#8「槙野と怒りの天使」

「浅井。上着のボタンが外れてるわよ」


 全校集会のため体育館へ向かう途中、外階段を降りて体育館への道に差し掛かったところで、天使が言った。


「ん? あぁ、ホントだ」


 正宗は自分の学ランを見下ろしてそれに気づき、そっと金のボタンを止め直した。


「気をつけなさい。主はいつでもどこでも、私達の姿を見ているのよ」


「ふーん、心に書き留めとくぜ。ありが──」


 彼女のご高説に興味は無いが、別段その思想を否定する気もない。そう思い、適当に返事と礼をしようとした矢先。


 正宗の耳に、くすくすと笑う声が近くから届いた。


「また神様だってー。今時流行んないっしょ」


「神様が助けてくれるんなら、あたしらこんなクラスにいないはずだもんね」


「……槙野、林」


 自分が好まない物全てを馬鹿にするような、呆れた態度。正宗はそろそろうんざりしながら、彼女らの名を呟いた。


「主を否定するつもり? 今この落ちこぼれクラスにいるのは、あなた達の努力と能力が足りてないからよ。悔しいけど、私も含めてね」


 対し、信仰対象を嘲笑された天使は、しかし動揺することも怒ることもなくそう説いた。それは、彼女の中の神が確固たる存在である証だった。


「救われないことを嘆いてる時間があったら、少しはその時間を努力に充てたらどう? それとも喋るしか能が無いのかしら?」


「はぁ!? お前、黙って聞いてれば……!!」


 予想外の反撃に怒り心頭の槙野が、長い茶髪を揺らして天使に詰め寄った。後ろで林も彼女を睨みつけている。


「おーい、こんな所で言い合ってる場合じゃ……」


 子供だな、でも自分も少し前までこんな感じだったな、と思考しながら、正宗は制止するように二人の間に手を伸ばし。


 ぺしっ!!!


「……え?」


 それよりも早く、天使が槙野の頬を鋭くひっぱたくのを目撃して、呆気に取られた声を漏らした。


「おま……それ暴力!! 俺が言えたクチじゃないけど!!」


「悪い? うちの故郷じゃ、悪い子は鉄拳制裁が基本よ」


「正気かお前!? Fクラスより下は無えんだぞ!?」


「……ッ。お前、ガチウザいんだけど……!」


 散々煽られてくすぶった火に暴力の油を注がれ、槙野は怒髪天の様子で天使を睨みつけた。


 対して、天使が取った行動は。


「……!? は!?」


 大天使の抱擁。あるいは、バカのフリーハグであった。


「お前、何ッ──」


「そうっ! その意気よ槙野! 捻くれていないで、そうやって毎日心を燃やして一生懸命生きるの! 良くって?」


 さっきまで言い合っていた相手を抱きしめ、涙目になりながら感動と共に激励する。ようやく気持ちが通じ合ったのね──! とでも思っているような様子で。


(……頭が、おかしいだけなのか……?)


 そんな彼女のトンデモな様子を見て、正宗はそんな感想を胸中でこぼした。


 さあー行くわよ! 友情と共に! などと語りながら歩き出す天使をよそに、そして彼は振り返り。


「……なあ焚火。あれどう思う?」


「ええ……王道ですよね! ヤンキーちゃんと不思議ちゃんの百合!」


「まともな奴がいねえ…………」


 なぜか興奮気味の友人を見て、肩を落とすのだった。






 そして、時が少し進み。


「ええー続きまして、今年度の"マーリン杯"の概要について、三年学年主任の私、宮下から説明させていただきます」


 この全校集会の主目的が、"マーリン杯"の事前説明にあったことを、正宗は体育館の床に整列して座りながら知った。


「まず、説明は不要とは思いますが……"マーリン杯"は十数年前から続く、この山倉高校最大のイベントです。その内容は、二年・三年の全クラスによる魔法を使った模擬戦闘。要は、闘技大会と言ったところです」


「……」


 体育館の奥のスクリーンに表示された画像と、ほとんど内容的に変わらない宮下の話を、正宗はあくびとともに聞き流す。


「本大会はまず、二年・三年のA〜Fクラス全てをランダムに第1リーグ・第2リーグに振り分け、6クラスずつの総当たりリーグ戦を行います。そして各リーグで最も成績が良かったクラスが、2つのリーグそれぞれの代表として決勝戦を行います」


 ふと体育館のわきに目をやると、大人の教師たちの列に混じって並ぶ、とんがり帽の子ども教師が、立ちながら寝落ちしかけているのが目に入った。


「二年生は不利に感じるかもしれませんが、過去には二年生のクラスが優勝した例が何度かあります。ですからクラス一丸となって頑張るように……ま、中には初めから残念な結果に決まっているクラスもありそうですが」


「……あァ?」


 その言葉は、よそ見していた正宗の意識を正面に引き戻すには十分なものだった。


「浅井くん、抑えて。ここで言い返しても、余計に印象が悪くなるだけです」


「チッ……分かってるけどよ」


 隣に座る焚火に諌められながらも、正宗はニヤニヤしながら語る宮下や、周囲のくすくすという声に対して、怒りを抑えきれなかった。


 この学校はいつもこうだ。二年・三年のFクラスは落ちこぼれの証、ゆえにこうして教師は、そして他クラスの生徒達も笑いのタネにする。


 そしてその風潮が、最下層に落ちて自信を無くしているFクラスの生徒らにより一層の憂いを与えるのだ。正宗のような、反骨心の強いタイプを除いて。


 その結果が、たった今ここに整列している二年Fクラスの生徒が、16人中9人しかいないという結果を招いている。


「とにかく、落ち着きましょう。ここで怒ったら、それこそ落ちこぼれだと認めることになってしまいますから」


「だよな……」


 ただ、正宗もここは焚火の言葉に従うことにした。


「特に二年Fクラスなんてね。随分若い先生がご担当なさってるみたいですから……ククッ、馬鹿みたいな格好でね」


「テメェ殺されてえかオイッ!!!」


「焚火落ち着け。オタクのキレ方すんな」


 ライター片手に飛び出しそうな勢いの焚火を掴まえながら、正宗はやるせなさそうにため息をこぼすのだった。






「ちょっと。何なのよあれは」


 気分の悪い集会も終わり、体育館の裏の自販機へ飲み物を買いに来た正宗達のところへ、ホワイトゴールドの髪を揺らして天使がやってきた。


「"師に刃向かってはならない"という教義が無かったら、噛みついてしまってたかもしれないわ、私」


 むすっとした顔をして、ローファーで大きな音を立てながら、天使は心底不満気に言った。プライドと自己肯定感が高いのもあって、我慢ならないのだろうと、正宗は胸中で分析する。


「と言っても、あれが現状の私達への評価ですからね。これから変えていくしかありませんね」


「だな。てかとりあえずお前は、もう人のことひっぱたくんじゃねえぞ……ん?」


 言葉を交わす最中、政宗の視界にある女子生徒が写り、彼は足を止めた。


「浅井くん?」


「あれは、槙野……何してんだ?」


 体育館裏でこそこそと話す少女。さっき言葉を交わしたばかりの茶髪の生徒を見据えながら、正宗は歩いて行く。


「大輔、探したよ! ね、チャットなんでずっと返事してくれなかったの? 何かあった……?」


(うわ、なんか声作ってる……)


 先ほど自分と話した時とは違う、わざとらしい高い声に、正宗は嫌悪感を抱いた。


(……って)


 だが、その理由はすぐに分かった。槙野の話し相手──それが、彼女の恋人だったから。


 どうやら、しばらくコミュニケーションできていなかった別クラスの彼氏を、この体育館で見つけて駆け寄ったらしい。


(そういや田辺のやつ、去年から彼女がどうこうって話してたな……)


 去年の正宗のクラスメイト、田辺大輔をどこか懐かしみながら、一生懸命彼に話しかけている槙野を邪魔してはいけないと思い、彼はその場を去ろうとした。


「……あぐっ!?」


「?」


 立ち去っていただろう。


 田辺が、槙野を殴る音が聞こえてこなければ。


「うっせえな……ブロックしたこと気づいてねえのかよ。さすがFクラスだな?」


「だ……大輔……?」


「気安く呼ぶんじゃねえよ!」


「ッ……!?」


 転んだ槙野を田辺が踏みつけるのを見て、正宗はとうとう我慢できなくなった。


「おい! 田辺テメェ、何……を……?」


「あ? おっと、浅井じゃん。久しいな」


 田辺はまるで旧友を見つけたかのように、喜ばしそうな顔で正宗を見た。


「だいすけー、誰?」


「あー、気にすんな。去年のクラスメイトだよ」


 そんな彼が、近づいてきた1人の女子生徒と言葉を交わした。


 互いに肩を寄せ合いながら──まるで、恋人かのように、槙野の目の前で。


「お前……槙野と付き合ってるんじゃねェのか!?」


「は? ぷふっ、おいおい……浅井お前さ、ゲームで自分のステが下がる装備をわざわざ付け続けんのかよ? 捨てるだろ、普通?」


「なっ……!?」


 正宗はその言葉に驚愕し、思わず視線を落とした。


 そこにうずくまり俯いている槙野が、どんな表情をしているか。顔が見えずとも、正宗には容易にそれが分かった。


「そういうこと。じゃあなー槙野。お前はせいぜいご学友の浅井クンとでも、傷を舐め合ってな」


 槙野のことを自らの装飾品としか思っていなかった男は、あっさりとそう言い捨て、その場を去った。


 正宗は彼を追わなかった。追えなかった。こんなクズがこの世にいるのか──そんな驚愕と怒りが混じり合った感情が胸の中でぐしゃぐしゃになって、逆に体が固まってしまったから。


「あー! 正宗くん、何してるんですかこんなトコで! もうっ、6限は先生の授業なのですよー?」


「……キリカ先生」


「?」


 体育館の表側から顔を出してきたキリカは、正宗の額に汗が浮かんでいるのを見て、すぐに様子がおかしいと悟った。


「って……槙野さん!? 大丈夫なのです!?」


 そしてうずくまり泣いている教え子を見つけ、彼女は大慌てで駆け寄ってきた。槙野の隣にしゃがみ込み、顔を覗き込む。


「槙野さん……? 辛いことがあったら、先生がいつでも──」


「うっせえ!! ガキに何がわかんだよッ!!」


「きゃっ……」


「おいッ、槙野!!」


 キリカを強く突き飛ばしながら駆けて行く槙野の名を、正宗は強く呼んだ。


「…………大好きだったのに…………!」


 だが、そう呟く声が聞こえて、それ以上は何も言えなかった。彼女の悲しみに対して、友達でもない自分にできることは、何もないような気がした。


 そうして、悲しい静寂だけが体育館裏に残り。


「…………美しくないわね」


 静かに怒りを燃やす、聖なる淑女が立ち上がった。

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