第8話 銭湯遠征と女子寮の境界線


 テストも無事(そこそこ)終わり、解放感に満ちた土曜日。


「ねえねえ、今日はさ、銭湯行かない?」


 珍しくテンション高めのほのかが、提案してきた。


「銭湯?」

「うん。寮のシャワーじゃなくて、大きいお風呂入りたいなって」


 確かに、寮のシャワーはお湯の出も微妙だし、狭いし、なんとなく味気ない。


「いいね。スーパー銭湯、割引デーだし」


 まどか先輩が、すかさず情報を付け足す。


「そこも把握してるんですか」

「チラシ、ちゃんと読んでるから」


 レイナはというと、窓の外を見ながら呟いた。


「湯気の中で世界の終焉を考えるのも悪くない」

「考えるな」


 結局、全員一致で銭湯に行くことになった。



 ◆



 バスに揺られて二十分。


 駅の少し外れにあるスーパー銭湯は、思ったよりも大きかった。


「わあ……」


 暖簾をくぐると、広いロビーと休憩スペース。

 壁にはお風呂の種類がずらりと書かれている。


「ジェットバス、電気風呂、露天風呂……」

「これはテンション上がる」


 受付で入浴料を払い、タオルを借りて脱衣所へ向かう。


「ここ、女子校っぽい会話にならなくていいですね」

「女子校っぽい会話って?」

「『ダイエットしなきゃ』とか『スタイル良くなりたい』とか、そういうやつ」


 うちの寮メンバーは、そういうのにあまり執着がない。

 ある意味、ありがたい。



 ◆



 大浴場のドアを開けると、もわっとした湿気と湯気に包まれた。


「広い……」


 視界いっぱいに広がる湯船。

 シャワーの列。洗い場。


「じゃ、とりあえず体洗ってからね」


 まどか先輩の号令のもと、それぞれシャワーへ向かう。


 銭湯という場所柄、当然ながら全員ほぼスッピン、ほぼすっぽんぽんである。


「なんか、変な感じですね」

「何が?」

「普段、一緒にご飯食べて寝てるメンバーの、こう……生々しい部分を直視するというか」

「言い方」


 ほのかは、恥ずかしそうにタオルで前を隠しながら、ちょこちょこと歩いていた。


「わたし、こういうとこ、ちょっと緊張するんだよね……」

「大丈夫だよ。ここ、女子ばっかりだし」


 レイナはというと、タオルを肩にかけて堂々と歩いていた。


「何も隠すものはない」

「もうちょっと隠して」



 ◆



 湯船に浸かると、全員、同時にため息をついた。


「はぁぁぁぁ……」

「生き返る……」

「これは、文明の極み」


 熱すぎずぬるすぎず、ちょうどいい温度の湯。

 疲れがゆるゆると溶けていく。


「こういうの、実家にいたらなかなか来なかったかも」


 ぽつりと呟くと、まどか先輩が頷いた。


「親と来ると、なんか気を使うしね」

「私の母なんて、絶対『太った』とか『姿勢悪い』とか言ってきますよ」

「それはやだなあ」


 ほのかが、少しだけ笑った。


「寮のみんなとだから、来られたのかも」


 レイナは、湯船の縁に頭を乗せて、天井を見上げていた。


「ここは、境界線だと思う」

「境界線?」

「寮と外の世界の間。裸という、もっとも無防備な状態で、それでも安心できる場所」


 妙に詩的なことを言う。


「普段はさ、制服とか、言葉とか、いろんなもので自分を守ってるじゃない。ここでは、それが全部剥がれてしまう」

「だからこそ、怖くもあり、安心でもある、みたいな?」

「そう。で、私は今、この安心側にいる」


 レイナが、こちらをちらっと見て笑った。


「一緒に馬鹿みたいなこと言っても、笑ってくれる人たちとね」

「馬鹿みたいなことって自覚あるんですね」


 でも、そういう場所を「境界線」だと言い切れるのは、ちょっと格好いいと思ってしまった。



 ◆



 風呂上がり。


 脱衣所の自販機で、それぞれ好きな飲み物を買う。


「牛乳かコーヒー牛乳か、それが問題だ」


 まどか先輩が真剣な顔で悩んでいた。


「そこまで悩む?」

「風呂上がりの一杯は人生の一大イベントだから」


 結局、まどか先輩はコーヒー牛乳を選んだ。

 私は、無難に普通の牛乳を選ぶ。


「ぷはー……」


 風呂上がりの牛乳は、なぜこうも美味しいのだろう。


「ねえ」


 ほのかが、牛乳瓶を両手で持ちながら言った。


「こういう時間も、きっといつか終わるんだよね」


 突然の一言に、少しだけ胸がきゅっとなった。


「そりゃ、卒業したらね」

「うん。だから、今のうちにいっぱい、こういうことしておきたいなって」


 レイナが、コーヒー牛乳のストローをくわえながら言う。


「世界の終焉はいつか来るけど、それまでの時間をどう使うかは、私たち次第だからね」

「今の、ちょっとだけ名言っぽい」


 まどか先輩が、からっと笑った。


「じゃあ、これからも、ちょこちょこ銭湯来よっか。割引デー狙って」

「最後の一言だけ日常に引き戻すのやめて」


 湯冷めしないようにバスに乗り、寮へ戻る。


 帰り道の風の冷たさと、まだ残っている体の温かさ。

 そのコントラストが、なんとなく「今この瞬間」をはっきりと感じさせてくれた。


 こんなふうに、女子寮の外側にも、少しずつ「私たちの場所」が増えていくのだろう。

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