第16話 理を越える交差
<白礫の洞>第五層の奥地にて、光が反転した。
さっきまで裂け目の先へ進んでいたはずなのに、視界の縁がねじれ、天井と地面が入れ替わる。一歩踏み出すごとに、空気の密度が変わっていく。
「……これ、位置が……おかしいね」
ラナが警戒を込めて呟いた。
地面の岩質が違う。白色の岩壁だったはずが、いつのまにか黒曜石のように光を返している。この地層でそんな変化はあり得ない。
「転移ではない、と思う。空間そのものが……繋がってるね」
氷雨が指先を走らせ、霧の流れを読む。
「けど、座標が合ってない。別の系統の空間と干渉してる」
「別の……ダンジョン?」
私が呟くと、氷雨は小さくうなずいた。
「うん。似てるけど、魔力の波が違う。
少なくとも〈白礫の洞〉の延長じゃないね」
思考が止まる。
そんなこと、起きるはずがない。
ダンジョンはそれぞれ独立した空間構造で、干渉は起こりえない。
けれど――今、私たちの足元では、まるで世界が縫い合わされているようだった。
「……罠ね」
私は口を結び、杖を握り直す。
「空間干渉の罠。定員超過を起こしてる」
「内部の探索者数が上限を越えたときの再構築反応か」
トゥリオの声は落ち着いている。
「ええ。普通なら魔物の密度を上げたり、層を圧縮して内部を狭めたりする。
でも今回は――複数の経路を繋げて、強制的にひとつの空間にしてる」
「なんにせよ、ダンジョンが僕たちを敵として認識してるってことだね」
氷雨の声は柔らかく、それでいて冷静だった。
次の瞬間、壁が鳴った。
腹の底を叩くような低音が響き、内部がうねる。
白い脈の走る黒曜の床が微かに沈み、硬質な軋みを立てた。
「……揺れてる。構造そのものが噛み合ってないね」
氷雨の声が震えた。
壁の縁を瘴気が這い、青白い光が走る。
きらめくというより、傷口が光を漏らしているような明滅。
足元の石板が一度沈み、すぐに押し返してくる。
「…環境が変わるぞ。注意しろ」
トゥリオが短く言う。
その言葉を裏付けるように、冷たい風が吹き抜けた。
鉄と灰の匂いを帯びた湿った空気。
瘴気を孕んだ風が、
* * *
「――静かになったね」
氷雨が呟いた。
足元の揺れが収まり、震動が途絶える。
けれど、その静けさは安堵ではなかった。
空気が重く、息を吸うたび喉が軋む。何かが混ざっている。
「……温度が下がってる。少し寒いね」
ラナが肩を抱く。
「瘴気の濃度が…今までの比じゃない…」
氷雨が《
霧が一瞬で濁り、ざらついた光を放つ。
「――これは、不味い」
私は息を詰めた。
「魔力が空気に弾かれる。……ここで付与は長くもたない」
言いながら、喉の奥が焼ける。
瘴気の粒が光を反射して、宙を泳いでいた。
まるで空間そのものが、呼吸を拒んでいるみたいだ。
「杖に“光”を付与――浄化、三歩圏内」
光が広がる。けれど、すぐに崩れた。
輪郭が歪み、粉々に砕けて消える。
理が噛み合っていない。
「……効かないのかな」
ラナが悲しい顔をした。
「効いてるけど、持たない。空気が光を押し返してる」
私は短く答えた。
杖を構える手が痺れる。
吸うたびに、肺の奥が痛む。
この瘴気――魔力を喰う空気。前回の探索の中で嗅いだ、あの匂い。
「クー子、これ以上は……」
氷雨の声がかすれる。
「戻るにも、もう道がわからないね」
周囲に濃い瘴気が充満する。
魔力の方向感覚が乱れ、上も下も曖昧になる。
私たちはまるで水の底に沈んでいるようだった。
「トゥリオ、前を塞いで。圧だけでも止めて」
「了解」
トゥリオは迅速に行動に移し、そのまま瘴気の流れが強い方向に向き直る。
重盾が床を叩き、鈍い音が響く。
魔法の防御は使えない。だからこそ、彼は質量そのもので押し返す。
全身を覆う鎧がきしみ、床石が沈む。
空気の圧が波のように押し寄せるたび、盾の角度で受け流し、流れを脇へ散らした。
それでも、周囲の空気は生き物のように蠢き、何かを求めて這い寄ってくる。
「……っ、だめ、頭が重い……」
ラナが膝をついた。
私は彼女の肩を支える。
額が熱い。体温ではない。魔力の過熱。
「この空気、魔力を焦がしてる」
氷雨が息を詰める。
「吸うほど、自分の魔力が削れていく。長くもたないよ」
「――それでも、止まれない」
私は歯を噛み、杖を掲げた。
「私の衣類に“風”を付与――清流式、逆圧散布!」
風が巻き上がり、瘴気を押し返す。
一瞬だけ空間が澄む。
けれど、その直後――背後から新しい濁流が押し寄せた。
「クー子、後ろっ!」
ラナの声が響いた直後、黒い塊が風を裂いて落ちた。
形は曖昧、だが圧だけで息が詰まる。
「“光”の加護よ、刃に宿れ!」
即座に取り出し、光を付与して投げたナイフが黒の表面に穴を穿つ。
だが、焼き切れるより早く再生する。
瘴気そのものが、形を持とうとしている。
「動くものを喰う類の魔物だ。今はまともに戦えないね」
氷雨が息を吐く。
「なら、通り抜けるしかない」
「風は?」とラナが問う。
「継続するけど崩れる。瘴気の層が上から押してきてる」
私は一度目を閉じて、呼吸の感覚だけを残した。
体の周囲にまとわりつく重さ――これが瘴気の密度。
飲み込まれないように、衣服に“風”を細く刻む。
「トゥリオ、盾の角度そのまま。ラナ、右二歩ずらして」
「了解」「うん」
「氷雨、左に幻を。光の代わりに目印を残して」
「了解、やってみるね」
四人同時に踏み出す。
瘴気を踏むたびに、靴底から嫌な熱が伝わる。
肺が焼けるように痛い。それでも、進む。否、戻る。
――苦しい…最早全滅は避けられないのかもしれない…
しかしそれでも、一縷の望みに賭けて進むしかない。
このダンジョンの出口に向けて
「……待って、あれは……?」
氷雨の声がかすかに震える。
霧の向こうで、弓を構えた影。
濃紺の髪、外套――。見間違えるはずがない。
「……エルド?」
私の声と、彼の動きが、同時に止まった。
互いに、ありえないものを見た表情。
一瞬、誰もが呼吸を忘れた。
「クーデリア……? なぜここに?」
エルドが平静を装うように言葉を絞り出す。
「……説明は、あなたの方にお願いしたいくらいよ」
喉の痛みを押し殺しながら答える。
息を吸うのも苦しいのに、声が震えなかったのは不思議だった。
エルドの背後ではヴァルクとリディア、オーリスがそれぞれ構えを解かずに周囲を警戒していた。彼らの周囲には淡い光の結界が張られ、空気が目に見えて澄んでいる。
――オーリスの瘴気緩和だ。
気が付いたオーリスが一瞬硬直するが、
すぐに瘴気緩和の範囲を広げてくれた。
…同じ空間なのに、呼吸のしやすさがまるで違う。
* * *
「……二つのダンジョンが繋がるなんて、聞いたことがない」
合流後に一通りの情報交換を終えた後、ヴァルクが低く呟く。
それにエルドが答えるように、短く息を吐いた。
「――理論上は、あり得る」
「理論上?」
「かつて記録にある。二つの遺構型ダンジョンで、探索者が同時に音信不通になった事例がある。
後に遺体が発見された場所は、どちらのマップにも該当しなかった。
つまり……何らかの条件で、別の迷宮同士が繋がることがあるのかもしれない」
「そんな……」
氷雨が小さく首を振る。
「ダンジョンは異界として区切られてるはずなのに」
「それでも、今、こうして現実になっている
既に外部との通信も途絶しているしな…」
エルドの声は低く、しかし確信を帯びていた。
「仮説だが…融合が起きたことで、両方の探索者数が合算され、定員超過が発動した。
つまり、ダンジョンが自ら異常を正そうとして、さらに構造を歪めた」
「……自己修復の暴走、ってわけか」
エルドの仮説を受けたトゥリオの総括に、私は唇を噛む。
「融合そのものがトリガーだったなら、これは罠の域を超えてる」
「理そのものが壊れかけてる、ってことだね」
氷雨の声が静かに落ちた。
その響きに、誰も言葉を返せなかった。
エルドは視線を上げた。
「だが、逆に言えば――この融合点こそが、心臓部だ。
二班揃って突破すれば、出口が開く可能性がある」
「いいわね」
私は微かに笑った。
「理を越える交差の真っ只中、ここを抜けたら笑い話にしましょう」
「なら、全員、生きて帰ることだ」
エルドが言う。
その声に、全員がうなずいた。
瘴気の流れが再び変わる。
〈洞〉と〈塔〉、二つのダンジョンが一つに混ざり合い、
未知の階層――断層の交わりが形を取り始めていた。
――理が揺らぐ音の中で、私は杖を握り直す。
光はまだ届く。
なら、進むだけだ。
====
〇ダンジョン視点
白礫の洞「塔に瘴気と魔力どんどん送るぞー」
墨濛の塔「洞から受け取ります。それにしても今回の探索者強いなあ、
これは攻略されるやもしれんね」
白礫の洞「ふあっ⁉供給管ぶっ壊された!
なんなら空間ごと斬られた!!なんやこいつら…怖…」
墨濛の塔「えっ何コレ、洞の構造が入りこんで来るんだけど…
しかも急に探索者増えた?うーん…定員超えたし取り敢えず殺すか」
断層の交わり「生成されました。探索者殺します」←今ココ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます