第4話 三紫、出陣

 封鎖区域の入口は、朝の冷気とざわめきに包まれていた。遠くで、封印陣が低音を響かせながら、管理官、封印術師、測定班――すべてが淡々と手順を進めている。一般探索者の立ち入りはなく、ここにいるのは国家直属の職員のみ。


 規定人数がダンジョンへと侵入した時点で、出入口は封鎖される。連絡手段としての通信結晶(深層ではほぼ繋がらないので信頼度は低い)こそあるが外部からの干渉は不可能。つまり、ここから先は誰も助けに来ない異界だ。その入口の前に、三つの紫が並んでいた。


紫煌しこう>エルド <紫嶺しれい>トゥリオ <紫華しけ>クーデリア


 管理官が、書類を整えながら呟いた。

「……三紫揃いか。久しぶりだな」

 測定班の一人が控えめに応じる。

「ええ、約三週間ぶりとのことです。今回は<紫華>も同行するようで」

「そうか。なら、ようやく終わりが見えそうだ」

 現場全体が緊張に包まれる。まるで儀式の始まりを待つような静寂。


 ――いや、そんな大げさなものでもないんだけどね。


 私は背中の装備を揺らしながら、心の中でぼやく。確かに紫位は国家の象徴であり、最上級の証。けど実際、私なんて八回連続お休みだったし、最近じゃ「道具で十分」とか言われて、すっかり空気みたいな扱いだ。

(言われてないぞ byリディア)


 ……なのにこうして出ると、みんな緊張してるんだもんな

 どんな顔して立ってればいいのよ、これ。


 それでも――必要とされたのは事実。だったら応えるしかない。


「封印解除、確認。――出撃、開始を許可します」


 管理官の宣言が響く。厚い封印陣が淡く光り、静かに開かれていく。


 エルドが前へ出る。トゥリオが重盾を構え、私も小さく頷いた。

 三紫を先頭に、『光焼く翼』の六名は理不尽の渦へと歩を進めた。



 *



 ダンジョンに足を踏み入れた瞬間、感覚で分かる。

 ――きちんと定員は守られている。この確認は重要だ。もし内部で人数がずれていたら、ダンジョンが敵意を示す。それが分かった時点で即帰還――規定ではそうなっている。


「転移陣はあちらです。八層までの道中は急ぎますよ」


 エルドの声が静かに響く。

 私たちは指示に従い、中央の魔法陣へと歩を進めた。


 転移陣――正式名称は《位相転送門》。


 ダンジョンの層ごとに存在し、登録済みの探索者が魔力を流し込むことで瞬時に転移できる。


 ただし、利用には制限がある。階層ごとの認証印を取得しなければ、転移は作動しないのだ。つまり、新規階層から戻る時は地道に帰らなければならない。


「転移、開始」


 後詰をしていたオーリスの合流を確認の後、光が足元を満たす。

 視界が一瞬歪み、空気がきしむような感覚のあと、景色が切り替わった。






 ――第五層、湿地帯。


 八層に行くには、必ずここを経由しなくてはならない。


 硫黄混じりの霧が漂い、ぬかるむ地面が靴底を奪う。

 リディアが小さく火の魔力を展開し、周囲の視界を確保する。


 私は背嚢から杖を取り出し、“土”を付与。

 杖で周辺の沼地を固めて歩けるように調整しながら進む。


 だが、順調とはいかなかった。


「前方、反応――三つ!」


 エルドの警告に、空気が一瞬張り詰める。

 霧の奥から、泥塊が爆ぜるような音。


 姿を現したのは、三メートルを超える灰色の巨躯――

《タイラントオーガ》。


 たとえ一体でも青位(中堅探索者)パーティでは半壊しかねない強敵だ。

 鈍重な巨体に見合わぬ速度で棍棒を振りかざし、こちらへ迫ってくる。


「《霞鏡かすみきょう》展開――」


 氷雨の声と共に、周囲の光が揺らいだ。

 敵の視界が惑わされ、空振りの衝撃で地面が抉れる。


 その隙を逃さず、リディアが杖先をかざした。


「《焔撃衝波えんしょうしょうは》!」


 炎の奔流が幻影の隙間を抜け、巨体を包み込むように炸裂した。

 咆哮が響き、オーガの体が光に飲まれる。


 熱風が頬を掠め、杖を握る手に力が入る。

 一瞬の出来事だった。幻影で隙を作り、魔法で仕留める――

 至極単純ではあるが淀みのない連携。


 私は思わず息を呑む。久々の戦闘を間近で見て再認識した。

 ……やっぱり、皆、強いなあ。私では一体倒すのに一分。

 三体同時ともなると少々泥臭い戦いになったのは間違いない。


「火力特化でもないのに、あれ三体倒せるのはどうかと思うぞ?」

「三体まとめて消し炭にしたリディアに言われてもねえ……」


 私たちはそのまま、転移陣を次々に乗り継ぎ、六層、七層――と慎重に降下を続けた。時間の感覚が、少しずつ薄れていく。





 ――第七層、廃城区画。


 空気が、変わった。


 転移陣を抜けた瞬間、鼻を突くのは古い鉄と煤の臭い。壁は崩れかけの石造りで、かつて人が暮らしていた街の残滓が残っている。壊れた街灯。倒れた柱。半壊した建物、歪んだ鉄扉。どれもが時間に朽ちたというより、何かに壊された跡のように見えた。


 天井を見上げる。


 そこには、確かに空など存在しないはずだった。だが――黒い岩盤の狭間から、どろりとした光が漏れている。光ではなく、魔力。岩の隙間を何かが這うように、脈打っている。その時、低い振動が足元を伝った。遠くで崩落音。


 次の瞬間、空気が重く歪んだ。


 ――轟ッ。


 頭上を覆うはずの天蓋が、まるで意思を持つかのように剥がれ落ちた。その隙間から、どす黒い魔力を帯びた巨岩が――まるで生き物が吐き出すように――放り出される。


「上から来るぞ!」


 エルドの叫びと同時、影が一瞬で広がる。重力の理を嘲笑うかのように、巨岩は斜めに、横に、ねじれて迫る。通常では到底あり得ない角度での落下。


 このダンジョンそのものが、理を書き換えているのだ。


 砂塵が巻き上がり、瓦礫が弾ける。遠くの石壁が軋み、何かが呻くような音が響く。まるで廃墟そのものが息をしている。


「下がれ!」


 トゥリオが前へ出る。重盾が構えられ、その表面に刻まれた淡い魔紋が脈動した。

 それは聖遺物級のものではない。下位防御魔法――《基礎結界陣》。周囲に薄い防壁を張るだけの簡易術式。


 だが、その程度なら――上書きできる。


 トゥリオの構えと同時に、私の詠唱が重なる。


「“壊”の加護を重盾に宿せ!」


 二つの術式がぶつかり合い、火花のような干渉音を立てた。


 瞬間、赤い光が盾を包み――轟音。

 巨岩が粉砕され、細かな粉塵のみを残して消し飛んだ。


 トゥリオが短く息を吐き、盾を引き戻す。


(……今の盾、【重盾イージス】じゃなかった。

 拾った代用品か、補助装備の一枚――そんなところだろう)


 ――トゥリオは、あの一瞬で私の付与が通る装備を選んでいた。

 誰に言われたわけでもない。ただ、彼なりの判断で。


「助かった」


 トゥリオが短く礼を言う。私は小さく頷きながら、役に立てたことに胸の奥で安堵した。


(……多分“壊”の付与が無くても盾で防いでる間にエルドかリディアが破壊してたな)


 己が不在の場合の対処を考えつつも、崩落の残骸を越え、転移陣を最後にもう一度起動する。




 八層――現時点で到達可能な最下層。

 霧は薄く、かわりに澱んだ瘴気が漂っている。壁の岩肌が脈打つように微かに光り、まるで生き物の内側にいるようだった。


「……ここからが本番だ、気を引き締めていくぞ」


 エルドの声が響く。いつの間にか口調が変わっているということは、明確に危険があるということ。誰も、軽口は返さない。私たちは彼の声に従い、瘴気の揺らめく底へ、音もなく一歩を踏み出した。


(さて……やってやろうじゃないの)

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