第7話 朝、撫でられて
意識が、ゆっくりと浮上してくる。
それは、水中から水面に顔を出すような、穏やかで、心地よい覚醒だった。
何かに、包まれている。
何かに、守られている。
そして、何かが、わたくしの頭を、優しく、繰り返し…
(…撫でられて、いますわ…?)
感覚が、最初に覚醒した。
サラサラの髪を優しく
昨夜、わたくしが求めた、あの体温。
リリアは、ゆっくりと目を開けた。
視界いっぱいに広がったのは、ゆるふわのボブヘアーと、優しいミルクティー色の肌。
至近距離。
昨夜、桜庭みるくの腕の中に飛び込んだ、まさにその体勢のまま、眠っていたのだ。
(夢、じゃ…なかった…)
みるくの規則正しい呼吸。その胸の、柔らかな起伏。
リリアの全身は、みるくの熱で、芯まで温められていた。
緊張も、不安も、不足感も、何もない。
ただ、完璧な充足だけが、そこにあった。
「ん…」
リリアが身じろぎすると、頭を撫でていた手が、ぴたり、と止まった。
リリアが顔を上げると、すぐそこに、みるくの顔があった。
目は、もう開いていた。
とろけるように優しい瞳で、みるくはリリアをずっと見つめていた。
「(ささやき声で)…あ、起こしちゃった? おはよう、かわいい人」
リリア:「(かぁっ)…!?」
「かわいい人」。
朝一番に、そんな破壊力のある言葉を浴びせられ、リリアの体温がさらに一度上がる。
「お、おはよう、ございます…みるくさん…」
「ふふ。よく眠れた?」
「はい…。生まれて、初めて…あんなに、ぐっすり…」
「よかったぁ。私、リリアちゃんが腕の中にいると思ったら、幸せすぎて、あんまり眠れなかった」
「えっ」とリリアが顔を上げると、みるくは「嬉しくて、だよ?」と笑って、リリアの頬を優しく撫でた。
カーテンの隙間からは、祝福のような朝の光が、白いシーツの上に帯を作っている。
これが、現実。
これが、二人の「甘やかし生活」の、最初の朝。
「さて、と。そろそろ起きようかな。お腹すいちゃった。ずっと撫でていたいけど、リリアちゃんに、美味しい朝ごはん、作ってあげないと」
みるくが、そう言って、リリアを抱く腕の力を、ほんの少し緩めようとした。
その、瞬間。
リリアは、昨夜、自分の中で完全にタガが外れた「甘えの本能」に従い、行動した。
「…いやです」
「え?」
リリアは、ぎゅう、と。
みるくのパジャマを掴み、その胸に顔をさらに深くうずめた。
「(くぐもった声で)…起きれませんわ…もっと撫でて下さい…」
「(きょとん)…え?」
「みるくさんが、撫でてくれないと、わたくしはもう、指一本動かせません…」
昨日までの、あの完璧なお人形の仮面はどこへやら。
そこにいたのは、甘えの天才(本領発揮)と化した、一人の少女だった。
みるくは、一瞬、呆気に取られたような顔をしたが、次の瞬間。
その顔は、喜びと、どうしようもない愛しさに、くしゃり、と崩れた。
「(くすくす)…あははっ! しょうがないなぁ、リリアちゃんは!」
みるくは、リリアの要求を100%以上の形で受け入れた。
「うん、わかった。じゃあ、リリアちゃんが起きられるまで、それか、トロトロに蕩けてしまうまで、ずーっと撫でててあげる」
「……それだと、一日中起きれませんわ…」
「あはは、それも幸せかも。…でも、お腹すいちゃうね」
みるくは、リリアの背中に腕を回し、優しく、しかし、有無を言わさぬ包容力で、リリアの体を自分ごと抱き起こした。
「じゃあ、撫でながら起こそっか」
リリア:「(!)」
みるくは、リリアを正面から抱きしめたまま、器用に上体を起こす。
リリアは、まるでコアラの子のように、みるくの体に密着したまま、ベッドの上に座る形になった。
「(わしゃわしゃ)これならどう? 起きられたし、撫でられてる」
「(むぅぅ)…これなら、まあ、許容範囲、ですわ…」
「はいはい。じゃあ、顔洗って、歯磨きしないとね。立てる?」
(もちろん立てますが、もう一押し甘えたいですわ)
「……立てません。連れて行って下さいまし」
「(満面の笑み)はい、喜んで」
みるくはリリアに抱きつかせたまま、両方の太ともの下に腕を入れて、ひょいと抱き上げ、すたすた洗面に向かう。
これが、二人の最適補完。
リリアは「甘える」ことで自分の弱さ(一人で起き上がれないほどの依存体質)を隠さない。
みるくは「甘やかす」ことで自分の強さ(それを全て受け止める包容力)を、自己犠牲ではなく喜びとして発揮する。
依存の「負の側面」は、ここには一切ない。
ただ、完璧な「正の相互補完」だけが、朝の光の中で輝いていた。
***
二人は、まだ少し眠そうに目をこすりながら、寝室を出た。
洗面所で並んで歯を磨き、顔を洗う。
鏡に映る二人の姿は、まるで長年連れ添った姉妹のようであり、あるいは、それ以上の「何か」だった。
「よおし!」
みるくは、ぱん、と頬を叩くと、さっそく、昨日完璧に整頓したキッチンに向かった。
そして、あの、お揃いのマグカップを取り出す。
「リリアちゃん、先にソファで待ってて。温かいミルクティー、淹れてあげる」
「はい!」
リリアが、ふかふかのソファにちょこんと座る。
すぐに、キッチンから、幸せそうな鼻歌と、やかんの沸騰する音、食器の触れ合う生活の音が聞こえ始めた。
やがて、甘く、優しいミルクティーの湯気が、リビングに漂い始める。
それは、二人の「甘やかし生活」が、確かに確立されたことを告げる、象徴の香りだった。
みるくの家事能力が、今まさに、炸裂しようとしていた。
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