第28話 海上都市リューグー

 潮の匂いが濃くなったのは、輸送リニアの終端が近づいてきた頃だった。先行して派遣された赤位探索者一組の“失踪”の報を受け、私含む『光焼く翼』一行は、南沿岸の海上都市に向かっている道中にある。


 サンライズ王国では、都市間を結ぶ長距離移動にはこの“輸送リニア”が使われる。魔力を帯びた軌道の上を、浮遊板が滑るように進む――名前のとおり、魔導式の高速列車だ。王都から南沿岸まで、半日とかからないのだから、本当に便利になったと思う。


 ただし、これが使えるのは都市と都市の間だけ。

 各街の中心部は、古い都市計画の影響で、もともと“馬車の往来”しか想定されていない。もっとも、今となっては本物の馬はほとんど使われない。馬糞処理の問題や匂いの関係で早々に廃れ、今街を走っている馬車は――正確には、「馬型の魔導ゴーレム」が牽引する無臭の輸送台車だ。見た目は昔ながらの馬車なのに、足音が静かすぎて少し違和感があるのはご愛敬だ。


 リニアは街の外縁までしか入らないため、そこから先は徒歩かゴーレム馬車で移動する。私たちは今回、装備が多いためゴーレム馬車を選んだ。


 車体が減速し、車窓の向こうに海が広がっていく。

 青灰色の水面が、朝の光を受けてゆっくり揺れていた。


 南沿岸――サンライズ王国の最南端に浮かぶ海上都市、リューグー。

 海に張り出すように造られた都市で、陸と海とを繋ぐ桟橋の先に、低く並ぶ建物群が見えてきた。海の上にかすむその街並みは、遠目からでもどこか静かで、眠っているように見えた。


 輸送リニアが停車し、扉が開く。

 潮風が一気に流れ込んできて、思わず目を細めた。

 ――海の匂い。

 王都では感じられない、重く、どこか金属のような香りが混じっている。


「ほら、あれ。全部浮いてるんだって」

 ラナが感嘆の声を上げる。

「下は魔力構造体。潮の流れに合わせて微調整してるらしいよ」

 氷雨が笑い、外套の裾を押さえた。風が思っていた以上に強い。潮気が肌にまとわり、髪の先がすぐに湿る。


「……潮風って、やっぱり重いですね」

「瘴気も混じっておるようじゃ」

 リディアが眉を寄せる。

「ただの潮ではあるまい。魔力の流れが、少し乱れておる」


 港の入り口には検問所が設けられ、警備兵が通行者の記録を取っていた。

 王都発の使節であることを告げると、彼らはすぐに通してくれた。

 どうやら私たちの到着は既に知らされていたらしい。


 桟橋を渡ると、街のざわめきが一気に近づく。

 魚を焼く匂い、海草の乾く音、遠くで子どもが遊ぶ声。

 それらが確かに「日常」なのに、どこか薄い。


「活気はあるけど……ちょっと静かだね」

 氷雨がつぶやく。実は、私も同じ感覚を覚えていた。

 人々は働き、笑っている。だが笑顔の奥に、何かを恐れているような影がある。


赤位せきいの探索者が一組、消息を絶ったそうです」

 私は記録書を見ながら言った。

「公式発表では“失踪”ですが、海上での調査中とのことでしたので恐らくは……」

「海の魔物、かのう?」

 リディアが疑念を持った音色で言う。

「それも赤位の探索者パーティが消息を絶つ程の魔物…ダンジョン外ではそれこそ名の知れたレベルの高位の魔物でないと説明がつかんわ」


 探索者の活動は、言うまでもなくダンジョンを中心としている。

 外にも魔物は棲むが、たとえ同種であっても、ダンジョン内の個体のほうが圧倒的に強い。ゆえに、通常は赤位以上の探索者が外で任務に就くことはほとんどない。それでも赤位が派遣されたという事実は、この都市を脅かす異常がそれほど深刻である証拠だった。


 そして、その赤位の探索者すら消息を絶った――危険度はもはや、封鎖区域ダンジョンの探索に匹敵すると見ていい。


 エルドは頷き、周囲を一瞥した。

「依頼内容は『都市近海に発生する異常瘴気の調査及びその根絶』。今回はダンジョン外任務です。瘴気の出所が海にある以上、対応は通常探索よりも難しいでしょう。」

「でも、ダンジョンの階層主よりは可愛いもんでしょ?」

 ラナが笑う。

「外の魔物は同じ魔物でも弱いからね」

「そう言い切れればいいがな」

 ヴァルクが短く返す。

「瘴気の流れは“沖”に向かっている。もし海中に源があるなら、その常識は通じん」


 彼の言葉に、私は自然と海を見た。水面は穏やかで、陽光を反射していた。けれど、確かにそこには沈むような重みがある。理の流れが、どこかで止まりかけている――そんな感覚だった。


 街の中心部に入ると、瓦屋根の上に海鳥が並び、鐘の音が遠くから響いてきた。リューグーは漁業と海上交易で成り立つ都市で、朝から晩まで船が出入りしている。ただ、今は桟橋の半分以上が閉鎖されていた。波止場の木板には焦げ跡のようなものが残り、魔力の反応が微かに漂っている。


「魔物の襲撃跡ですね」

 オーリスが跪き、板に手を当てる。

「瘴気の濃度が高い。港の封鎖は正しい判断です」

「とはいえ、このままでは物資が止まります」

 エルドが地図を広げる。

「海路を封じられたら、この都市は十日と持たず干上がるでしょう。だからこそ今、王国が動いた」


「……つまり、私たちが早めに何とかしないといけないってことね」

 ラナが肩を回す。

「ま、出発は明日でもいいでしょ。今日は街を見ようよ」

「観光か?」トゥリオが小さく首を傾げる。

「情報収集です」ラナは胸を張った。

「ね、クー子?」

「ええ。せっかく来たんです。街の空気を見ておきましょう」


 リディアが笑う。

「それが探索者らしい好奇心か、それとも観察眼か……見ものじゃの」


 夕刻の市場は、潮と香辛料の匂いに満ちていた。

 露店では焼き貝、干し魚、海藻を煮たスープ。

 どれも庶民的で、温かい香りがする。

 だが、客の数は少ない。漁師の姿も見えない。


「船が出せんと、街はこうも変わるか」

 リディアが寂しげに呟く。

「港の灯が減ると、人の心も沈むものじゃ」


「それでも食べ物は美味しいね」

 ラナは貝串を手にして頬を緩める。

「これ、クー子も食べる?」

「いただきます」

 口に含むと、潮の旨味が広がった。

 燻したような香りが鼻を抜け、懐かしい味がした。


「……おいしい」

「でしょう?」

 ラナが笑い、氷雨が横で小さく拍手をした。


「ねえ」氷雨が視線を海へ向ける。

「沈む太陽、見える?」

 遠くの水平線に、金色の光が沈んでいく。

 雲が茜に染まり、波間で揺れていた。


「……綺麗だね」

「うむ。海というのは、どこか儚くもあり、強くもある」

 リディアの言葉に、私は頷く。

「理の境界を溶かす場所、ですから」


 ヴァルクが少し離れた場所で、港の封鎖線を観察していた。

 彼の掌に光る刻印が淡く揺れる。

「……呪具の反応もある。自然発生ではないな」

「というと?」

「誰かが“呼び出した”形跡がある。呪詛の残滓が潮に混じっている」


 その言葉に、エルドが警戒を露わに反応した。

「人為的、ということか」

「可能性は高い。だが意図までは読めん」


「明日、封鎖線の外へ出よう」

 私は言って、続ける。

「直接、潮の流れを見てみたい」

「いいね。どうせ海風で焼けるし、ついでに日光浴でもしよう」

 能天気にラナが笑い、氷雨がすかさず「焼けたら罰ゲームね」と返す。

 そのやり取りに、リディアがくすくすと笑った。


「明日の出発は早い。各自、装備の確認を」

 エルドが一言で場を締めると、皆が頷いた。

 その声の背後で、波がゆっくりと砕ける音がした。

 海の底から、何かが呼吸しているような気がする。

 ――“呼吸のような揺らぎ”。ヴァルクが王都で言っていた言葉が脳裏をよぎる。


 海風が頬を打つ。

 海上都市リューグーは、美しく、どこか脆い。

 陽が沈みきった瞬間、港の灯が一つ、ぱちりと消えた。


 その暗がりの奥で、かすかに瘴気がうねった気がした。


 ――風は潮を運び、潮は理を濁す。

 人の営みと理の歪みは、いつだって紙一重だ。

 私は杖を握り、静かに夜の気配を見つめた。

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