吸血鬼はロックなんて聞かない
@Kokekukika
第1話
自分が死ぬ寸前には、どんな音楽が流れるだろうか?
もちろん、別に自分の葬式に流してほしい音楽とか、そういう意味ではない。
授業中。テストの本番中。登下校。掃除の時間。僕の脳みその中では、洋楽が流れてくる。
他のクラスメイトの喋り声は右耳から左耳へと通り過ぎていくが、僕の脳内ではずっとギターの音を捉えている。親が洋ロックをよく聞くせいで、流行りの音楽なんかよりも、レッドホットチリペッパーズやクイーンが流れてきた。日本にいながら洋楽を聞くやつなんてのは、たいてい変な奴である。絶対にそいつは親の影響で音楽を聴いていて、しかも、流行りの音楽についていけなくなって、周りの会話にもついていけなくなる。そう、つまりは孤立するのである。よくよく考えてみれば僕が孤立している理由は、洋楽にしがみついているだけなのだ。決してコミュニケーション能力に問題があるタイプではなく、洋画を聴いていることこそ問題なのだ。じゃあ、いっそのこと手放してしまえばよいのだが、そうもいかない。手放そうとすればするほど、頭のなかで流れる楽器の音は強くなり、僕に戻ってこいと煩いのだ。それを振り切って外の世界に向かっていくと今度は周りの音が静かすぎることに気づく。これは、どんなことよりも恐ろしいことだった。そうして元の音楽が鳴る巣穴に戻る。
その時の僕にとって音楽が聞こえなくなることは死よりも恐ろしいことだった。
死は決して恐ろしいことではない。
だって死ぬときには、きっと音楽が流れるだろうから。僕が死ぬときには、きっとチェスターが歌った最後のアルバムのような曲が流れる。きっと亡くなったチェスターの高くて綺麗な美声が僕の魂を天国だか、地獄だかに送ってくれる。それはきっと寂しいことではないのだ。
「肝試し?」
中学3年。中学生として最後の年であり、高校受験の年である。勉強もできなく、関心意欲態度も丸がつかないような僕は、推薦など取れるはずがなく、塾に通う毎日である。家に近い塾はクラスの人間しかおらず、親に知り合いがいると集中できないと嘘をついた僕は、遠くの塾に行っていた。しかし、運悪く同じクラスの山下さんは、その塾に通っていて、僕に話しかけてきたのだ。
山下さんの容姿を端的に表すならば、「可愛くない」。だから当初僕は山下さんは僕と同じで友達なんかいないから、こっちの塾に来たのだと思っていた。しかし、実際は違う。僕と違って他校の友達がたくさんいる。塾は友達を作る場所じゃないだろと僕は思ったが、彼女の頭は僕の何倍も良い。彼女が友達と喋る間に、僕は勉強していたにも関わらずだ。彼女は頭が良すぎてむしろ塾代を免除してもらっている。比べ物にならない。しかもきちんと学校にも友達はたくさんいて、僕が知らなかっただけだった。偉い人は言いました。「暗い美人より明るいブス」いや、僕は美人ではないので、洋楽聴く陰キャよりも明るくて勉強も出来て気遣いもできて...そりゃあモテるよね。でも彼女よりは僕のほうが可愛いと思う。というちっぽけな自尊心が何よりも自分の性格がブサイクということに気付かされる。彼女と喋る度に自己嫌悪に陥る。どうしようもない僕はつい気になって聞いたのだ。
「なんで僕に構うの?」
喋った後にいろいろ付け足していないことに気づく。ニュアンス的には、学校で普段喋らない僕にどうして話かけてくれたの?と言いたいのだが、ヤンキーが委員長に噛みついているみたいになってしまった。僕も山下さんもヤンキーでも委員長でもないのにだ。
「え?だってアキラさん洋楽聞いててかっこいいし」
たまにいるのだが、洋楽聴いててかっこいいという感覚が僕にはよくわからない。これがバンドをやってるとかならわかるのだが、僕の場合、ただ聴いている音楽が洋楽というだけだ。
「ふ~ん、よくわかんないや」
「あ、あれ?」
そこから別に仲が良くなったわけではない。塾で挨拶されたら無言で会釈するくらいになったし、彼女のことを避けるのを辞めただけだった。彼女とは同じ同性という共通点があることだ。そう考えると少し親近感がわかなくもないが、友達と言える距離感ではなかった。
「肝試しがあるんだけど来ない?」
そんな仲が悪いとも良いとも言えない彼女から肝試しの誘いなど来るとは思っても見なかった。
「……嫌だけど」
普段人とあまり喋らないせいか、か細い声しか出なかった。だが、しっかりと拒否する。
「普通に行かないけど」
「そこをなんとか」
「なんとかって言われても僕ら受験中だよ」
もちろん本気で言ってるわけではない。こんなの参加しない方便だ。普段から親から面倒なことを頼まれたときにこんなことを言っているので、スラスラと嘘が言えた。
「でも受験の勉強でみんな頑張っているから行こうって、それに夏休みの勉強合宿参加しないんでしょ」
誰が行くか、合宿なんて。知らない人間に囲まれて心休まる場所もなく、逃げた先にも勉強しかない。僕にとっての勉強は逃げた先にただあるだけの障害物だ。それを隠れみのに言い訳しているだけだ。真面目に取り組むなんて口だけなのに、 誰がするんだ。
「行かないけど、肝試しも行かないよ」
というかなんで勉強合宿行かないなんて一言も言ってないはずなのになんで知ってるんだろ。
「みんな仲良くしたいって言ってるし」
僕は仲良くしたいと思ってないよ。しばらく行く。行かないの応酬が続いたのだが、段々断るのが面倒になって来た。嫌だと言っても行こうと言われ続け、ふと当日になって体調が悪くなったことにすれば良いと気づき、遂には諦めて良いよと言ってしまった。どうせ休日とかに集まるわけだし、病欠したって悪くは思われないだろう。悪く思われてもこの人達は他校なわけだし、塾で一緒と言えど、半年ぐらいしか一緒にいないわけだ。最悪な人間だと思われたって我慢すればよいのだ。
「……わかった」
しかし、ここでの最大の誤算は、陽キャの行動力は陰キャの想像力を常に上回っているということだった。
「ホント! じゃあ、外で待たせているから行こう!」
「え?」
そう言われ手を引かれるままについていくとそこには黒のワンボックスカーがあった。それを見た僕はまるで僕は騙されて誘拐されるんじゃないかというような妄想まで湧いてきた。
「早く乗ろう〇〇君のお兄さんが送ってくれるんだって」
緊張したのか。名前が聞き取れなかった。でも今更引き返せるわけもなく、僕の肝試しは他の人よりも早く始まった。
乗った瞬間に、どうにか振り切って逃げだせないかと考えるが、立ち上がる勇気はない。裏切られた。そういう考えが頭をよぎる。適当な理由を言って行かないつもりだった裏切り者は、僕のはずだった。しかし、実際の裏切り者は山下さんだった。勉強ができるやつは僕みたいな馬鹿の一つ覚えなど見抜けると言いたいのだろうか。おのれ、山下さん。
「アキラさん来てくれたんだ。来ないかと思ってたよ」
うん。来ないつもりだったよ。
「あ~、心配しなくてもそんな危ない場所には行かないよ。ちょっと夜のトンネル見て帰ってくるだけだし」
そう。
「・・・」
僕みたいなコミュ障が喋ってもみんなのおしゃべりの邪魔をするから、黙っていたのだが、なぜか空気が悪い。
どうしたんだろ。僕、何か重要な情報でも聞き逃しただろうか? わからないからとりあえず黙っておくんだが、〇〇君は気まずそうに下を向いた。さっき聞きそびれたので頭の中でも〇〇君のままだ。名前が分からないから呼べないし、聞く勇気もない。
この気まずい雰囲気に耐えきれなくなったのか、運転手をしている〇〇君のお兄さんが口を開いた。
「あれ、みんな門限とかは大丈夫だよね。そんな遅くならないつもりだけど」
「アキラちゃんは大丈夫って言ってたよね。いつも気にしてないって言ってたし」
ああ、門限。そうか。品の良い家庭とかだと門限とかあるのか。うちは基本放任だからそんなこと言われたこともない。次からの言い訳はそういうことにしておけばよかったのか。
「———うん」
そうしてまた、静寂が訪れる。何だか、まるで僕が悪いみたいだ。いや、コミュ障があんまり知らない女の子一人と全く知らない男三人と一緒にいるのだから、むしろ褒められても良いぐらいだ。と自身を奮い立たせるが、本当は僕が悪いんだろう。こんな時はいつも頭で洋楽を流す。クイーン、ニルヴァーナ、レッチリ。どれもこれも楽しい音楽ではなく、どこか寂しさを募らせたギターリフが頭で流れる。この車で僕だけが孤独だったけど、頭で流れる曲は寄り添ってくれる。
ああ、早く終わらないかな。
そんな祈りの甲斐があったのか、ついに車が止まった。
「ついたよ」
旧トンネル。そこはいかにも幽霊がいそうというのは、いつからか話題になっていた。もとは54年前ぐらいまでは使われていたのだが、近くに大きな道路ができるということで、次第に使われなくなってきた道路だった。このトンネルの先に山があって、本来はそこすらもトンネルを通す予定だったのだが、なぜか通らなかったそうなのだ。それがどうやら幽霊の仕業や祟りなど言われているらしい。この道路も10年ほど前には、一応使われていたのだが、10年前に事故が起こったせいで、以降道路が封鎖されているらしいのだ。以降このトンネルには、事故にあった霊がいるとかなんとか。こんなことを山下さんは話していた。
だが、実際のところは、山道を通る上に、道路自体が狭く、踏み外して事故などが起こるのが原因とか、そんなところだろうと勝手に予想する。そんな予想を賢しら語る訳でもなく、内に秘めておく。
トンネルには、みんなで入った。みんなで入ったのだが、何故かボッチだった。ボッチというのは、コミュニケーション能力が低いからではなく、集団行動が出来ないからボッチなのだと思い知らされた。僕が早く終わらせたくてズカズカと前に進んだのは確かだ。でもこんなにも足音がしないものだろうか? とふと振り返ると後ろにいたはずの3人はいなかった。ここで疑うべきは幽霊の仕業かなにかなんだろうけど、どちらかと言えば、「いじめ」とかそっちのほうが先に浮かんでくる。このまま前に進もうかという考えもあったが、そもそもあの三人がいなければ先に進む理由はない。引き返すことに決めた。すぐに引き返してから気付いた。もしいじめられているとしたらとんでもない状況なのでは? こんな山道で置いてかれたりしたら1日中歩き詰めでもしない限り、流石に帰れない。ましてや流石にいじめのレベルを過ぎてるだろ。でも、車の中で気まずくさせたから僕を置いていったかもしれない。
小走りでトンネルを走るがこんなにも遠かっただろうか?自分の足音がトンネルに反響して何人もいるように聞こえる。こういうところで怪談になるんだろうなって頭の片隅で考える。しばらく小走りでトンネルに戻るとやっとトンネルの先の光が見えた。良かった。出口みたいだ。その光の穴を抜けると不思議なことが起こった。
トンネルを抜けたはずなのに、トンネルの中にいたのだ。流石に困惑を隠せない。今までイタズラだと思っていた。しかし、イタズラでこれができるだろうか? ここに来てやっとイタズラじゃない可能性に気づいた。幽霊? いや、そんなことはないが、もしかしてがあるかもしれない。
そんな僕をビビらせる様にキィと鉄の扉でも開く様な音が聞こえた。振り返って見ると確かにそこには鉄の扉があった。普通こんな鉄の扉なんてあるっけ? いや、こういうのって避難通路みたいになってるんだっけ? わかんないけどあってもおかしくはないかも。でも、トンネルの側面にもう一つトンネルがある。こんな形状はトンネルとしてありえるのか? 色々トンネルというものに改めて気付かされたが、そんなことどうでも良いのだ。トンネルの側面にある鉄の扉の先がまるで家みたいになっているとか。それは些細なことに過ぎない。そんなことよりそんなことより鉄の扉から「何か」がこちらを覗いている方が問題だ。
咄嗟に頭の中で浮かぶのは、熊の対処方法だ。急に背を向けて走ってはいけない。遥かに人間より脚が速いのだ。だから一歩ずつゆっくりとゆっくりと後ろに下がる。決して目を離さないように。しかし、これは熊ではないだろうと薄っすら思っていた。だが、熊ほどに大きかった。
そうして10メートルは下がっただろうか?その「何か」は、キィと音を立てて鉄の扉を閉めた。
よかった。縄張りだかなんだか知らないが、追ってこないのだ。後ろに対する警戒を忘れないようにしながら、トンネルの光に向かって走った。自分の足音が反響して聞こえる。しかし、その足音が自分の足音じゃないような気がして振り返った。
良かった。後ろにいないようだった。そうして前を見て再び走ろうとするとキィという音が再び聞こえた。音は何故か真後ろからでなく、自分のすぐ近くで聞こえた。
トンネルの側面に何故か鉄の扉がついていた。さっきまでついていたか? わからない。心がざわつき、なんでもいいからここから遠ざかる必要があると思った。鉄の扉からゆっくりと遠ざかる。ゴクリと生唾を飲んだ。ああ、僕って滅茶苦茶喉渇いている。お母さんに言われた通り水筒を持って来ればよかった。
ギイ
黒板を引っ搔いた時に出るような不快な音を出しながら、鉄の扉が開いた。
鉄の扉から出てきたナニカは、何に使うかわからないハンマーと何に使うかわからない糸鋸を持っていた。じわりと汗がでる。指は、血が通っていないのかと思うぐらいに、冷たく重い。
糸鋸から水滴のようなものが落ちる。それが何か理解することもなく、全力で走り出した。
「はっはっはっ」
笑い声でも、犬の呼吸でもない。ただの運動不足の人間の呼吸だ。
トンネルの光に向かって全力で走り出した。ひ弱な身体は既に限界を超えていた。足はまるで自分の足では無いように重く、心臓は鼓動しているのか、痙攣しているのかわからない。でも、例え走り切って死ぬよりもここで立ち止まるほうがまずいと直感的に思った。疲れ切った脳内に糸鋸とハンマーが浮かぶ。何にあれを使うのかわからないが、あれに追いつかれては、駄目だ。絶対に駄目だ。後ろを振り返っては駄目だ。前を見て走る。唯一の希望は、無限に思えた長いトンネルの先も走れば走るほど距離が短くなるということだ。あとちょっと。あとちょっとだけ頑張れば逃げ切れる。そうして光の先に到達した時、僕は二度目の間違いを犯す。
これがちょっと考えればわかることだったのか、考えてもちっともわからないことなのかわからない。
まるでゲームのコンティニューみたいに鉄の扉の前にいた。
何も理解できない。
僕は確かにトンネルの外に出た。しかし、目の前に鉄の扉があり、遥か後ろにトンネルの光が見えた。
何もわからなかったが、確かなのはこのトンネルは抜け出せないということだった。
「あー」
自分でもこの声がうめき声なのか喘ぎ声なのかわからない。この声が自分の声だという自信もない。自分がさっきまでいたトンネルの出口から戻って来るナニカを見て呆然と立ち尽くす。足は石の様に重く、もし誰かに小突かれでもしたら倒れてしまうだろう。でも足は、ほんの少しずつ動いた。足を引き摺りながらも進む。反対側のトンネルの先にも光が見えた。しかし、先ほどのことを考えれば、あそこまで頑張ってたどり着いてもまた戻って来るだろう。だったらとトンネルの側面にあるもう一つのトンネルに向かう。
人間は学ぶ生き物だ。道が二つある。一方を進んだら痛い目に遭った。そうしたらもう一方の道を選ぶのだ。その道に屍が転んでいようとも。
その先には化け物がいた鉄の扉しかない。選択肢を間違えたかもしれない。でも進まざるを得ない。止まった時が死ぬ時だという予感があったからだ。コツコツと音が聞こえる。
鉄の扉を見た。ここに入ったらもっとまずいかもしれない。しかし、あのままトンネルを走り続けていても良いことはないのだ。幸いにもあの化け物が扉をきちんと閉めるような几帳面でなくて助かった。扉の隙間に体を入れると音も立てずにその家に入ることができた。中は頼りない電球が照らしていて、中においてある物はほとんど見えなかった。もちろん壁に何が立てかけているかなんて見えるはずもなかった。でも触れたら怪我をしそうな形状のものは避けることができた。しかし、どこに隠れればよいのか? 隠れられるような場所が一切ない。この部屋にあるのは部屋のほとんどを占めるようなサイズの大きな机があるだけだ。しかし、微かに聞こえる足音から、もう少しであの化け物がこの部屋に向かって来ているのがわかった。僕は咄嗟に机の下に隠れた。
しかしその机が到底隠れられるものではないことに気づいていなかった。その机の下で先ずしたことは、自分の口から悲鳴が出ないように開ききった顎を無理やり閉じることだった。
醜悪。驚愕。恐怖。不可解。それらすべてを合わせたとしても見た光景を説明し得ない。日常の反対が非日常だとしてもこれはあまりにも非常すぎる。机と呼ばれる家具を板と棒に分けて棒の部分を「脚」と呼ぶとしよう。その「脚」の材料がこれほど身の毛がよだつ「脚」はないだろう。それは文字通り足なのだ。人間のと形容することもできた。しかし、それと同時にこれは下半身と呼ぶことができたのだ。では、これの上半身は? 机はその形式上、4本の脚が必要なのだ。もちろんと言わんばかりに反対側の「脚」には、上半身が置いてあった。両腕を「脚」の代わりにしてそれは机という機能を全うしている。だが、恐れていたのは、ただ机の材料に人間を使っていることではない。その材料が「生きている」という事実が怖いのだ。人間の体が真っ二つにして生きている? それはあることを明確に意識させ、想像させる。とっさに後ろを向いた。さっきの「脚」は明らかに目が動いていた。
しかし、もう一度見ないわけにはいかなかった。だって、生きているとした、これだって仲間かもしれない。振り返ると「それ」と目があった。「それ」が生きているというのは、すぐにわかった。しかし、「それ」に意識があり、思考があるというのは考えたくもなかったことだ。
「それ」と目があってから「声を出さないで」と願い続けた。
「うぁ」と小さく呻く。
「お願いだから、声を出さないで」
まるで必死な願いが伝わったかのように、僕の必死な表情を見ると「それ」は一度頷いた。
それと同時にドアが不快な音を立て、床材が軋む音がした。化け物が入ってきたのだ。そしてそのまま化け物は床を軋ませながらまっすぐ近づいて来た。僕の居場所なんて最初からわかっているんじゃないかという気さえしたが、気の所為だと思い込むことにした。床材の音が机に近づき、ちょうど僕の目の前で止まる。筋肉が張り付いた糸のようになる。心臓の音が煩すぎて自分の心音が聞こえているのではないかと疑いそうになる。しかし、気づいていないということを願うしかなかった。
「ああ」
僕が喋ったわけではない。「それ」が喋った。
「やめて」
小さな声で止めるが、こっちの声が聞こえないようにするために、全く声が出せない。
「あああ」
もう「やめて」とは、声が出せない。あまりにも化け物が近すぎた。
「ああああああああああああ」
「それ」が叫ぶとただただ終わったと感じた。目を瞑るとガンッと音がすると僕の頭に何かが落ちてきた。声を押し殺して体を縮こます。しかし、次第に頭の衝撃以外に何も起こっていないことに気づいた。目を恐る恐る開けると僕の頭を叩いたものは、机の板だったことに気づく。その後すぐに、机の板が何かを叩きつけたような音と木に金属を打ち付けたような音が聞こえた。
「ああ」
板越しに先ほどの「それ」の声が聞こえた。そして自分に何が起こったのか気づいた。
板を支えていた「脚」が外れて、そうなると当然机の板の支えは無くなり、僕の頭上に板だけが落ちたのだ。もう一方の脚だけ(それは文字通りの)残ったお陰で、僕が机の下に居ることが気づかれずに済んでいるのだ。しかし、僕が気づかれないというのは、ただただ身代わりがいたということに過ぎない。机の板越しに「脚」の息遣いを感じる。「脚」は机越しにいる。おかしく感じるかもしれないが、僕は先程まで化け物だと思っていた「それ」を可哀想だと思っていた。僕を庇って囮になるように「それ」は声を上げたのでは? 僕の同情心は「それ」を助けたいとすら思っていた。しかし、その心とは別に体は縮こまり、耳と目を塞いでいた。そんな突如として湧いたちっぽけな正義感よりもこの場の恐怖のほうが増していたのだ。耳を塞いでも、完全に音が聞こえなくなるわけではない。僅かに聞こえる音と振動から「それ」がどうなっているのか理解した。金属が風を切る音、金属と肉がぶつかり、筋繊維を千切る音。細胞が潰れる音と水音が、ぶつかり、どこか不快な光景を想像させる音がした。
「ああ」
なかでも不快な音は喘ぐような弱々しい声だった。この声が不快なわけではない。この声を聞いておきながら、体は震わせる以外に何もできない自分が不快だった。そしてこれの音は一連の繋がりのように繰り返し、それが断続的に連続的に執拗に必要以上に聞こえる。
「……」
次第に一連の流れの中で、「ああ」という声だけが聞こえなくなった。それでもその一連の音の繋がりは起こり続けた。それが続いているにも関わらず、ここの部屋は、酷く静かに聞こえた。化け物がそこにいないかのようにすら感じた。気が付くと耳から手を離し、化け物の足をその双眸で見つめていた。それが一体どんな気持ちなのかを言葉にすることは決して出来なかった。
ガンッ
化け物が机を蹴った。いると思っていなかったのか、僕と目が合うと化け物は一瞬止まったもののすぐに僕の手を掴んだ。掴んで引っ張った。僕と化け物の身長差は50センチ以上は少なくともあったから、僕の身体は宙に浮いた。僕の反応がないのを怖がっていると思ったのか、僕の前で笑った。その時、僕を支配していたのは恐怖ではなく、怒りだった。もはやそれは何の怒りなのかは、わからない。「それ」かもしれないし、この理不尽さかもしれなかった。
「ああああああああああああ」
捕まっていないもう一方の手で化け物を殴りつけた。化け物は僕が反撃するなんて予想していなかった。化け物の思い通りにならない事を僕は喜んだ。身体に反動をつけて脇腹を蹴った。僕の反抗に化け物は動揺していた。
しかし、そんな喜びも歓びもすぐに霧散してしまった。
「ぐっぁ」
化け物はその顔を一瞬にして怒りの表情に変えると同時で脇腹に激痛が奔った。潰れた蛙のような声が出る。吊るされている状態なので脇腹を庇うこともその場でのたうち回ることも出来なかった。痛みの元を見ると僕の脇腹にナタが刺さっていた。顔から血の気が引いて、目を逸らした。目を逸らしても、今度は痛みが皮膚を通して感じられた。僕の身体は地面について居ないので、僕の身体全体でその重みを支えているのだが、一度その身体に亀裂が入ればどうなるかは想像に容易い。重りをぶら下げた一枚の布を想像してほしい。そこに少しでもハサミを入れたらあとは時間が経てば、切り口は重りの重さで広がっていく。僕の身体だって同じだ。そしてそれに追い打ちをかけるように、もう一度脇腹に激痛が奔った。
「______ひゅっ」
息を吸い込もうとする僕の身体とそれを拒否する身体、どっちも僕の身体の癖にまるで意思でもあるかのように見当違いに働く。もう脇腹がどうなったかなんて考えたくもない。ああ、僕ってなんて馬鹿な選択をしたのだろうか? 酸欠の中でそんな後悔が生まれる。まあ、でもどっちでも結末は変わらなかっただろうな。
もう一度怪物を見つめる。何故か怪物の動きはスローモーションで見える。軌道的にはもう一度最後に脇腹に入るだろう。いっそのことショック死しないかな?
僕は死ぬ。
このまま死ぬ。
耳鳴りがキーンとなり、心臓は痛いほど早く、全身の筋肉が脈打ちながら、縮こまろうとする。
僕は諦めた。
耳鳴りよりも楽しい音楽が聴きたかった。しかし、僕に寄り添ってくれた音楽は一切頭の中で再生できない。相変わらず耳鳴りと心臓と筋肉の音だけだ。
僕は一つ大きな教訓を得た。
死ぬ前に綺麗な音楽などは聞こえない。
僕は怪物が腕を振り回すその瞬間を冷静に見ていた。怪物の腕は、段々と僕に近づいていき、次には切り落とされていた。
僕ではなく、怪物の腕が。
次の更新予定
2025年12月10日 16:00
吸血鬼はロックなんて聞かない @Kokekukika
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