第3話 英雄譚、俺以外で進行中

頼む、誰か──!


その瞬間、風が裂けた。

耳を刺すような鋭音と共に、空気が一変する。


「そこまでだ!」


澄んだ声が響いた。若いが、芯が通っている。

顔を上げると、夕陽を背に二つの影が立っていた。


ひとりは無骨な大剣を背負う壮年の剣士。

もう一人は──俺と同じくらいの年頃に見える、細身のローブ姿の少年。

涼やかな目元は、少女と見紛うほど整っていた。


「っ……少年?」


俺が呟くより早く、彼らは動いた。


ローブの少年が一瞬で距離を詰めた。

白銀の軌跡が走り、風そのものが斬り裂かれたように鳴る。

その刹那、光が弾けた。


浮浪者の腕が反射的に盾のように上がる。

だが次の瞬間、甲高い金属音と共にその腕が弾かれた。


「ぐっ……!」


浮浪者がたたらを踏む。

一撃。それだけで均衡が崩れる。


背筋が凍る──あれは速さだけじゃない。“重み”がある。

空気の密度が変わるほどの剣圧。

風圧が肌を焼く。


その剣筋は、俺の知るどんな流派とも違った。

剣道の正中線を意識した直線でもなく、西洋のフェンシングのような軽妙なリズムでもない。

一太刀の中に「突き」「薙ぎ」「払い」が渾然一体となっていた。

重厚で、華麗で、致命的。


俺が握っていた木剣が、ただの玩具に思えるほどの差だった。


「……嘘だろ、あんな動き……人間じゃねぇ」


目が追いつかない。音だけが先に届く。

少年の動きに合わせて、浮浪者の剣が砕けるような音を立てた。


その隙を逃さず、背後の大剣の男が静かに前に出る。

構えすら見えない。

ただ一歩、踏み出しただけで地面が低く鳴った。

その重圧に、空気が震える。


「おい……まさか、あれが“本物の剣士”ってやつかよ……」


浮浪者の肩がびくりと跳ねる。

その目には、恐怖が宿っていた。


男はひと言も発さず、ただ剣を抜く。

夕陽を反射して、刃が一瞬だけ朱に染まる。


──次の瞬間、世界が静止した。


風が止まり、音が消える。

気づいた時には、剣閃が一度、閃いていた。


浮浪者の手から武器が滑り落ちる。

乾いた金属音が、地面を転がって消えた。


……終わった。


俺はただ、呆然とその光景を見ていた。

目の前で繰り広げられたのは戦いではない。

一方的な“裁き”だった。


夕陽に照らされたその横顔は、まるで神話の英雄のように見えた。


 ☆ ▲ ◇ ▼ ◎


勝負は、圧倒的だった。

俺が手も足も出なかった浮浪者は、少年剣士に完全に封じられ、壮年の剣士の一歩で息を呑むほどに怯んでいた。


──そのときだった。


橋の欄干に追い詰められていた子どもが、足を滑らせた。

小さな悲鳴とともに、身体が宙に浮き――川へ。


「──危ないっ!」


考えるより早く、体が動いていた。

橋の手すりに足をかけ、脚を欄干の間に絡めるように固定。

不安定な体勢のまま、必死に腕を伸ばした。


冷たい風が頬を打ち、水面が光の破片のように乱反射する。

あと少し……もう少しで届く──!


「うわっ……!」


ギリギリのところで、その手を掴んだ。

小さな手。冷たくて、震えている。


その瞬間、全身の筋肉が軋む音を立てた。

川の流れは思った以上に速い。

無理に引けば、自分も引きずり込まれる。


一瞬、判断がよぎる。

(……一緒に飛び込むのは、ダメだ! こいつだけでも──!)


脚を欄干に食い込ませるようにして固定し、体を反らせた。

腕が千切れそうになる。

水飛沫が顔を叩き、視界が霞む。


だが――まだ、離すわけにはいかない。

「うおおおおおおおおっ!!」

気合とともに、全身の力を腕に叩き込んだ。

火事場の馬鹿力なんて言葉があるが、あの瞬間ほどそれを実感したことはない。


重さと水の抵抗が一気に抜け、反動で体が仰け反る。

半分水に沈んでいた少女の身体を、鰹の一本釣りのように引き抜いた。


ドッと水しぶきが弧を描き、二人分の影が橋の上に転がる。

膝も肘も泥まみれ。息が切れて、肺が焼けるようだった。

木剣は流されてどこかへ消えていたが、そんなことどうでもよかった。


腕の中にある小さな体が、確かに温かかったからだ。

「ミリア! 大丈夫か!?」

思わず呼びかけながら、橋の上に引き上げた。

少女は咳き込みながらも、息を整えてこちらを見た。

濡れた髪の間からのぞく瞳が、まだ怯えを宿しながらも、まっすぐ俺を見ていた。


そして――

「……エリーだよ。助けてくれて、ありがとう!」


先ほどまでの恐怖が嘘のように、小さな笑顔が弾けた。


エリー?


そういえば……俺、無意識にミリアって呼んでたんだっけ。

それはゲームで覚えていたヒロインの名前。

でも彼女は首を傾げて、不思議そうに繰り返した。

「なんでミリアって?」


(……え? 違うのか? ミリアじゃ、ない?)


混乱している俺のもとに、少年剣士が駆け寄ってきた。

「無事か!」

その声に、彼女はぱっと顔を上げ、「ありがとう!」と笑った。


──完全に、主役交代だった。


 ☆ ▲ ◇ ▼ ◎


「怪我はないか?」


少年剣士が俺に声をかけてきた。

落ち着いた声色。澄んだ眼差し。

その佇まいに、思わず言葉を失う。


「……ああ、なんとか」


「無理はするな。君の剣筋は浅い。生き残りたいなら、まず体を鍛えることだ」


ぐさっ。正論。しかも優しい。

見た目は美少女、口調は武人。……心が折れそうだ。


いや待て、やっぱりこいつ美少女なんじゃないか?

──美少年でした。

完敗。


 ☆ ▲ ◇ ▼ ◎


二人は手際よく敵を制圧し、旅人の親子を救い出していた。

助けられた親子は何度も頭を下げ、涙を浮かべながら礼を述べている。


一方の俺はといえば――泥まみれで川辺に座り込み、鼻血を垂らしていた。

……情けない。戦ったのは俺のはずなのに、助けたのは別の人たちだ。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

黄昏れていた俺のそばに、エリーがそっと近づいてきた。

まだ少し震える声で、それでも笑おうとしている。


「さっき助けてくれた時、すごく怖かったけど……エリー、嬉しかった」

「あ、ああ……そっか。よかった」

頬を染めて言う仕草が妙に可愛くて、思わずフラグの匂いを感じた。

──が。

「でもね、あのお姉さんの剣さばき、すっごくかっこよかったよ!」


……うん、知ってた。


「そうだな、やっぱりかっこいいのが一番だよな」

「うん! でもね、お兄ちゃんも――かっこよかったよ!」

「そ、そうか……ありがとう」

必死に笑って返した。

……優しい子だ。刺さるけど。


俺が“主人公らしい場面”を掴める日は、どうやらまだ遠い。


旅人親子はその後、剣士と少年に護衛を頼み、再び旅立っていった。

去り際に、あの少女――いや、エリーが何かを言った。

……ミリア、って。そう聞こえた気がした。


わかってる。

この期に及んで未練たらしいのは、重々承知だ。


 ☆ ▲ ◇ ▼ ◎


そして残されたのは、水浸しの俺ひとり。


ぽつーん。


「……やっぱ、俺、主人公じゃないのか……?」


空を見上げて、つぶやいた。

風が頬を撫でる。

泥の冷たさよりも、胸の奥の敗北感の方がずっと冷たかった。


けれど、ようやくわかってきた。


この世界は、“俺の知ってる筋書き”のままじゃない。

誰かが勝手に助けてくれるRPGじゃない。

ここで立たなきゃ、本当にモブで終わる。


「よし……鍛えよう。筋書きがズレてるなら、俺が合わせるまでだ」


夕陽の中、拳を握る。

その向こうで、美少年剣士と“エリー”が笑い合っていた。


……なんか、ちょっとだけ負けた気がする。

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