閑話1

 焚火紫織の朝は、一人だ。


 朝だけではない。昼も夜も、平日も休日も、格安アパートの一角に住む彼女は、いつも一人だ。


 朝、心地いい夢から目が覚める。まだ寝ていたいと思うけれど、次いですぐに思い出す、面倒な朝の家事の数々。強い眠気。昨日、遅くまで漫画を描いていた自分を少し恨む。


 そして、青いカーテンの隙間から差す心地良い朝日を感じながらも、孤独の中で日課をこなす。


 両親を事故で失い、育て親の叔母の元を勘当されて以来、祖父母に最低限の生活費を送ってもらい、土日のバイトと合わせてなんとか食いつないできた。


 その間もずっと一人だ。


 苦痛と呼ぶほどではない。だけど、少しだけ寂しかった。






 ある日の昼休み。


「……んー! 美味しいですね!」


 焼いた豚肉を頬張りながら、赤髪の少女はそんな声を漏らした。


「だろ? やっぱ生姜焼きだよな」


 焚火の感想にそう返しながら、正宗は向かい合う彼女の弁当箱に箸を延ばした。二つある小さな小容器のうち、彼女が食べて良いと言った方の柴漬けを掴み、自分の弁当の白米と一緒に口に入れる。


「んっ! 焚火の漬物もいっつも美味いよな。おかず全部手作りなんだっけ」


 しっかりと付いているがしつこ過ぎない酸っぱい味で、ご飯がよく進む。正宗はもう一口、米を口に入れた。


「はい。冷凍食品とか貴族の嗜みです、本当」


「そっかー……チキンに海苔が付いてるアレに感謝ですわ」


 目を閉じてを合わせる正宗の顔を見て、焚火はあることに気が付いた。


「浅井くん、ご飯粒ついてますよっ」


「? あー……どこだ……」


 頰を指差した焚火だったが、正宗は見当違いの箇所を指でなぞってばかりであった。


「私が取りますから、じっとしててください」


「お、サンキュ」


 正宗が差し出した右の頬に顔を近づけながら、焚火はそこへそっと人差し指を伸ばして。


「…………恋人かッ!!!」


「うおっ!?」「きゃっ……!?」


 突如響いた怒号に、正宗ともども驚いて動きを止めた。


「んだよ、槙野?」


「んだよじゃない!! 何!? 机突き合わせて二人でご飯食べるわ、おかず交換するわ、挙句ほっぺに触ろうとして……それもう付き合ってんじゃん!!」


「「……?」」


「きょとんとするなッ!!」


 困惑する二人に、槙野はさらに強く言葉を叩きつけた。


「ふふっ……そんなことないです。浅井くんとはただの友達ですよ」


「そうそう。自分がフラれたからって、人に変ないちゃもん付けんなよな」


「なっ、ななっ……だ、大輔のことはもう気にしてないしッ!」


 二人から憐憫の視線を感じた槙野は、慌てて否定する。だが側から見れば、ある種の嫉妬のように見えてしまうのも事実であり。


「ごめんよー。まーさんはまだ、胸の傷が飢えてないのさ」


 結果、一緒に昼食をとっていた林からもそう言われてしまうのだった。


「くっ……嘘! 絶対嘘! 浅井の方はさ、意識しちゃう時くらいはあるんでしょ!? 言えよ正直にっ!」


「ンな必死になんなよ。だいたい──」


 言いかけた言葉は、教室のドアが強く開く音に気押されるように飲み込まれた。


「まざむねぐぅぅぅぅぅん!!!」


 直後に聞こえてきたのは、幼女な先生の泣き叫ぶ声であった。


「とんでもねえ泣きようじゃん……どうした?」


「ど、どどっ、どっぎょ〜〜っ!!」


「鳴き声?」


 ツッコんだのち、正宗はキリカが落ち着くのを待った。


「先生の特許証が、なぐなっぢゃったのです〜!!」


「特許証? 何だそりゃ……って」


「あ、先生の涙回収しなきゃ」


「えっ!? た、焚火さん……!?」


 どこからか取り出したスポイトを床に向ける焚火に、キリカも思わず涙が引っ込み、鳥肌を立てながら身を引いた。


「うわ……ほら。お前が男だったら恋仲になりたいか、アレと?」


「ごめん浅井、私らが間違ってたわ」


 その様子を見た槙野は、ついに引き下がるのだった。






「先生には教員免許が無いのです。取得できる年齢じゃありませんので。その代わり、外部から招かれた特別講師としてこの学校に来ているのですよ。そのための特別な免許証が、"特許証"なのですっ」


「で、んな大事なもんを無くした、と」


「ごめんなさいなのです。特別なICチップを内蔵しているので、再発行も簡単には出来ないのですよ〜……」


「それは一大事ね」


 昼休みの昇降口付近にて、キリカの説明に対し、正宗と天使はおのおのリアクションをこぼした。


「んで、天使お前どっから出てきた」


「さっきまでグラウンドで"勧誘"をやってたのよ。全然上手くいかないから教室に戻ろうと思って、そうしたらあなた達ここにいて」


「天使さん、また停学になっちゃうのですよ」


 キリカからの警告に、問題ないわ、と返す天使。問題があるし、問題ないと言えるだけの根拠は特に無いのだが。


「それでは、さっき言った場所の捜索をお願いしたいのです」


「んじゃ、俺らで校舎の中探してみっから。お前らは外頼むわ」


「えっ……先生、私も一緒に!」


 正宗と行こうとしたキリカに対し、焚火は声をかける。だが、返ってきたのは怪訝な表情だった。


「やー……それはまたの機会にお願いしたいのです。ではではっ」


 無理やり会話を終わらせるように、キリカはそそくさと校舎内へ駆けていった。


「そんなー……」


「紫織、またやってしまったようね」


 出会って数日ながら、すでに焚火のあれこれを把握しつつある天使は、察しをつけてそう尋ねた。


「嫌な思いをさせるつもりは無かったんですが……好きな気持ちって、止められないじゃありませんか」


「さっき浅井に聞いたけど、悪意0であんなことを……?」


「はい?」


「や、何でもないわ」


 言葉を飲み込みながら顔を逸らし、天使は特許証の捜索を開始した。


「確か先生は、今朝ここの花壇のレンガの上に登って、落ちたらダメゲームをしながら歩いていたって……本当に子供なのね」


「可愛いですよねぇ」


 焚き火が口元を緩ませる傍ら、天使は校庭の花壇に目を向けながら、ポケットからビニール手袋を取り出してはめた。


「天使さん、それ……」


「カバンにいつも入れているのよ。あまり素手でそこらじゅう触りたくないのよね」


「天使さん、手綺麗ですもんね。そっちの方が良いですね」


 言いながら、焚火は天使から少し離れた花壇の手前にしゃがみ込んだ。植木や花の間にそっと手を伸ばし、かき分けて中を探して見ても、目当てのものは見つからなかった。


「それだけじゃないですね。髪も、青い目も綺麗ですし……それに、心も綺麗です。私も見習わなきゃ」


 先日の戦い、天使の勇気を槙野から聞かされた焚火は、それ以来彼女の勇気を尊敬していた。


「結構謙虚なのね。あなたもあなたですごく強いじゃない」


「ああ……でも"紅の迷い子"は、お父さんとお母さんが私にくれたものですから。自分一人の力だとは思ってないんです。むしろ私は、それ以外特に取り柄もなくて、意志が弱くてちっぽけで……天使さんみたいに、もっと自分の芯があるしっかりした人になりたいな、って」


「しっかりした人ね……そうでもないわよ。自分の信じるものが曲げられないだけかも」


 言いながら、植木の根元にあるゴミを拾い上げ、違うか、と一言。そして天使はまた口を開いた。


「分かってはいるのよ、自分のやり方が下手で迷惑だってことは。だけど私は、自分の信じる神が素晴らしいものだと思うから、どうしても他の人にもそれを知って欲しいの。あの教えは、迷える人をきっと救ってくれると思うから」


 この辺にはなさそうね──その言葉に焚火も同意し、二人は探し場所を移すべく歩き出した。


「やっぱり、天使さんは強い人ですね。私は全然──」


「それ、やめなさいな」


 言葉と共に、突如自分の口元に指を添えられて、焚火はハッとして目を見開いた。


「優秀で高貴な私と、つい自分を比べてしまうのは分かるわ。でも駄目よ」


 木々が立ち並ぶ校庭を歩きながら、天使は慈しむように、その根本の新芽に目を向けて。


「私があなたより人間として上なわけじゃないし、逆でもないの。私があなたに無いものを持っているように見えるなら、それは紫織だけ欠落しているんじゃなく、私達の心の形が違うだけ──そういう教えもあるの」


 しゃがみこんで天使が見つめた新芽は、よく見ると一つではなく、二つが寄り添いあって伸びていた。


「少なくとも、私は好きよ。内気で愛が暴走気味で、それでもいざって時、友達(わたし)を救うために駆けつけてくれた紫織の心が。それは小さく見えるけれど、触れると確かに熱い灯火みたいで」


「天使さん……」


 なんだか恥ずかしいけれど、嬉しい言葉だった。どんな言葉を使えば、その喜びを天使に返してやれるか分からなくて、焚火は言葉に詰まったまま、彼女の隣にしゃがみ込んだ。


「……あっ! これ……!」


 そして、木の根本に積もった新緑の葉の下に、プラスチックの板が見えた気がした。焚火がすぐさま葉をかき分けてみると、そこには"山倉第一高校 特別教務許可証"の文字と、見知った小さな担任教師の顔写真が。


「良かったわね。あなたが見つけたって言ったら、きっと喜んでもらえるわよ」


「はいっ、暗がりにあっても見つけられました。天使さん、いつも明るく輝いてるから」


「ふ……ふーん? ま、まあ的確なコメントね?」


 そう言いながら、天使は赤くなった顔を逸らした。プライドが高い割に、素直な賞賛には慣れていないらしい。


「あっ、もしもし浅井くん? こっちで見つかりました。これから──」


『ああああああああ゛っ!! だきびざん、ありがどおなのでずっ……うああああ!!』


「っと……ふふっ、大丈夫ですよ。今から向かいますから」


 焚火はそう言うと通話を切り、スマホをポケットにしまった。


「あっ」


 立ち上がって昇降口の方へ足を向けると、すぐに目に入ったのは、小さなとんがり帽の少女と、やれやれと肩を落とす友人の姿。


「行きましょうか」


「はいっ」


 焚火紫織。家族を失った少女。


 だけど、ここではもう、彼女は孤独ではなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る