第8話 聖女の裏切りの理由

「すみません。実は、俺にも分からないんです」


 バートは苦笑を浮かべて、胸の痛みを誤魔化した。


〈ありゃりゃ?〉

〈そうなんですか?〉

〈てっきりバートさんは知ってるのかと思ってた〉


 コメント欄も拍子抜けしたように騒つく。


「あのときは、アドリエンヌが発動した殺戮魔法が迫っていました。対話する時間もない中、あの子から引き出せた言葉は一言だけ——『私の願いのため』というものでした」

「願いの、ため……」


 エステルが考え込むように繰り返した。


〈人類を滅ぼす事で叶う願い?〉

〈あっ……〉

〈魔王「人類を殲滅すれば家族を生き返らせてやる」〉

〈おいおいおいwww〉

〈学者先生たちの説が補強されたwww〉


 コメント欄が盛り上がる。


〈マジで私欲のために全人類を殺そうとしたのかよ〉

〈怖すぎ〉

〈ヤバい女じゃん〉

〈でも、アドリエンヌ王女って聖女でもあったんですよね?〉

〈心優しい少女だったと大賢者様は書き残していました〉


「そうですね。あの子は毎日平和を祈って過ごしていました。癒しの魔法を歌声に乗せて世界中に届けたりと、頑張っていたはずだったのですが……」


 自身の声を全世界の人々に伝える、聖女の固有魔法『天の声』。

 それを使って回復効果を帯びた歌声を広く届ける事が、聖女たるアドリエンヌの務めであった。

 少しでも、傷つき心を削る人たちの支えになれたら——と、アドリエンヌはいつもそう言っていた。

 けれども彼女は、突然魔王側に寝返った。

 何の前触れもなく、全人類の殺戮を宣言した。


〈心優しいのに人類滅ぼそうとするとか矛盾してね?〉

〈魔王に洗脳されていた可能性は?〉

〈王女様もしかして操られてたのかな〉

〈無知説の次に有力視されてるやつだね〉


「確かに、魔王は人間を操る力も持っていました。なので、その可能性が絶対なかったとは言い切れません。ただ……」


 バートは口では否定せずとも、首を横に振った。


「聖女が有する『女神の加護』は、魔王からのあらゆる干渉を無効化する力を持っていました。これはアドリエンヌが女神フロース様から聞いたそうなので、確かだと思われます」


 聖女とは、人間で唯一『女神フロース』——人間の守護神と交信できる存在であった。

 アドリエンヌが『女神の加護』の話を聞かせてくれたのは、バートが彼女と出会ったばかりの頃。

 彼女が純粋に世界の平和を願っていた頃だから、加護の話が嘘だったとは思えない。


〈あらゆる干渉を無効化?〉

〈何それ無敵チートじゃん!〉


「ええ。だから魔王は、たった一つの例外的状況を除いて、アドリエンヌに手を出す事だけは絶対にできなかったはずなんです」


〈それでも例外があったの?〉

〈アドリエンヌ王女はその例外を突かれたのでしょうか?〉

〈だったらまだ救いがある?〉


「……あれば良かったんですけどね」


 バートは苦笑を無理やり作って視聴者に答えた。


「『女神の加護』は常時発動している防御機構ですが、その制御は聖女自身にありました。つまり、アドリエンヌが自分でオンオフを切り替えられたんです」


〈自分でオンオフ……?〉

〈あっ……〉

〈まさか……〉


「そうです。アドリエンヌが自ら受け入れた場合に限り、魔王は彼女に干渉する事ができる。だから、アドリエンヌが魔王に洗脳されていたのだとしても、それは彼女自身がそう望んだからに他ならないんです」


〈そんな……〉

〈いずれにせよ自分の意志で裏切ったって事か〉

〈やっぱり悪女じゃん〉

〈同情はするけど、それで人を殺すのはダメだよな〉


 視聴者たちのコメントが、バートの胸にも突き刺さる思いだった。

 女神が聖女たるに相応しいと認め、自身の力を分け与えた人間の少女。

 それが、アドリエンヌ・テア・カメリアだったはずなのに。




☆—☆—☆




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