透明な塔の下で、孤独は息を潜めている― The Harmonia Project ―

紡城 さや

第1話 孤独を感じる権利

孤独は、この都市では“エラー”とみなされる。


感情が可視化され、

共感指数で幸福が管理されるハルモニア


人は笑えば褒められ、

黙れば心配され、

孤独を抱けば“支援対象”として、システムによってタグ付けされる。


結城梨々香(ゆうき りりか)は、

その制度の中心で働いていた。



午前中は、街中のセンサーが拾った“生の感情ログ”の

一次スクリーニングを淡々とこなしていた。


急激な感情変動や異常値だけを人の目で確かめ、

AIの本解析へ回すために振り分ける。

数字の流れに自分の心を重ねないように、

梨々香はいつも通り静かに手を動かした。



昼休み、梨々香はいつもの“共感カフェ”へ向かった。

共感庁の職員は、

昼の情緒測定をここで受けることになっている。


椅子の背に触れるだけで、

体温のゆらぎや深層脈波が読み取られる仕様だ。

その日の“情緒の傾向”が機械的かつ大量に記録されていく。


栄養バランスが完璧に計算された共感カフェのメニューから無難なものを注文し、空いている席に着く。


味の薄いスープをすくった瞬間、

梨々香のエモタグが微かに震えた。


《孤独指数:上昇傾向。注意レベル1》


「……上昇?」


自覚は全くない。

むしろ、何も感じていなかった。


だが、その“何も感じない”ことが、

彼女には一番、怖かった。


椅子に面している背に僅かな振動が走った気がした。



その後も淡々と食事を済ませて、食休みをしていると、

ふと目をやった視線の先に、支援ドローンに付き添われた少女が座っていた。


スプーンを口に運ぶその横顔。

その笑顔は、形だけそっと置かれたように見えた。

微笑みの形と、そこにあるはずの温度だけがずれているような違和感があった。


胸の奥が、かすかにざわつく。


理由はよくわからない。

けれど、それは久しく感じていなかった“感情の音”だった。


梨々香は小さく息を吸い、

手首のエモタグにそっと触れた。


そのとき、メッセージが届いた。


「孤独が許されない世界で、

 あなたは何を感じてる?」


送信者欄は空白だった。

ハルモニアでは、本来ありえないこと。


けれど梨々香は、

“誰が送ったのか”より先に、

その言葉から感じる僅かな温度に、心を触れられた気がした。


AIの定型文には決して存在しない、

ゆるやかな間のある文章だった。


指が震えた。


彼女は気づいてしまう。


──自分は、ずっと“感じないふり”をしていたのだ。



午後の業務が始まる頃、

梨々香の端末にはAI解析を経た“整形済みの感情データ”が並んでいた。


画面をスワイプするたび、

補正内容を最終確認し、

《共感指数》として確定していく。


その指数が、

ハルモニアの安定を保つ基盤となっていた。


けれど今日は、

数値の流れの向こうに自分の鼓動がうっすら混ざっている気がした。



帰りのエレベーターは一人だった。

静かに閉まった扉に映り込む自分の顔は、

いつも通り静かで、この都市ハルモニアに相応しいように見える。


けれどその瞳だけは、よくよく目を凝らすと小さく揺れていた。


それは、

孤独が“まだ息を潜めている”証だった。



※次話:共感庁内部で起こり始める“異常”と、

 梨々香が初めて感じる“違和感”の正体。

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