第8話 ダンジョンの終着
薄暗い通路を進みながら、私は肩の力を抜いた。
第八層――恐らく――このダンジョンの最下層。
通路の先には、もう階段も、下へ続く魔力の流れも存在しない。
「……確認が取れました。これ以上の下層は存在しません」
エルドの淡々とした報告に、場の空気がほっと緩む。
「つまり、制覇ってことか」
トゥリオが背中の盾を戻しながら笑った。
「ようやく地上の飯に戻れるな。干し肉じゃなくて、焼いたやつを頼む」
「あなた、探索中でも食べてたじゃない」
思わず返すと、リディアが小さく吹き出した。
既に探索時間は半日といったところ。道中細かい休憩こそ挟んだが、第八層では休憩なしのノンストップだ。食事も腰を据えたものではなく、干し肉等の軽食を齧る程度で済ませることが多い。
広間に戻ると、空気がやけに澄んでいる。
階層主を倒した後は、通常なら瘴気濃度が半分ほどまで下がる――
だが今回は、一割程度と言ったところか。
「濃度、異常に低いですね」
オーリスの報告に、氷雨が頷く。
「魔物の反応もほぼ消失。……掃除が楽で助かります」
「今回の階層主の性質を考えると妥当でしょう」
エルドの回答に、氷雨は納得という顔で肩をすくめた。
壁際には、結界の名残すら残っていなかった。
かつてこの層を包んでいたのは、薄い袋のような結界――
まるで網目上の果実の入れ袋を、さらに薄い袋で包んだような多層構造だった。 その『外側の袋』が今は完全に消え、内側の網だけが露出している。
「これなら、もう脅威はないな」
エルドが壁に手を当てた瞬間、魔力探知の水晶が微かに反応する。
「……空洞がある。中に何か埋まってるな」
「まさか、またトゥリオの拳で開けるつもり?」
「いや、今回は慎重に行く」
言うが早いかエルドは矢を番え、壁に向けて引き絞る。
「《
鈍い破裂音のあと、壁の一部が崩れ、銀色の輝きが覗いた。慎重の定義には議論が必要な気もしたが、人命第一であれば間違ってはいないのだろう。きっと。
「聖遺物か?」
トゥリオが拾い上げると、その動作に反応して脈動していた。
「……まさか、こんな場所に」
「深層とはいえ、ずいぶん丁寧な隠し方ね」
オーリスの驚きに私が同調する。
稀にあるが、こういう隠し宝箱めいた構造は勘弁してほしい
さらに広間の中央――
かつて魔方陣が刻まれていた箇所でも、オーリスが声を上げた。
「こちらにも反応があります。ただこれは…深いですね」
下層から、かすかに魔力の反応が漏れていた。
私はすぐに近づき、膝をついて探査水晶を翳す。
確かにある。しかも、かなり下だ。
「掘るしかないわね」
「任せろ」
トゥリオが短く答え、手甲を鳴らした。土を砕く鈍い音が響く。だが岩盤が固く、思ったよりも進まない。
私は腰の小瓶を取り出し、地面にふりかける。
「“土”の加護を地に宿せ」
地面がふっと柔土のようになり、トゥリオの拳が深く沈む。
エルドが掘り出された異物を片手で払い、氷雨とリディアが照明を強めた。
腰の小瓶の中身は、ただの酸性水だ。
気休め程度であるが地層の結合鉱物を緩める効果がある。
付与効率を高めるための「おまじない」の域を出ないが
よく効いてくれて何よりである。
「おや、楽になって良かったのう。
若いの、こういうときだけは本当に頼りになるぞい」
「こういうときだけは余計だ」
自然と笑いがこぼれる。
私は付与を継続しながら、削れた断面の強度を観察した。
――この層を構成していた雷鱗竜(らいりんりゅう)の鱗。
それが壁や床そのものに混ざっている。
「……あの竜にとっては、ここ全部が自分の体みたいなものだったのかもね」
「そうかもな」
トゥリオが短く答え、また黙々と掘り進める。
その音が、まるで心臓の鼓動みたいに規則正しく響いていた。
やがて岩層の奥で、淡い光が瞬く。
トゥリオが手を止め、指先でその輝きを払いのける。
掘り出されたのは、小さな箱――金属と水晶を組み合わせたような造形。
古いが、明らかに特別なものだった。
「これは…聖遺物ですね」
エルドが低く言い、私は無意識に喉を鳴らした。
箱の表面には、見覚えのある文様が刻まれていた。
今の付与体系にも通じる、古代期の束ね文字――
複数の術式を一つの流れに統合するための、失われた記号だ。
魔力を流してみると、内部で無数の術式がゆっくりと目を覚ます気配がした。
「……付与術用の、触媒?」
「ふむ、儂の魔法にも転用出来そうじゃが…どちらと言えばそなた向きじゃの」
リディアが嬉しそうな声で笑う。
私は微かに息を吐いた。
最下層の報酬が、よりによって付与師向けとは。
まるで、このダンジョンが最後に残した冗談のようだった。
「二つか。帰りの報告書が分厚くなるな」
エルドが記録を取りながら言うと、リディアが苦笑する。
「この鱗も遺物として回収が必要よのう。
大きいのと小さいの、何個かは持ち帰るとええ」
「大丈夫だ。トゥリオが全部持つ」
「おい、それは違うだろう」
笑いが広がり、空気がようやく柔らかくなった。
全員で転移陣の座標を合わせる。
淡い光が広間を満たし、魔法陣の紋がゆっくりと輝きを増していく。
私は最後に一度だけ、
消えかけた瘴気の匂いを確かめた。
「……これで、本当に終わりね」
「次に潜るまで、束の間の休暇だ」
エルドが顎を上げ、光が一気に広がる。
視界が白に染まり、風が止む。
探索部隊『光焼く翼』
―廃区画地下ダンジョン―全八層制覇。
任務、完了。
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