一目惚れしてくれたらしい辺境伯に嫁いで溺愛されていたのだけど、旦那様の元気が無くなっていく。思っていた妻と違ったのかも。
Tsuruka
第1話
「辺境伯に嫁いでもらおうと思うんだけど、いいかな」
「はい……」
学園を卒業してすぐのこと。
両親が亡くなってから引き取られていた家で、叔父が汗をかきながら言った。
叔父は悪い人じゃない。けれど叔父の奥さんや娘さんにとっては私は邪魔な存在だった。ずいぶんと疎んじられてしまったけれど、板挟みになっていた叔父はずっと困っていた。これでやっと、やっかい払いが出来るのだろう。
「いままでお世話になりました」
身元を引き受けてくれて助かったけれど、三年お世話になったこの王都の屋敷に、私の居場所はなかった。
(辺境伯……)
これはきっと、若い娘にとってはあまり嬉しい婚姻ではないんだろうな。
王都から遠い遠い、北の凍える大地を治める辺境伯からの結婚の打診。
辺境の噂は学園時代に聞いたことがあった。あまりいい噂じゃない。
時折山から魔物が下りて来て村を襲うため屈強な騎士たちが戦っているのだと。生徒たちは、辺境の地を語るとき、いつも現実ではないお伽噺の話をしているようだった。長く戦争もない平和な王都で、魔物も騎士たちの争いもピンと来ないのだろう。
(そんな厳しい土地で……少しでも私にも出来ることがあるかしら)
私にはずっと居場所がない。
両親が亡くなってから、寄る辺なく生きている。
従妹もいる学園で、親しい友人は作れなかった。上手くツテも持てず家を出て暮らせる仕事なども探せなかった。
寂しい、と時々思う。
両親を恋しく思うからなのか、親しい人がいないからなのか、分からない。
(……人の役に立ちたいわ)
もう誰でもいい。誰かに必要だと言われてみたい。そんな風にも思ってしまう。
18年暮らして来たこの王都から、少しの荷物だけで存在を消してしまえるくらい、今の私はちっぽけな存在なのだ。
健康な肉体の、子供を多く産む花嫁を求められているだけなのだとしても。
嫁ぎ先で、少しでも役に立てますように。そう思いながら、私は辺境へ旅立つことになった。
少しでも良い人間関係が築けたらいいのだけど……せめて、辛くあたられた叔父の家より住み心地が良い場所になればいい。
そんなことを悶々と考えながら、数週間の馬車の旅を経てたどり着いた辺境の地で、夫となる人が出迎えてくれた。
「やっとお会い出来た。あなたをずっとお待ちしていました」
アーサー・ホワイトヒルと名乗るその人は、私より三つ年上。
背がとても高く、逞しい体つきをしていた。まさに『屈強な騎士』のイメージ通りの肉体。
だけど、顔立ちがとても整っている。北の地の民特有の白い肌、切れ長の青い瞳、銀色の長い髪を後ろで束ねている。王都の貴公子にだって、これほど美しい人を見たことがない。
思わず、ぽうっと見上げてしまった。
現実感がない。例えて言うならば、物語の中のお姫様の騎士に出逢ったよう。
(こんな素敵な方なのに……噂にも聞いたことがないわ)
彼は優し気に笑うと、恭しく膝を突き、私の手の甲に口づけを落とす。
「デビュタントの夜会でお会いしたときから、あなたに恋い焦がれていました。こうして我妻に迎え入れられるなど夢のようです。生涯をかけてあなたをお守りいたします……ブランカ」
真っすぐに私を見上げる青い瞳に偽りは感じられない。
(……これは一体どういうこと?)
デビュタントの夜会?会ったことはないと思うけれど?
頭の中はハテナでいっぱい。
けれど彼の手は温かくて、外気は涼しくて。ここは、遠い北の地で。……私は彼の妻になる。
少しの現実感もないままに、想像とはまるで違う辺境での生活が始まった。
到着した日は晩餐後すぐ就寝。
結婚式は三日後。それまでに体調を整えておくように、とのことだった。
翌朝はメイドたちが丁寧に敬意を持って身支度を整えてくれた。
「素敵な奥様を迎え入れられて皆とても喜んでおります」
「ええ本当に。どんなことでも申し付けてくださいね」
「こんなお綺麗な方を見たことがありません」
北の色素の薄い民と違い、黒髪黒目、くっきりとした目鼻立ちをしている私はここでは少し目立つようだ。けれどそれにしても、王都では埋もれるような容姿、そこまで言われるほどじゃない。
「あ、ありがとう……」
お世辞なのかしら?気を遣っているのかしら?優しい気遣いなのだとしても、ただただ恐縮してしまう。
朝食の席で伴侶となる人に聞いた。
「あの……私たちお会いしたことがあるんですよね」
「ああ、でもきっと君は覚えていないよ。廊下で少しぶつかってしまってね。その時、君が優しい言葉をかけてくれた。それが忘れられなかったんだ」
廊下でぶつかる?
考えてみたけれど、記憶には何も残っていない。この人のご尊顔を見ていたなら忘れることもないはずだ。本当に一瞬の出来事だったのかもしれない。
「ごめんなさい。覚えていなくて」
「いいんだよ」
ぶつかったときに言うことなんて、謝罪の言葉くらいだろうに。
そんな社交辞令の言葉のようなものが、旦那様の心に残っていたのかしら。
思っていたよりもずっと、運命的な出会いなどからは程遠いようだ。
「旦那様、私に出来ることはありますか?」
「大丈夫だよ。まずはゆっくり休んで。きっと疲れているはずだよ。少しずつここの暮らしに慣れてから……そのあとはそうだね、みんなで冬ごもりの準備をしよう。吹雪の酷い時期は外に出られなくなるんだ。僕は毎日君と居られるようになるから、今から待ち遠しいのだけどね」
満面の笑みでそんなことを言われてしまうと、疑いようのない純粋な好意を向けられているような、そんな錯覚をしてしまう。出逢ったばかりでそんなことはありえないのに。
「でも……何もすることもないですし」
「気負わなくていいんだよ。君が来てくれただけで、皆喜んでいるんだ」
困ってしまった私を見つめていた旦那様は、思いついたように言った。
「これから訓練なんだ。元気そうだったら、良かったら、おいで。ブランカをみんなに紹介しよう」
「はい」
屋敷裏の訓練場に集まるホワイトヒルの騎士たちは、都会では見たことがないような鍛えられた体をしていた。
「団長奥方様ですか!」
「おめでとうございます団長!」
「お綺麗な方ですね。素晴らしい方ですね!!」
騎士たちにも歓迎され、また私は少し困ってしまう。どうしてここの人たちは何も出来ないよそ者の嫁を受け入れてくれるのだろうか。
肌寒いため、日の当たる場所に椅子を置いてもらい、そこで見学をした。
彼らの真剣な眼差しを見ていると本格的な戦闘訓練に思えた。争いに慣れているのだろうか。
「退屈ではないですか?」
「え……いいえ」
訓練を見学していると、副団長であるリチャードさんが話しかけてくれた。茶色の短髪に、精悍な顔立ちの若者だ。にこにこと友好的な笑顔を向けてくれる。
「これは魔物討伐を想定した訓練です」
「魔物……」
「北の山に生息しているのです。けれど心配しないでください。団長……アーサー様はとてもお強いのです。決して魔物をここに近付かせることはありません」
噂に聞いていた魔物は、本当にこの地を脅かす存在らしい。
けれど私は心配になる。騎士たちはみな体に傷跡を残している。魔物とは相当強い存在なのではないだろうか。
「本当に……アーサー様は、他の騎士たちと比べようもなく、お強い。だからこそ、一人、この地を背負われて戦われるお姿を、皆心配しておりました。ブランカ様が、アーサー様の帰る場所になってくださることが、私たちも本当に嬉しいのです」
「……」
私にはまだ現実感がない。魔物。討伐。戦う領主。旦那様の帰る場所に、私はなれるのだろうか。
「私に出来ることならば……」
帰る場所になること。
これが私の、ここでの役に立てることなのだろうか。
彼の親類と、団員や屋敷の人たちに祝福されて、小さな結婚式を挙げた。
「アーサーの想い人を迎え入れられて本当に嬉しいんだ」
「君たちを心から祝福するよ」
「どうか幸せにね」
「困ったことがあったら何でも言ってね。相談に乗るわ」
「ご結婚おめでとうございます!アーサー兄様を宜しくお願いします!」
「団長に祝福を!!ご結婚おめでとうございます」
なぜ大歓迎なのか分からずに、やっぱり終始首を傾げてしまった。
出逢ったこともない彼の親類までも、娘のように接してくれる。使用人たちもとても優しい。にこやかで、私を敬ってくれる。
(アーサー様なら選び放題だろうに……本当に私で良かったのかしら)
何も持たない私ではなく、もっといい人もいただろうにと思えてしまう。
けれど、婚姻はなされてしまった。ならば、健康だけは自慢の私は、妻としての役目を果たさなくては。
その夜、旦那様は言った。
「ブランカと結婚することが出来たなんて、夢のようです」
「アーサー様……」
「どうかアーサーと。ブランカ」
「アーサー……」
「ああ、本当にとても嬉しい。あなたが妻だなんて!恋い焦がれた人と結ばれることが出来る幸福な男がどれだけいると思いますか?僕は急ぎません。少しずつ、望んでくれるというのなら……夫婦になっていきましょう」
「あのアーサー。わたくしは、ずっと夢を見ているみたいで」
「夢?」
「騙されて……いえ、何か都合の良い夢を見ているような気持ちなのです」
「夢ではないですよ。大丈夫です、ゆっくり時間を掛けて……」
「なのでこれは現実なのだと教えてもらいたいのです」
「……え?」
「今夜は初夜です。わたくしが妻なのだと、教えてください」
「え、……いや、いや?えっ!?」
顔を真っ赤にし動揺した旦那様は「待って」「まだ君の気持ちが」「心の準備が」「あの僕も初めてで」「理性が」「抑えられないから」と次々とまくし立てていたけれど、長い夜の間に説得し、無事に初夜を終え、名実ともに私は彼の妻になった。
(とてもとても……優しかった。彼は全身全霊で私を求めていると、私は愛されていると……そう思えた)
それからの日々も、穏やかな時間が続いた。
『都会から来た綺麗な奥様』として、皆が私を歓迎してくれる。毎日、敬ってくれて、大事にしてくれる。それは夫も変わらない。大切な宝物のように私に接してくれるのだ。
「体は大丈夫?寒くないかい?」
「ええ」
「これから冬が来るんだ。少しでも辛いことがあったら言うんだよ」
アーサーは私を抱きしめながらそんなことを言う。
そっと私の頭を撫でる手つきはとても優しい。
彼の腕の中はとても居心地のいい場所で、私は少しだけほっと息が出来る気がした。
それでもいつまで経っても、どうにもこうにも現実感が湧かない。やっぱりなにか騙されているのではないか……と不安がよぎる。
そんなある日のこと。
「魔物が現れました!!」
屋敷の中が騒然として、騎士たちがすぐに山のふもとに発つことになった。
「いいかい、この屋敷には結界が張られている。ここで待っていれば安全なんだ。心配はいらないから、戻ってくるまで、待っていてくれ」
「お気を付けて旦那様……」
魔物とはどのような生き物なのだろう。どれほど強いのだろう。彼らは幾たび戦ってきたのだろう。
苦しいほど旦那様たちの無事を祈りながら、三日ほど過ごしたころ、騎士たちが帰還した。
「ご無事ですか……!」
「奥様」
「はい!魔物は無事討伐致しました!」
みんなぼろぼろの姿で傷を負っている者もいる。アーサーはどこだろうか。そう考えていると、一番後ろから一人馬に乗って戻ってくる姿が見えて――一瞬、ぞっとした。
私はその時……真っ赤な、悪魔の化身を見たのではないかと思ってしまったのだ。
とても険しい顔つきをしていた。今にも人を殺しそうな……冷たい眼差しが、どこか遠くを見つめている。
そして全身が血濡れていた。髪も顔も服も、全てが血に染まっている。
まるで威圧されているかのように、見ているだけで息が吸えなくなる。彼の周りだけ空気が違う。人ではないかのような張り詰めた空気を纏っている。
「――っ」
私がそう感じているだけではないんだろう。団員達も彼を遠巻きにしている。彼はたった一人遅れて馬を歩かせているのだ。
声が掛けらず立ち尽くしていると、副団長のリチャードさんが気遣ってくれた。
「団長……奥様です」
「……ああ」
どこかぼんやりと私に視線を移したアーサーは私を無表情に見つめてから少しだけ表情を緩めた。
「……ただいま」
「お、おかえりなさいませ。あの、お怪我は」
「ああ……心配ない。返り血だ」
心臓が煩いほどに鼓動を打つ。彼が戦士であることを、魔物と戦う領主であることを、今初めて実感したのだ。私が見て来た優しい彼は、きっと穏やかな日々の中だけの仮初の姿だったのだと。
その夜。
旦那様は、いつも以上に私を求め、優しいながらも激しく私を抱いた。朝まで何度も。
荒ぶった心を抑えるように。戦いを終わらせるように。愛と快楽の中で、人の姿を取り戻そうとするように。
やっと旦那様が眠りについてから、私は旦那様の安らかに眠る顔を見つめた。
ふぅ、とため息を吐いてから目を瞑る。体が熱い。切なくて哀しくて。何故こんなにも感情が溢れるのか分からない。
けれど私は、辺境に来てから初めて、やっと現実感を得られた気がした。
ここは王都から遠い……厳しい辺境の地なのだ、と。
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