#第3話

「アイスうっま」

 ソファのへりに真っ白な長い脚がぶら下がっている。私は脚の主に声を掛けた。

璃梨佳りりか、またソファでアイス食べてるの?この前アイスがドロッドロに溶けてこぼしたばっかりじゃない」

「もうこぼさないからいいでしょー」と璃梨佳が何ともやる気のない声で返してきた。

「あと抜け毛ちゃんとゴミ箱に捨てときなよ」

「はいはいママわかりましたよ」脚がソファの縁でプラプラする。プラプラした拍子にうさぎの可愛いスリッパが吹き飛んだ。

「私あんたのママじゃないんだけど」

「知ってるー。ごっめーん、スリッパ取ってきてー」


 私は立ち上がってうさぎスリッパを拾った。うさぎスリッパはパソコンの上に絶妙なバランスで乗っかっていた。ソファに向かい、そこにだらしなく横たわる少女にスリッパを渡した。おおよそ<部室>での振る舞いとは思えない。璃梨佳は億劫おっくうそうに体を起こし、スリッパを履いた。「...眠い」


「競技プログラミング部」...もといONIWABANに所属されてから半年。過酷な訓練とテストを繰り返し(東風谷先生はこれを「選抜試験」と呼んでいた)、ONIWABANのメンバー6人が揃った。毎日誰かしらこの<部室>に来てはいるものの、普段はバラバラに行動することが多いので、全員が<部室>に揃うことはほとんどない。全員が揃う今日の定期報告会はかなり珍しい。とはいえ、東風谷先生は今日は都合が合わずに来ることができないようだが。


 この<部室>というのは、半年前に私が連れてこられた図書館地下5階のだだっ広いフロアのことだ。何も無いがらんどうの部屋は、今やデスクやパソコン(一部メンバーの要望によりどう考えてもオーバースペックなゲーミングPCである)のみならず、冷蔵庫、テレビ、スピーカー、その他諸々の生活用品が揃う、実に居心地のいい空間に姿を変えていた。


 私をONIWABANに勧誘するときに、「生活、学業、ありとあらゆる面における全面的なサポートを提供する」と言ってしまったがばかりに、東風谷先生は私に要求されるままに、この部屋を整えざるを得なかった。「俺、雑用係じゃないんだけどなぁ...クソっ、口を滑らせたばかりに」などとボヤいていたが、私を強引に戦略情報庁に引きずり込もうとしたことへの報いだ。それくらいは甘んじて受け入れてほしい。


 土曜の午後、学習活動日、要は補習のあと、部活にいそしむ者、彼氏彼女とデートに行く者、ただただ家に帰る者、それぞれが三々五々移動していく喧騒、ここは嘘のように静まり返っていた。璃梨佳がもそもそ移動する音以外は何もしなかった。

「うえーい、誰かいるー!?」

 鉄扉が開く音とともに、閑静な時間が遥か彼方に吹き飛ばされた。

「秋山は今日も賑やかやなあ」

 部屋に入ってきたのは、ONIWABANメンバーの秋山葉一あきやまよういち藤沢夏紀ふじさわなつきだった。静寂をぶち破ったのが秋山、言葉遣いが柔らかなのが、我らがリーダー、藤沢くんだ。


市川いちかわちゃん、おはよう。璃梨佳は?打ち合わせの前に聞いときたいことあるんやけど」

「璃梨佳はね...」と見回した。「あそこじゃない?人をダメにしてしまうクッションのところ」

 夏紀が璃梨佳をクッションの山の中から掘り出した。

「やあ、璃梨佳」

「藤沢か。おはよ。この前はジュースありがと」

「なに、お安い御用さ。ところで璃梨佳、何で君は寝間着で<部室>にいるんだい?」

「寝間着じゃない。ルームウェアよ。でっかいTシャツとショートパンツが一番動きやすいの。動きやすい服装でいて何が悪い?」

「いや、ここ学校やねんけどなぁ...」

「そんなことより、何か用事があるんでしょ。急ぐんでしょ?」

「せやで。そやのに君が...」


 あの2人の絡みは端から見ていると、なかなかおもしろい。璃梨佳がなかなか言うことを聞いてくれない子猫、夏紀が苦戦する飼い主、ってところか、などと考えていると、急に後ろに気配を感じた。

「いえーい、結衣ちゃん今日もかわいいねー。メイク盛れてんねー」

 秋山がだる絡みしてきそうになったので、私は慌てて秋山を避けた。秋山の絡みを避けるくらいはさすがにもうお手の物だ。


「やっぱ秋山、距離感おかしいって」

「そうか?どこが?」

「もういい。あと秋山、東風谷先生にちゃんとボタン留めろって言われてたのに今日もブレザーのボタン留めてないじゃない。次ボタン開けてたらONIWABANから放り出すって東風谷先生言ってたわよ。規律も守れぬ奴にはここにいる資格はない、って」

「うーっわ、マジかよ。確かに何かそんなこと言ってたな」

「だいたい選抜試験のときに、規律を遵守せよ、って最初に先生が言ってたじゃない」

「おいおい、じゃあ璃梨佳はどうなるんだよ。アイツだって適当な格好してるから東風谷先生に何か小言を言われるだろ」

「璃梨佳は別に規律を破ってないもん。動きやすい服装をしてるだけだし、それに怠けてるように見えても任務のときはちゃんとやってるし。オンとオフがきっちりしてる、それだけの話よ」

詭弁きべんにも程があるだろ...」


---

 藤沢くんと璃梨佳は話を終えたようだ。

「藤沢くんたちはお昼食べてきたの?」

「まだ。この部屋で食べよう思ってたところや。秋山は?」

「俺?俺もまだ。朝コンビニ寄り損ねたからプロテインバー食う」

「それ賞味期限切れてるやつとちゃうの?」

「この前も箱がひしゃげたチョコ食べてたね。」璃梨佳が追い打ちをかけた。

「証拠を見せてやる他ないか...ほら見てみろ!」秋山がリュックをがさごそし始めた。中から物が次々と出てくる。クシャクシャになった遠足の案内プリント(先週終わった)、ページが取れかかった単語帳、ボディケアスプレー。そしてようやくお目当てのものが引っ張り出されたようだ。秋山はプロテインバーを見せつけてきた。

「ほらどうだ見てみろ。ちゃんとしたやつだろ?」

「秋山...」璃梨佳が気まずそうに言った。「ボロボロになってるのにちゃんとしてるって言うの?」

「今は2025年の10月だよ?普通に去年の11月で賞味期限切れてるよ」

「秋山って時間の感覚ないタイプの人やったんやなぁ?」藤沢くんは相変わらず辛辣だ。


 それはさておき、各人各様の昼食の時間が始まった。


 私の向かいに座った秋山は賞味期限が切れたボロボロのプロテインバー。明日の朝、腹痛にうめいているのが目に浮かぶようだ。

 私の右隣の璃梨佳は得体のしれない何か。生活力が思いやられる。

 璃梨佳の向かいで藤沢くんはベーコンベーグルバーガーを食べていたが、脇においた。

「ほな、始めよか。報告会を...」

 その瞬間、後ろのドアがまた開き、派手派手しい女子が姿を表した。自由な校風のおかげでウチの高校では髪型や髪色が自由だが、その中でもひときわ目立つピンク髪を、彼女はツインテールにしていた。

「ごっめーん、遅れた!」

 あまりにも量産型女子すぎる彼女の名は宮川美春。

「相変わらず宮川ちゃんは偉い人なんやな」

「は?どこが?どの口が言ってんの?」


 たぶん藤沢くんは重役出勤だねって嫌味を言いたかったんだろうけど、あいにく美春には伝わらなかったようだ。藤沢くんは藤沢くんで相変わらず遠回しな言い方なのは、上司に似たのではなく、元からである。毎度会うたびに角突き合わせる2人を仲裁するのはなぜか私の仕事、ということで今日も今日とて仲裁に出るはめになった。

「藤沢くん、報告会始めるところだったでしょ。美春、大して遅くなってないから安心して。まだお昼ご飯食べ始めたところだし。私の隣空いてるよ」

「僕は別にゆっくりやなあ言うただけやけどなあ」

「それがいらない一言なのよ」

「ところでアイツは?」

錠太郎じょうたろう?」夏紀が見回した。錠太郎とは、私たちの仲間、大村おおむら錠太郎のことだ。

「ここにいるよ」

 メガネをかけた土気色の顔をした男の子が柱の陰から出てきた。「...ずっといたのに誰も声をかけてくれなくって。気づいてくれないのかい?ひどいや!」

「いつもいつも気配を消し過ぎなんだよ、錠太郎は。」秋山が呆れたように言った。


 ---

「ほな報告会始めよか。まず璃梨佳から」

「まずは、改めて最初から確認しておきましょう。今年2月、北海道沖、東の領海内における瞬間的な高強度の電磁波の発生を検知。同時に周辺海域における東側の艦船及び基地局における通信途絶を確認。通信再開後、異常に高頻度かつ高レベルの暗号化通信が行われたことも確認された」

「璃梨佳ちゃーん、電磁波ってなんだぁ?俺、物理とか全くわかんねーから、もうちょっとばかし俺にも分かるように説明してくれよ」秋山が声を張り上げた。

 うんざりした顔で藤沢くんが言った。「すごくざっくり言うと光とか電波とかの仲間のことや。秋山はホンマ、不勉強やなあ」


 璃梨佳は平板な声で話し続けた。「続けるわね。戦略情報庁科学技術総局は当初核実験だとみなした。ただしいくつかの謎が残った。核爆発で生じるはずの熱異常、放射能をどちらも検知しなかった。加えて、周辺海域の海水面の局地的な低下が発生したこと、電磁波の波形が核実験特有のそれとは全く異なっていた、この2点から核実験の可能性は否定された」


 誰も身じろぎもしなかった。私自身、何度もこの報告書は読んだ。読んだうえで、ある程度納得はいった。貧弱な経験則と曖昧な類推で判断するな、と口酸っぱく言われてきた。この何とも言えない、ざらつくような不安感を解消するには、私たちが持っている情報は圧倒的に質も量も足りなさすぎる。


「分析の結果、本庁では3つの仮説が提示された。何らかの超強力な電磁波を発する新型兵器を開発したか、あるいは局所的に物理法則を捻じ曲げる新技術が開発されたか、それとも海面下で開発していた何らかの強力な熱源が高温高圧の爆発を起こした。これなら放射能を検知しなかったことを説明できる。戦略情報庁としては最初の仮説を支持したわ。最後の仮説はあまりに楽観的すぎるし、最後の仮説を外すのは納得がいく」


「で、璃梨佳はどう思ったん?今日はそこの話をしにきたんやろ?」


 璃梨佳はあくまで淡々と続けた。「私としては...2番めの仮説を支持する。理由は簡単。メタな話だけど、私たちはそのために呼び集められたんじゃないか、って思うから。最初の仮説で済む話なら、わざわざ私たち高校生を駆り出す理由がないでしょ。東風谷先生ってば本当にわかりにくいんだから」璃梨佳は強い光を目に宿して夏紀を見つめた。「それを踏まえると、東風谷先生は2番めの仮説を私たちに検討してほしいんじゃないかな。」


「まあそう考えるのが筋が通ってるよねぇ。組織として結論が出てるのにあえてこんな変なグループ作る必要ないもん」私は深く頷いた。「しかも、訳が分からないことを脇に置けば一番矛盾なく説明できるものね」


「とはいえ中身があるようでない話じゃん」美春は納得がいかないようだった。


 その時、突然スピーカーから大声が響いた。璃梨佳がビクッとして目を見開いた。「新宿区内でテロリストと思われる男の身柄を確保。ONIWABANは全メンバー、ただちに現場に急行せよ。場所は...」東風谷先生の声だった。戦略情報庁からの出動要請だ。


「うーわ、だっる」美春が呟いた。


(第3話 完)

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