第21話 サイズ泥棒ドリップゴブリン、ビッグカップでちまちま盗む

 ——コンビニのセルフコーヒーは、

 お客さんを信じる仕組みでできている。


 レジでカップを売って、

 あとはマシンの前で自分でボタンを押してもらう。


 “自分で仕上げる自由”と引き換えに、

 “ちゃんとルールを守ってくれる”ことを期待する仕組みだ。


 本当は、それでうまく回るはずだった。


 ……はず、なんだけど。


 ときどき現れる。


 小さいカップで会計しておいて、

 マシンの前では大きいボタンを押すやつが。



「いらっしゃいませ〜」


 朝のピークが、

 そろそろ山場を越えつつある時間帯。


 スーツの男性が、

 カウンターに白い紙カップを置いた。


「ホットのコーヒー、Sで」


「かしこまりました。ホットS、◯◯円です」


 会計を済ませてカップを渡す。


 男は「どうも」と言いながら、

 コーヒーマシンのほうへ向かっていった。


 その背中を、なんとなく目で追ってしまう。


 マシンの前には、

 「S」と「M」の大きなボタン。

 さらに横に、「カフェラテ」「濃いめブレンド」のボタン。


 男は、Sカップをホルダーにセットし——


(……ん?)


 迷いなく、「M」のボタンを押した。


 ピーッ。


 抽出が始まる。


 Sカップのフチぎりぎりまで、

 コーヒーがなみなみと注がれていく。


(あーあーあー……)


 “間違えた”というより、

 慣れた手つきだった。



 それから数日後。


 今度は、

 若い男がカップを二つ、カウンターに置いた。


「ホットコーヒー二つ。どっちもSで」

「ホットSを二つで、◯◯円です」


 会計を済ませてカップを渡す。


 男はまた、

 コーヒーマシンの前へ。


 Sカップを一つセットして、

 「カフェラテ」のボタンを押した。


「……」


 ミルクの音が鳴る。

 白い泡が、Sカップの中にふわっと盛り上がる。


(ブレンド代しか払ってないよな……)


 もう一つのカップでも、

 今度は「濃いめブレンド」を選んでいる。


 レジからでも見える距離だった。



 バックヤード。


 ホワイトボードには、

 新しい名前が書き足されていた。


 ——サイズ泥棒ドリップゴブリン

 ・レジではSサイズ/普通ブレンドで会計

 ・マシン前でLボタン/カフェラテ/高単価メニューを押す

 ・見られたときだけ「押し間違えました」とシラを切る


「“ボタン押し間違えちゃいました〜”って顔、慣れてますよね、あの人たち」


 美希が、腕を組んで言う。


「毎回あんなに堂々と間違えないですよ〜普通」

「“本当に間違えた人”と、“確信犯”の見分け、けっこう難しいんですよね」


 ひよりが、タブレットを見ながらため息をつく。


「“一回だけなら”って全部許してると、“それ前提で会計する人”が増えるんですよね……」

「実際、いくらぐらい飛んでるんですか?」


 俺が聞くと、レイさんがノートPCをこちらに向けた。


 画面には、

 ドリンクの販売データが並んでいる。


 ——【ここ一ヶ月のセルフコーヒー】

 ・Sサイズ売上数:◯◯杯

 ・Mサイズ売上数:△△杯

 ・カフェラテ売上数:□□杯

 ・マシンの抽出ログ:……


「この店のマシン、“どのボタンが何回押されたか”までは、ログが残る」


 レイさんが、グラフを指さす。


「ここ一ヶ月、“Sカップ売上”より“コーヒー抽出回数”のほうが、

 微妙に多い」

「ブレンドだけで、ですか?」

「そう。Sカップ販売数:◯◯杯に対して、S相当のボタンが押された回数:◯◯+α回」

「“α”ってことは——」

「“会計されてない抽出”が、そのぶん混ざってる可能性がある」

「ラテも怪しいですね」


 ひよりが、別のグラフを開く。


 ——【カフェラテ】

 ・レジ売上:××杯

 ・抽出ログ:××+β回


「ラテ、そんなに“押し間違える”ボタンじゃないと思うんですけど」


「“β”は全部が全部“泥棒ゴブリン”じゃないにせよ、

 ゼロではないだろうな」



「まずは、現状の仕組みのおさらいだ」


 レイさんが、ホワイトボードを埋めていく。


 ——【今のセルフコーヒー】

 ・レジでカップ販売(S/M)

 ・お客様が自分でマシンにセット

 ・ボタン選択は完全セルフ

 ・SカップでMボタン/違うメニューを押されても、

  見てないと分からない


「“セルフ”のいいところは残しつつ、

 “泥棒ルート”だけ潰したい」


「全部店側で入れるのは現実的じゃないですしね」


 ひよりが頷く。


「朝のピークに、コーヒーまでフルオペは無理です」

「なので——」


 美希が、画面に別の図を出した。


 ——【やりたいこと】

 1. カップの種類と押せるボタンを紐づける

 2. “押し間違えたふり”をしづらくする

 3. 本当に間違えた人は、ちゃんと救済する


「マシン自体を変えるのはすぐには無理ですから、

 見せ方とルールで、ある程度“牽制”しましょう」



「まず、見た目からだ」


 ひよりが、マシン前の写真に赤ペンで印をつける。


「ボタンの横に、カップの絵と価格を並べて表示しましょう」


 ——【ボタン横POP】

 ・Sカップ:ホットS/アイスS(◯◯円)

 ・Mカップ:ホットM/アイスM(△△円)

 ・ラテ:専用価格/カップ別


「“どのボタンがどのカップ前提か”を、

 視覚的にくっつけておくんですね」


「そうです」


 ひよりが頷く。


「あと、

 マシンの上に一枚、大きく」


 ——『レジでご購入いただいたサイズ・種類と

   違うボタンを押された場合、

   差額をいただくことがあります』


「“やると損するかも”ってことですね〜」


 美希がくすっと笑う。


「“やっても得しかしない”と思われてると、

 ゴブリンが増えるので」



「でも、

 “差額ください”って、

 どうやって言えばいいんですか?」


 俺が聞くと、

 ひよりがすでにテンプレを用意していた。


 ——【声かけテンプレ】

 ・「こちら、Sサイズでお会計いただいていたかと思うんですが、

   今Mサイズのボタンを押されましたか?」

 ・「もしサイズ変更されるようでしたら、

   差額だけいただいてもよろしいですか?」

 ・「ラテに変更される場合は、こちらの価格になります」


「“泥棒”とは言わない」


 レイさんが、マーカーのキャップを回しながら言う。


「“サイズ変更ですね? 差額をお願いします”

 あくまで事務的に」


「“悪いことした”って感情より、

 “バレると面倒だな”って感情のほうが効きますからね〜」


 美希がニヤッとする。



「もう一つ、

 “本当に間違えた人”用の救済ルートも用意しとこう」


 レイさんが、ホワイトボードに線を引く。


 ——【押し間違え救済】

 ・本当に一回だけ/明らかに慣れていない人

 → 差額は取らず、「次回からお気をつけください」で流す

・常連で何度も同じことをする人

 → 差額を請求/最悪の場合、販売をお断り


「“毎朝やってる人”と、

 “今日初めて使った人”は、

 分けてあげたいので」


「常連のログ、

 カルテに残しておきましょうか」


 ひよりが「サイズ泥棒ドリップゴブリン」の下に小さく追記する。



 数日後の朝。


 コーヒーマシンの前は、

 少しだけ見た目が変わっていた。


 ボタンの横には、

 カップのイラストと価格。


 マシンの上には、大きなPOP。


 ——『レジでご購入いただいたサイズ・種類と

   違うボタンを押された場合、

   差額をいただくことがあります』


 カウンターにも、

 小さな注意書きが増えている。


 ——『コーヒーカップは会計前にサイズをご確認ください』



「ホットのコーヒー、Sで」


 スーツの男性がカップを置いた。


「ホットS、◯◯円です」


 会計を済ませて、

 例のマシンのほうに向かう。


 Sカップをセットして——

 一瞬、「M」のボタンの上で指が止まる。


 男は、マシン上のPOPを見た。


 ——『レジでご購入いただいたサイズ・種類と

   違うボタンを押された場合、

   差額をいただくことがあります』


「あー……」


 小さくため息をついて、

 Sのボタンを押した。


 マシンの前を通り過ぎるとき、

 目が一瞬、レジのほうを見た。


 俺と視線がかち合ったが、

 すぐに逸らされた。


(分かってるんだな……)



 その少しあと。


 さっきと同じ若い男が、

 カップを二つ持ってやってきた。


「ホットのSを二つ」


「ホットSを二つで、◯◯円です」


 会計を済ませて、

 やっぱりマシンのほうへ向かう。


 一つ目のカップをセットして——

 迷いなく「カフェラテ」のボタンを押した。


「……」


 俺は、レジから一歩だけ前に出た。


「お客様、失礼いたします」


「ん?」


「先ほど、

 ホットコーヒーSでお会計いただいていたと思うんですが」


 マシンのPOPを指さしながら続ける。


「こちらのラテのボタンですと、

 コーヒーとは別の価格になってしまうので……」


「あ、そうなんですか?」


 男は、“知らなかったですけど?”という顔をした。


「もしラテに変更されるようでしたら、差額をいただく形になりますが、いかがされますか?」


「……」


 一瞬だけ、男の表情が固まる。


「いや、じゃあ、普通のコーヒーでいいです」


「かしこまりました」


 男は、

 慌ててスタートを止め、

 もう一つのカップにセットし直して、

 今度はブレンドのボタンを押した。


 泡立ちかけていた一杯目は、

 こちらで回収する。



 バックヤード。


「今の、完全に“やろうとしてた”顔でしたね〜」


 美希が笑う。


「“差額”の一言で、

 すごい速度でやめましたけど」


「“バレなきゃ得する”から、“バレると損するかも”に変わると、ゴブリンの足はだいぶ鈍くなりますね」


 ひよりが、カルテの備考欄に追記する。


 ——備考:

 ・POPとボタン横価格表示で“確信犯”は減少

 ・声かけ時、「差額いただく形になります」で大抵止まる


「“本当に間違えた人”もいました?」


「一人いましたね」


 ひよりが、ログを開く。


「年配の方で、

 “ボタンの意味が分からなかった”パターンです」


「そのときは?」


「“今回はそのままで大丈夫ですので、

 次回からこちらのボタンでお願いします”って案内しました」


「それで十分だな」


 レイさんが、ホワイトボードを眺める。


「“毎日やってる人”と“今日生まれた人”を同じ扱いにするほうが、

 クソだ」


「お店側のモラルの話になってきましたね」


 美希が笑った。



 締め作業前。

 コーヒーマシンの抽出ログを、

 ひよりが確認する。


「ここ数日、

 “売上より抽出回数が多い差”が少し減ってますね」


「ゼロにはならないかもしれませんけど、

 “やればやるほど得”の仕組みではなくなった、と」


「はい」


 ひよりが頷いた。


「それに——」


「それに?」


「さっき、

 いつもMボタン押してたっぽい人が、

 ちゃんとSボタン押してたの、見ました」


「お、改心?」


「“サイズ泥棒ドリップゴブリン”から、

 “普通のコーヒー好きな人”に戻りましたね」


「それはいい」


 レイさんが、マーカーでカルテの端に小さく書き足した。


 ——※一部ゴブリン、転職成功



 閉店しない店の、

 一区切りみたいな時間。


 マシンの前に立つ。


 ボタン横には、

 カップの絵と価格。


 マシン上には、

 差額POP。


 カウンターには、

 サイズの説明。


(……まぁ、悪くないな)


 試しに自分用のコーヒーを一杯、

 Sカップで入れてみる。


 Sのボタンを押すと、

 ちょうどいい量で止まった。


「サイズ泥棒のゴブリンさんには、

 Sで我慢してもらいましょうかね」


 小さくつぶやいて、

 コーヒーを一口飲む。


 コンビニクソ客バスターズの戦いは、

 今日も、カップ一杯ぶんの差額から

 静かに続いていく。

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