぐのにも構わず、羽純はその大きな体を被せるように私にのしかかる。
「重いよ」
「真美華、前、私が必ず冒険に持っていくもののことを話しただろう?」
「え? あーなんかあったね。六本木のキャンプ配信のときだっけ?」
「ああ、それだ。母様……母から譲り受けた指輪なんだ。小さい頃のおぼろげな記憶しかないが、母が亡くなる前にくれた遺品でな。もらったときは皿洗いをしたご褒美なんて言われたのを覚えている。ちゃんとしたブランドで、大きなダイヤモンドが付いた、子供にはあまりに不相応なものだった。きっと、死期を悟っていたんだろうな。母様は父様には内緒だと私に言っていて、それから1ヶ月ぐらいで母は持病が悪化して亡くなった。私はそれをずっと隠し持っていたよ。父が母のものはみんな処分してしまったから、だから、もう、母の思い出はそれだけなんだ。この家に来たときも小銭しかないなんて言っていたが……本当は、それだけ持っていた」
まるで大型犬が甘えるかのように羽純が頭を擦り付けてくる。薄い甚兵衛の下の羽純の高めの体温が、小さな私を包んでいる。静かな、だけど確かな呼吸が耳元で響く。
「真美華に甘えてしまうのは、母性というか、愛情に飢えてるからなのかな。だから、真美華を失うかもしれないのは、怖い。もちろん、明日のためにできることは全部やったつもりだぞ。だけど……オルタナがついているとはいえ、絶刀の使えない私がどこまでイレギュラーから君を守れるか分からないから。ダンジョンがこんなに怖くなったのは初めてだ。今は、ダンジョンに行くこと自体に迷いを感じているぐらいだ」
押し潰されそうなぐらいのしかかられて、もう私を守るもクソもない状態だった。何こいつ酒でも飲んでるの。しかし、腹筋に力を入れて羽純にぺしゃんこにされないよう踏ん張っているこの状態を、私は不思議と悪い感じには思わなかった。やがて私がお煎餅になりかけていたことに気づいたのか、羽純は「ごめん」と体を起こす。
「はあ。甘えんぼさんだな、ったく。えーとハンカチー、ねーや。ほれ、タオル」
「ん……ありがとう」
私が首に掛けていた汗拭きタオルを後ろの羽純に押し付ける。羽純はゴシゴシまた顔を拭いたかと思うと、またコアラのように私の背中に抱きつくのだった。……辛気臭いやつだな。ため息をつく。私のお腹に回った手の甲に、私の手を乗せてやる。
「あんがとな、心配してくれて。……大事に思ってくれて」
「……んん」
「でもさ、ウチこないださあ、初めて“波走る汀”の機械に登ってさ。あの景色を自分の目で見て、それについては頑張って良かったって思ったよ。だから、まあ、不安はね? もちあるんだけどね……でもさあ! まー楽しっちゃ楽しみなんだわ! あぶねーけどね? こえーけどね? それでもすげー冒険とか、やべー景色とか、今まで考えもしなかったような場所に辿り着けるかもしれない。全部羽純のせいだよ。羽純と一緒にダンジョンにいたから、ウチもダンジョンが好きになってきちまった。そんなときに、ホライゾンの人に誘ってもらってさ、それで、嬉しくなっちゃったんだよね。生きるの頑張るのをさ、かなり遅れちゃった気がするけどさ……お休みしてたからさ、ちょっとぐらい頑張ってみても悪くないかなって思っちゃったんだよね。そういうチャンスが来たのかもって……私、ちょっとは人生を変えられるのかもって、思っちゃったんだよね」
「真美華……」
「ん。帰ろ、ごめんね。あした5時起きっしょ」
立ち上がり、手を伸ばす。羽純が私の手を取って立ち上がる。ぬっと私より大きくなった羽純が私を見下ろし、ぽんぽんと私の頭を撫でつつ私たちのアパートへ向かって歩きだした。私は、頼りになる大きな背中を追い掛け、並ぶ。……ああ、そうだ。
「そいやさあ、そのダイヤの指輪、ウチも見てみたいかも」
「あー」
こつ、こつと私たちの足音がしんと静まった高円寺の住宅街に響く。「ごめん」と苦笑する羽純の姿が途切れ途切れの街灯に照らされていた。
「今ちょっと手元に無いんだ。また今度でもいいかい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます