雨上がりに君と出会えたのなら

天野綾

1話 雨上がり

 フィクションではよくあるだろう?

 たくさんの友達に囲まれ、当たり前のように恋人がいる。俺は根拠もなく、自分もそうなれるって思っていたんだ。


 現在、俺は高校一年生。

 今日も今日とて、俺は屋上に向かっていた。

 コンビニで買ったパンを片手に、足音を忍んで階段を登る。私立高校だからか、無駄に校舎が広い。転ばないよう気をつけていたが、思わずぶつかってしまった。

 

「うわ、すみません」

 

 慌てて謝罪の声を出す。衝動的に相手を見ると、背筋が凍った。

 

 歩いていたのは、同級生の女子三人。

 ぶつかったのは、その中で最も苦手意識を持っている、前原 麗華(まえばら れいか)だった。

 

 予想していた通り、彼女は俺だと気づいた瞬間、口元を大きく歪ませた。場の空気が凍った気がする。

 

「っち、このゴミが。きっしょいんだよ、失せろ」

 

 彼女の方が上に立っているということもあり、見下ろす視線に俺は呼吸の仕方を忘れる。


「麗華ちゃんの言う通りだよね」

「うん、邪魔」

 

 それに同調するのは、彼女の取り巻きの、西田(にしだ)と東野(ひがしの)だ。

 

 俺の並びの悪い歯が音を立てた。

 ――いつもの光景だ。前原が俺を軽蔑し、口汚く罵る。西田と東野は、一歩下がったところから俺の悪口を言う。

 

 彼女たちから離れるため、俺は必死に登っていた階段を駆け降りた。関わりのない人たちまで、俺を見て笑っている気がした。

 

 一階まで降りると、俺は少し冷静になった。これでは前原の言いなりではないか。


 屋上に行きたいが、もうあの階段は通れない。俺は別の階段を利用した。


 屋上に続く階段に足を踏み入れる。

 

 今日は遅れてしまったから、一秒でも早く辿り着きたかった。最近、雨続きで会えていないのもその気持ちを強めた。


 階段を登るとドアが見えた。俺は迷わずドアノブを回す。


 太陽の強い光が、水たまりに反射してキラキラと輝いていた。


 その光の中、レジャーシートを敷いて座っていた少女――橘 凛音(たちばな りんね)は、ドアが開いた音に気がついたのか、俺の方を見ながら、お決まりの言葉を口にする。


「何もない屋上に来るなんて、暇なの?」


 それを聞いて、俺もお決まりとなった言葉を口にする。


「凛音だけには言われたくないな」


 俺は当たり前のように、凛音の隣に座った。彼女は、俺の手にあるコンビニで買ったパンを黙って見ていた。

 

「少しあげようか?」

「……お返しは、兄さんが作ったクッキーしかないけどいい?」

 

 俺の了承を得る前に、凛音は俺のパンの袋を勝手に開けた。そして、一口で約三分の一を食べた。

 

「おいしいね、これ。でも栄養足りてる?太郎は育ち盛りなんだからお肉を食べなよ」

「人のもの奪っておいてよく言うな。代わりにクッキー貰うぞ」

 

 俺はチョコチップやら、ジャムやらの多種多様なクッキーをひとつ口に運んだ。選ばれたのはプレーンらしい。バターの甘い味が口の中で広がった。

 

「……凛音は弁当食わないのか?」

 

 ふと、凛音が俺から奪ったパン以外、何も口にしていないことに気がつく。彼女の隣にあったお弁当箱を見た。

 彼女は無言でそれの蓋を外した。中身は空だった。


「遅かったし、雨上がりだったからてっきり……約束破ってごめん」


 俺と凛音の約束。それは、悪天候の日や欠席の日を除き、共にお昼を食べると言うものだった。提案者は凛音。

 

「ひとりで食べるのが寂しいから」と頬を赤くして言っていたのを覚えている。

 

 先に食べてしまった事実に罪悪感を感じているのだろう。凛音は肩を落としてしょんぼりしていた。申し訳なさが勝ち、俺は謝罪することにした。


「いや、遅れた俺が悪い。明日はもっと早く来る」

 即座に反論が入る。「明日土曜日だよ」

 

 そうだった。しかし、素直に認めるのも気に食わないので、俺は誤魔化すことにした。「これは言葉の綾。つまり、月曜日の話だ」

 

 凛音はまたすぐに言った。「月曜日台風だよ?」


 ……最近は悪天候だな。俺は空を睨んだ。

 

 隣で凛音がくすくすと笑っている。「太郎は面白いね」

 俺はすぐに反論した。「そんなこと言うの凛音くらいだよ」


 凛音はまたくすくす笑っている。そして、一方的に他愛の話を始めた。


 俺は、凛音に食われたパンの残りを食べながら聞いていた。口にして、これ間接キスじゃないか。そう思ったが、気にしないことにした。


 だって、俺――佐藤 太郎(さとう たろう)と凛音は、そういう関係ではない。お互いの孤独を誤魔化すために集まっているだけ。それ以上の感情はない。


「? どうしたの? あ、残りのパンもくれるの?」


 それに、こんな食欲旺盛の女子と付き合ったら破産する。


 俺が悶々とそんなことを考えている間、凛音はクッキーをおいしそうに食べていた。

 どうやらチョコチップがお気に入りのようで、俺がパンを食べ終わったときには、それだけ忽然と消えていた。


 彼女は残ったクッキーの一つを強引に俺の口に入れた。「美味しいでしょ?」と笑みを浮かべる。

 

 俺はあえて反抗的に言う。「さっき食べたから美味いのは知ってる」

 

 凛音は「兄さんが作ったものだからね」と胸を張った。家族の話になると口数が増えるのは、凛音の特徴だった。


 予鈴の冷たい音が聞こえて、俺は立ち上がった。凛音は座ったままだ。俺はドアノブに手をかけながら、お決まりの別れの言葉を口にした。


「また会えたら会おう」


 凛音の返答もいつもと同じだった。


「また会いにきてね」


 ドアを閉め、俺は走って教室に向かう。予鈴が鳴ってから五分しかない。もう少し早く帰ればいいけど、少しでも長く凛音といたかった。

 たとえどれだけ学校が辛くても、俺は凛音のおかげで学校に来れる。

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