第5話 リドアの町
リドアの町に足を踏み入れたエルトは、しばし立ち止まって周囲を眺めた。
行き交う人。
漂う匂い。
聞き慣れない呼び声。
すべてが新鮮で、眩しい。
(すごい……どっちを向いても、知らない世界だ)
村では考えられないほどの店が並び、それぞれの店主が声を張り上げて呼び込みをしている。
「お兄さん、その鍬……農夫さんかい?」
声をかけてきたのは果物を売る青年だった。
木箱には真っ赤な果物がぎっしりと積まれている。
「あ、はい。ファーロン村から来ました」
「へぇ、ファーロン! あの辺りは水がいいって聞くぜ。
この町じゃ珍しいな、農夫の旅人なんて」
「そうなんですか? 村では普通なんですけど……」
エルトが笑うと、青年も嬉しそうに笑った。
「これ、兄さんに一つやるよ。甘いぞ」
「え、いいんですか?」
「旅人の縁だ。どうせ食べてけ!」
エルトはありがたく受け取り、かじった。
「あまっ……! 何これ、美味しい!」
「へへ、だろ? 俺の自慢のサファ果だ!」
青年としばらく世間話をし、果物の栽培の苦労や市場のことを聞く。
(町の人って、思ったより話しやすいな)
果物屋を後にすると、今度は道具屋の前でしゃがみ込む老夫婦がいた。
「すまんねぇ。じいちゃんの腰が痛くて……この箱を中に運びたいんじゃが……」
箱は大きく、中には金属製の道具がぎっしり。
見ただけで重いと分かる。
「よかったら持ちましょうか?」
「え? いいのかい?」
「はい。これくらいなら」
エルトが軽々と箱を持ち上げると、老夫婦が目を丸くした。
「まあ! そんなに軽かったかねぇ、それ」
「軽くはなかったですよ。でも慣れてるので」
「兄ちゃん……さては力持ちじゃな?」
店の奥まで運び込むと、奥さんが包みを差し出した。
「ありがとうねぇ。これ、お礼じゃよ」
「えっ、そんな……」
「いいからいいから。旅は腹が減るじゃろ?
干し肉とパンだよ。持っていき」
「……ありがとうございます」
エルトは頭を下げ、温かい気持ちで店を離れた。
(……なんか、こういうの久しぶりだな。村以外で、人に喜んでもらうの)
さらに歩くと、広場の一角で曲芸を披露する女性がいた。
金色のリングを操り、くるりと宙に舞う。
「うわ、すごい……!」
思わず足を止めたエルトに気づき、女性はウィンクして手を振った。
「そこのお兄さん、楽しんでるかい?」
「はい! こんなの初めて見ました!」
「アタシは旅芸人のレナ。
人が集まれば芸を見せて、町に笑顔を届けるのさ」
「旅芸人……いいなぁ、カッコいい」
「お兄さんも旅人なんだろ?
旅はね、出会いが宝なんだよ」
エルトの胸が温かくなる。
(出会い……今日だけで、もういろんな人と話したな)
「またどこかで会おうね、旅の農夫さん!」
「はい! また!」
大通りを抜けると、市場の広場が広がっていた。
色とりどりの野菜、珍しい香辛料、革細工、宝石、布。
そして冒険者向けの武具。
エルトは目移りしながら歩き回った。
(……いいなぁ、この町。なんかワクワクする)
村にいた頃には想像もしなかった世界が、目の前に広がっている。
ふと立ち止まり、空を見上げる。
「――よし。今日はゆっくり探検してみるか」
エルトは再び雑踏の中へと歩き出した。
町の人々との触れ合い。初めて見るもの、聞くもの、匂い、声。
それらすべてが、新しい人生が始まる予感を彼に与えていた。
「町で最初の仕事、でも冒険じゃない」
市場の賑わいに耳を澄ませながら歩いていると、どこかで聞き覚えのある声がした。
「誰かー! 手伝ってくれんかのぉー!」
声のほうを見ると、広場の端で野菜を山積みにして困り顔の老人がいた。
背中は曲がっているが目つきは鋭く、腰には包丁、頭には布を巻いている。
(この人……八百屋さんかな?)
エルトは自然と近づいた。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「おお、兄ちゃん。いいところに。
いやぁ、このホク根の仕分けが終わらんくてなぁ……」
ホク根。
この地方特有の芋のような根菜だ。硬くて扱いづらいが、煮ると甘みが強い。
「仕分け……ですか?」
「そうじゃよ。傷んだやつと、良いのを分けんといかん。
今日は手伝ってくれるはずの孫が熱を出してしもうてな」
(なるほど……)
エルトはホク根を一つ手に取った。
重さ、硬さ、表面のしっとり感、皮の薄さ。
一瞬で情報が入ってくる。
「……ふむ」
「兄ちゃん、分かるか?」
「はい。これは陽が足りなかったやつ。こっちは土が硬すぎましたね。
で、この大きいやつは肥料が多かった」
「な、なんと……!?」
「農家が見れば分かりますよ」
老人の目がまんまるになる。
エルトは軽く息を吸い、山積みのホク根へ手を伸ばした。
「ちょっとやってみますね」
――その三分後。
「兄ちゃん!? もう仕分けが終わったのか!?」
「はい。だいたい均一に分けました。
外側は傷んでても、中までいいものもあったので……」
「そ、そんな芸当、普通の農夫にはできんぞ……!」
「え? そうなんですか?」
「いや、できんわい!!」
老人は頭を抱え、次に感心したように笑った。
「こりゃ助かったわい。ほんに助かった。
兄ちゃん、名前は?」
「エルト・ファーロンといいます」
「エルトか! ならワシはジョルノじゃ。
この町で三十年、八百屋をやっとる」
「へぇ、ベテランなんですね」
「そりゃあもう。
でも……さっきの仕分け、ワシより速かったぞ?」
「そうですかねぇ……」
「そうじゃとも! 兄ちゃん、今忙しいか?」
「いえ、特に予定は」
「なら悪いが、一つ仕事を頼めんかの?」
エルトは首を傾げた。
「仕事、ですか?」
「実はな、ワシの畑の様子がおかしいんじゃ。
病気じゃないが、育ちが妙に鈍い」
(育ちの鈍り……)
エルトにとって、それは最も得意な分野だった。
「畑を見れば分かるかもしれません」
「そう言ってくれると思ったわい!
ワシの家はこの道の突き当たりじゃ。すぐ案内する!」
老人は嬉しそうに歩き出し、エルトもその後についていく。
町外れにある小さな畑。
家族で手入れしているらしいが、確かに根の伸びが弱い。
エルトはしゃがみ込み、土を握り、目を閉じた。
(……地脈が乱れてる。原因は……)
数秒で答えが出る。
「ジョルノさん。ここ、地下に空洞がありますね」
「空洞……?」
「多分、ネズミ型の魔物が巣を作ってます。
そのせいで水の流れが偏って、根が沈み込めない」
「そ、そんなことまで分かるんか、お前さん!?」
「じゃあ少し直しますね」
エルトは軽く地面に手をついた。
土中へ魔力を流し、空洞を埋めるように圧を加える。
やがて地面が、ふわりと整った。
「……これで大丈夫です」
「す、すごい……! 土の触り心地が違う……!」
「明日には植物が元気になると思いますよ」
「エルト……お前さん、本当に農夫か……?」
「あ、一応、農夫……です!」
老人は感動したようにエルトの手を握った。
「助かった……ほんに助かった! これ、お礼じゃ!」
ジョルノは布袋を差し出す。
「何ですか、これ?」
「市場で使える食券じゃ。料理屋の飯がしばらくタダで食える!」
「えぇ!? そんなのもらえませんよ!」
「ええんじゃ! 命の畑を救ってくれた礼じゃ。受け取ってくれ!」
押し切られ、エルトはしぶしぶ袋を受け取った。
「ありがとうございます……!」
「いつでも遊びに来いよ、エルト!
この町にゃ、お前みたいな若いもんが必要じゃ!」
畑を直し、感謝され、エルトの口元に自然と笑みがこぼれる。
(……なんか、いいな。こういう日常も)
リドアの町での最初の仕事は、冒険や戦闘ではなく――
いつも通りの畑仕事だったのである。
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