【あ】からはじまるほりおこしてはいけない物語
想月ルナ
【あ行】
【あ】
あの空の向こうのもっともっと遠く、目には見えない遠くの世界には誰も知らない見たこともないようなモノがたくさんあるんだよ。
これは僕や私やあの子やあの人がその一片に触れた誰にも話せなかった物語。
【い】
遺品整理。大切な者を亡くした人間が一番やりたくないのがこれだと思う。
燃えるゴミ、燃えないゴミ。大切な人が使っていた物を分別する作業。どれを見ても思い出がよみがえる。
大好きな祖父が亡くなって一年が経った。両親がいない私を本当の子供のように惜しみない愛情をそそいで育ててくれた。
祖父母と暮らしていた家は祖母が先だった後は静かで使っていない部屋ばかりだったが、祖父は家の掃除や祖母が育てていた庭の花や野菜の世話を
それから何年かは祖父と二人暮らしをしていたが、祖母の大切にしていた庭の花の世話中に倒れそのまま帰らぬ人となった。偶然にも祖母が亡くなったのと同じ日だった。
祖母の遺品整理は祖父がやると言って綺麗に整理されていたので、私が遺品整理というのをするのは今回が初めてだった。
祖父が使っていた上着、長靴、帽子。どれを見ても祖父を思い出し涙がにじむ。
祖父がどんな気持ちで祖母の遺品整理をしたのかを思うと涙がこぼれた。
広い家の中に入ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
居間には葬儀屋が置いていった簡易的な祭壇の上に骨壺と遺影の代わりに置いた小さな写真立て。
そこには笑顔の祖父。祖母の時はすぐに納骨をしたから祖母の骨壺はないが、祖父のものは今もまだ自宅にある。
祖父の笑顔の写真と骨壺を見るとなんだか祖父との思い出を捨てているようで後ろめたい気持ちになり、祖父が使っていた書斎の整理をしようと居間を出た。
物書きをするのが好きな祖父はたまにこの書斎で小説のようなものを書いていたようだ。
夜遅くに目が覚めると書斎の電気がついていることがよくあった。
祖母が亡くなった後はそれが毎日のように続いていたから体が心配になったが、それで少しでも気がまぎれるのであればと私もなにも言わなかった。
机の上を見ると綺麗に並べられた辞書や原稿用紙と万年筆が置いてある。
祖父がいる時はこの部屋に入ってはいけないような気がしていたので、祖父が亡くなって初めて書斎に入った。
主がいなくなった書斎はなんだか悲しげな空気が漂い、それと同時に私の侵入を拒んでいるようだった。
ここに必要ないものなどない、早く出ていけといったような。
そんなの思い過ごしであろうが、重い空気感に耐えられず居間へ行き祖父の写真立てをとって書斎に戻る。
するとさっきまでの空気が一気に晴れたように居心地のいい空間になった。
まるで祖父が自分の孫が書斎に入るのを許せと一喝したようだった。
机の上に写真を置き、座布団に座り手を合わせる。
「これからおじいちゃんの書斎を整理していくね」
本棚を見ると難しそうな本がたくさん並んでいたが、本なら引き取り手がたくさん見つかるだろう。
祖父の友人で古書店をしている人がいたと思うから、話せば力になってくれそう。
万年筆も小遣い銭を貯めて買っていたのだろう、使っていないがピカピカに磨かれた万年筆が引き出しを開くと綺麗に並べられていた。
きっと新しい使い手に渡ってもまだまだ現役で使えるものばかりだろう。
黙々と書斎を整理したが、壊れて使えないとか汚れて引き取り手はいないだろうといったような物はほとんどなかった。
どんな物でも大事に使っていたとわかる。
後は各々の人に頼むよう連絡をしようと立ち上がった時、足にナニカがコツンと当たった。
下を見るとさっきまではなかったはずの球体が落ちていた。
手にとると可愛い柄が付いた手鞠だった。
私は周りを見回したがこれ一つらしい。
祖父がこのようなものを持っているのも作っていたのも見たことはない。
小さい頃に遊んだことがあっただろうか。
手鞠をぐるりと見回し手のひらでポンポンと持ち上げる。シャラシャラと澄んだ音がする。
色合いもとても綺麗だ。庭に咲いている祖母が大切にしていた青紫の桔梗の花のよう。
祖母が作ったものだろうか。手鞠を振りながら耳に当てる。
「お父さんの遺骨は一緒のお墓にいれてね。待っているわ」声がして驚き手鞠を投げる。
祖母の声だ。懐かしい祖母の声。手鞠を拾いもう一度耳に当てる。
「いつまでもお父さんと見守っているわ。ありがとうね」
その声を最後に手鞠からはシャラシャラと音がするだけで声は聞こえなかった。
私は手鞠をそっと持ち上げ、週末にはお墓に入れる祖父の骨壺の横に置いた。
【う】
嘘をついた。ちょっとした、誰が聞いてもそれくらいのことと言うような些細な嘘を。だけどそれはついていい嘘ではない。いくら些細なことでも嘘など言ってはいけないのだ。だけど本当のことを言えなかった。彼女の為にも。
小学校にあがる前の暑い夏。近所に建った戸建ての前に大きなトラックが止まった。
手土産を持って挨拶にきた母親らしき人と小さな子供。自分と同じくらいの歳頃だろう。私の母は笑顔で手土産を受け取り、私とその子は同じ歳だとわかりこれから仲良くしてねと声をかけられた。
お互い母に隠れて照れていたが、仲良くなるのに時間はかからなかった。朝ご飯を食べた後は公園に集まり毎日遊んでいた記憶がある。
私達は一人っ子だったが、彼女には近々弟か妹ができると話していた。家に遊びに行った時も彼女の母親のお腹が日に日に大きくなっていくのが目に見えてわかり、新しい遊び相手ができるとワクワクした。彼女の母は笑顔でお腹を撫でながら、産まれてきたら一緒に遊んであげてねと言った。
それから少しして彼女の母は女の子を産んだ。彼女の母は新しくできた妹に付きっきりの毎日で以前よりも頻繁に彼女はうちに遊びに来ることが多くなった。
夜ご飯を食べたり、一緒にお風呂に入りそのまま泊まる。私達の方が姉妹のように過ごす日々が続いたが、夜中トイレに起きて階段を降りると母は愚痴るように父にあの家は育児放棄をしているんじゃないか、そろそろこういう関係にはけじめをつけないとなどと話し合っていた。
「ご飯美味しい?」今日も彼女は家に来て一緒に食事をしている。父は仕事で帰りが遅いみたいだ。
「うん。とても美味しい!」そう言って彼女は笑顔でおかわりを要求する。母は眉を少しひそめ茶碗を受け取り炊飯器からご飯をよそった。
「最近お母さんと会っていないけど、元気にしてる?妹ができてお疲れじゃない?娘がこんな遅くまで他人の家に入り浸っているのになんの連絡もないなんて」母は少し棘のある言い方をした。
「うん、元気だよ!妹も元気!」そう言って彼女はご飯を口にかきこむ。彼女の方をチラリと見るが、うちでお風呂に入ってはいるけど着ている服があまり変わっていないような気がする。あちこちが汚れていて洗濯もしていないみたい。お風呂上りに同じ服を着るものだから臭いがする。今日も泊まる気満々の彼女だが、母は一度家に行ってご挨拶したいと身支度をした。彼女の家が近付くと明らかに彼女の顔は沈んでいった。歩く速度も遅く母と私の後ろを歩く。私は何か不安なことがあるのかと思い、手を繋ごうと言うと彼女は私の顔を見て少し笑った。
ピンポーン。インターホンの音が鳴る。返答はない。母はもう一度インターホンを鳴らすが出てくる様子もない。
「お出掛けしているのかしら?こんな遅い時間に子供を他人に預けて」母は少し苛立っているようだ。そして彼女の方を見た。
「お母さん、この時間いつもお出掛けしてるの?」彼女は下を向いた。そういえば妹が産まれたと言っていた時は毎日ちゃんと夕飯時には家に帰っていたが、それから少ししてあの家は父親が家に帰ってこなくなったと近所のおばさんが話しているのを聞いた。彼女は下を向いて私の手を爪が食い込むくらいに握った。
「大丈夫!きっと寝てるんだと思う!今日は帰るね、また明日!」そう言って彼女は私の手を離し家に入っていった。
次の日も彼女はまたうちに遊びに来た。母はパートに出ていて留守だった。
「家に入ってもいい?」私は母に彼女とあまり遊んではいけないと言われていたが、彼女と遊ぶのはとても楽しい。母はいい顔をしなかったが、私は彼女のことが大好きだった。だから今日もいつものように彼女と部屋でお人形遊びやままごとをして遊んだ。お昼が近づき、母が用意してくれたおにぎりがキッチンにあるのを思い出して階段を降りる。そこにあったのは一つのおにぎりとサラダ。ゆで卵が一個。それはそうだろう。彼女が遊びに来るのを想定しているわけではないし、母が家にいても彼女が来た時点で今日は帰ってもらいなさいと言われる。
私は彼女を見る。彼女は笑顔で私を見ている。とてもじゃないが一人で食べられる空気ではないし、他になにかお腹にいれるようなものもない。私はご飯一人分しかないみたいだから一緒に分けようと言うと彼女は笑顔で首を何度も縦に振った。
おにぎり半分こ、サラダ半分こ、ゆで卵を半分こ、にするのは難しかったけど、手を使ってゆっくりと半分になるように割った。黄身が片方に大きく偏って私と彼女は笑い合う。どっちが好き?と聞くと黄身の方が好きと言うので、黄身が大きい方を彼女に渡した。お腹がふくれ、リンゴジュースをおかわりして食器をシンクに置き水を流す。
「ねぇ。マッチって知ってる?」突然彼女が声をかけてきた。マッチ?火をつけるやつかな?昔バーベキューを家族でした時に見た気がするけど。
「マッチがなければライターある?」考え込んでいると彼女は続けて言う。
ライターも確かお父さんがたまに吸う煙草に火をつける時に使っていたような。
「どっちもあるけど何に使うの?危ないから火は使っちゃ駄目なんだよ」
「危なくないから!大丈夫!お母さんに頼まれたの。ガスコンロの調子が悪くて火をつける時に火種が必要だって。今は体調が悪くて動けないから、お隣さんに借りてきてほしいって」
そうなのか。彼女のお母さんは体調が悪いのか。だから最近顔をあまり見れてないんだ。それでも料理をちゃんとしているなんて凄いなぁ。私もなにか力になれることがあれば協力してあげなきゃ!そんな使命感がわき、私はサイドボードの中にあった父の煙草と一緒に置いてあるライターを手にとり彼女に渡した。
彼女は笑顔で私に抱きつき、ありがとうと言った。そのまま彼女は帰ると言ったけど、物を貸したままだと怒られてしまう。そう思って私も家に着いて行くことにした。
コンロに火をつけるのも一人でやろうとしているなら危ない。彼女は少し困った顔をしたが私を家に招き入れた。
久しぶりの彼女の家だとワクワクしていたが玄関に入った瞬間、目の前の光景に驚く。人が一人通れるくらいの道の両側にはゴミが積み上がり鼻の奥まで痛くなる臭いがした。
彼女は気にせず居間に続いている廊下をゴミを蹴飛ばしながら歩く。私は手で鼻を覆うがそれでも臭いがやわらぐことはない。ダイニングキッチンに入ると臭いはもっときつくなり、ゴミの山の中でかろうじて見えたテレビはブツブツと映像と声が切れている。ソファには大きな影があった。閉め切られたカーテン。暗い部屋の中。
「ただいま」彼女が声をかけるとその大きな影は少し揺れたようだった。彼女は返事がないなんていつものことだと言わんばかりにキッチンへ向かう。
新築の時に遊びに来た時とはまるで違う、別の家のようだ。あのテレビの横らへんで彼女の妹が産まれた時に一緒に遊んだな。それを思い出し、そういえば妹はどこだろうと周りを見回した。まだ小さいのだから泣き声くらい出すだろう。それともお母さんのところで寝ているのだろうか。私はソファに座っているのは彼女の母だろうと思い声をかけた。
「お邪魔してます」返事はない。聞こえなかったのかと思い、さらに少し近づきもう一度声をかける。
「あのぅ……」座っている人間を見て思わずひぃと声が出た。ギトギトした髪の毛が顔にへばりつき、垢まみれの顔と体。立ち上がれないほど体には肉がついている。モデルのような体型だった彼女の母が別人かと疑うほどの変わりようだ。でも顔には面影があるし、なにより手に抱えていたもの。それが小さい子供だとわかった。だが干からびていて呼吸をしているのかもわからない。目元が少し動いた気がしたが、この異常な状況なら見間違いかもしれない。
「こっち。こっち来て」彼女が私の手を引く。私は彼女の母親と手におさまっていた小さな子供のようなものが気になり振り返りながら彼女を見る。
「ほら、早く早く!」そう言って彼女は笑いながら玄関のドアを開けた。
いつも遊んでいる近くの公園の方へ歩いていく彼女。手を引かれる私。少し歩いてから振り返ると彼女の家から明るい光が見えた。続いて煙のようなものが見える。
「ちょっと待って!おうち火事じゃない?!」私は驚き彼女の手を離す。
「……違うよ」彼女は立ち止まり振り払われた手を見てから火が上がる方を見た。私は彼女の血の通っていないような顔が恐ろしくなった。さっきまで笑顔でご飯を一緒に食べていたのに。火の上がる彼女の家を見つめ呆然としている私。その時後ろから声をかけられた。
「もう行かなきゃ。優しくしてくれてありがとう。この星が終わる時は一番に迎えにいくから。もうすぐその時がくるから。約束」そう言った彼女の姿は大人の女性に変わっていた。確かにそこに立っていたのは彼女だったし、声を聞けばわかる。顔はよく見えないが長い髪がキラキラと光りとても美しい。
そして彼女の姿は透けて見えなくなっていった。
近所の人間や消防車やパトカーが集まり消火活動をしたが、彼女の家はあっという間に跡形もなく焼けてしまった。焼け跡からは女性と子供の遺体であろうものが見つかり、この家に住む二人だと特定された。警察の人に友達の家なんですと説明し、友達は中にいませんでしたかと聞くと、ここに住んでいるのは母親と子供一人だと言う。自分の両親に聞いても近所の人に聞いても彼女のことは誰も覚えていなかった。
必死で彼女と家族がいつ越してきたか、彼女と私はすごく仲が良くて毎日遊んでいたと説明したが、近所の方が亡くなったのだから動揺するのも無理もないわ、大丈夫よ、と言ってみんなが私を慰めた。
違う。違うんだよ。私が渡したライターで彼女は火をつけたんだ。きっとそうだ。だって手元にそのライターはない。そんな私の混乱をよそに出火元は母親のいた付近の焼け跡が酷かったことから煙草の不始末となり事件は終わった。私は彼女が火をつけるところを見ていない。だけど彼女の母親は煙草なんて吸っていなかった。
それから毎日ふさぎこんでいる私を両親は心配してくれたが、なにが本当だったのかわからない。
父が煙草を吸おうとサイドボードを開ける。
「あれ?ライターも一緒に置いていたはずなんだが」そう言って父はライターを探す。
「私!」
持ち出して彼女に渡したことを言おうとした時、頭が割れるような痛みに襲われた。
「どうした?ライターどこか知ってるか?」父にそう聞かれたが頭が痛い。
「知らない……」私は嘘をついた。その瞬間頭の痛みはすぐに消えた。彼女が来て去るまでのことは私しか知らないし、何度本当のことを言おうとしてもきっと彼女は私を見ている。
それが私を守る方法だったとしても、心を病み病院に入って年老いた今。もうなにもかもどうでもいい。すぐその時がきて迎えにくるって言ったのに。ウソつき。
【え】
絵の具の種類にも色々あるが、毒性のものを含む絵の具もたくさんある。
普通に彩色するには全く問題ないものばかりだが、小学生の時に黄色い絵の具がおいしいから食べてみてと言いながらチューブの絵の具を食べている子がいた。
子供はみんな好奇心旺盛な生き物だ。その子に続いてみんなでチューブから手に絵の具を出し舐めてみた。その子が言うように少し甘いような気はするが、美味しいとは思えない。進んで食べるものではないし、先生がそれを見つけ頭を叩かれたので悪い記憶しかない。
その子とは登下校も一緒にしていて比較的仲は良かったと思う。絵の具を食べる少し変わり者といった程度で普段は問題を起こすこともない。それから数ヶ月で転校していったあの子。転勤族というやつみたいだったがそのうち忘れてしまった。大人になって黄色い絵の具には毒があるとわかり驚いたし、後遺症が残るんじゃないかとドキドキしたものだ。
そんなこともすっかり忘れて社会人になった今。今日も会社へ行く準備をしながらコーヒーを飲み、タブレットでニュースを見る。最新記事で流れてきたその文面に目を疑った。
「昨夜未明、全身に黄色い絵の具を塗りつけられ黄色に塗られた浴槽に沈められた遺体が発見されました。被害者は―」
被害者のマンションの写真が貼られている。こんなことをするのはあの子しかいない。ポケットにいつも黄色いチューブの絵の具を何本も入れていた。自分を自衛するナイフを持ち歩くように。体中にその毒がまわり、いつ見つかっても死ねるから捕まえてみろと言った脅しのように。そのことを知っているのはきっと私だけだろう。覚えているとわかれば次は私が黄色い絵の具を塗られ沈められるのだろうか。
【お】
「おはじきはじいてあちらに飛ばそ。そちらに飛んだら鬼が出る。こちらに飛んだら何が出る」
「トト様カカ様どちらが残る。どちらか残ればおまんま食べれる。残らなければ先はない」
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