第21話 サイズ泥棒ドリップゴブリン、ビッグカップでちまちま盗む
——コンビニのセルフコーヒーは、
お客さんを信じる仕組みでできている。
レジでカップを売って、
あとはマシンの前で自分でボタンを押してもらう。
“自分で仕上げる自由”と引き換えに、
“ちゃんとルールを守ってくれる”ことを期待する仕組みだ。
本当は、それでうまく回るはずだった。
……はず、なんだけど。
ときどき現れる。
小さいカップで会計しておいて、
マシンの前では大きいボタンを押すやつが。
◇
「いらっしゃいませ〜」
朝のピークが、
そろそろ山場を越えつつある時間帯。
スーツの男性が、
カウンターに白い紙カップを置いた。
「ホットのコーヒー、Sで」
「かしこまりました。ホットS、◯◯円です」
会計を済ませてカップを渡す。
男は「どうも」と言いながら、
コーヒーマシンのほうへ向かっていった。
その背中を、なんとなく目で追ってしまう。
マシンの前には、
「S」と「M」の大きなボタン。
さらに横に、「カフェラテ」「濃いめブレンド」のボタン。
男は、Sカップをホルダーにセットし——
(……ん?)
迷いなく、「M」のボタンを押した。
ピーッ。
抽出が始まる。
Sカップのフチぎりぎりまで、
コーヒーがなみなみと注がれていく。
(あーあーあー……)
“間違えた”というより、
慣れた手つきだった。
◇
それから数日後。
今度は、
若い男がカップを二つ、カウンターに置いた。
「ホットコーヒー二つ。どっちもSで」
「ホットSを二つで、◯◯円です」
会計を済ませてカップを渡す。
男はまた、
コーヒーマシンの前へ。
Sカップを一つセットして、
「カフェラテ」のボタンを押した。
「……」
ミルクの音が鳴る。
白い泡が、Sカップの中にふわっと盛り上がる。
(ブレンド代しか払ってないよな……)
もう一つのカップでも、
今度は「濃いめブレンド」を選んでいる。
レジからでも見える距離だった。
◇
バックヤード。
ホワイトボードには、
新しい名前が書き足されていた。
——サイズ泥棒ドリップゴブリン
・レジではSサイズ/普通ブレンドで会計
・マシン前でLボタン/カフェラテ/高単価メニューを押す
・見られたときだけ「押し間違えました」とシラを切る
「“ボタン押し間違えちゃいました〜”って顔、慣れてますよね、あの人たち」
美希が、腕を組んで言う。
「毎回あんなに堂々と間違えないですよ〜普通」
「“本当に間違えた人”と、“確信犯”の見分け、けっこう難しいんですよね」
ひよりが、タブレットを見ながらため息をつく。
「“一回だけなら”って全部許してると、“それ前提で会計する人”が増えるんですよね……」
「実際、いくらぐらい飛んでるんですか?」
俺が聞くと、レイさんがノートPCをこちらに向けた。
画面には、
ドリンクの販売データが並んでいる。
——【ここ一ヶ月のセルフコーヒー】
・Sサイズ売上数:◯◯杯
・Mサイズ売上数:△△杯
・カフェラテ売上数:□□杯
・マシンの抽出ログ:……
「この店のマシン、“どのボタンが何回押されたか”までは、ログが残る」
レイさんが、グラフを指さす。
「ここ一ヶ月、“Sカップ売上”より“コーヒー抽出回数”のほうが、
微妙に多い」
「ブレンドだけで、ですか?」
「そう。Sカップ販売数:◯◯杯に対して、S相当のボタンが押された回数:◯◯+α回」
「“α”ってことは——」
「“会計されてない抽出”が、そのぶん混ざってる可能性がある」
「ラテも怪しいですね」
ひよりが、別のグラフを開く。
——【カフェラテ】
・レジ売上:××杯
・抽出ログ:××+β回
「ラテ、そんなに“押し間違える”ボタンじゃないと思うんですけど」
「“β”は全部が全部“泥棒ゴブリン”じゃないにせよ、
ゼロではないだろうな」
◇
「まずは、現状の仕組みのおさらいだ」
レイさんが、ホワイトボードを埋めていく。
——【今のセルフコーヒー】
・レジでカップ販売(S/M)
・お客様が自分でマシンにセット
・ボタン選択は完全セルフ
・SカップでMボタン/違うメニューを押されても、
見てないと分からない
「“セルフ”のいいところは残しつつ、
“泥棒ルート”だけ潰したい」
「全部店側で入れるのは現実的じゃないですしね」
ひよりが頷く。
「朝のピークに、コーヒーまでフルオペは無理です」
「なので——」
美希が、画面に別の図を出した。
——【やりたいこと】
1. カップの種類と押せるボタンを紐づける
2. “押し間違えたふり”をしづらくする
3. 本当に間違えた人は、ちゃんと救済する
「マシン自体を変えるのはすぐには無理ですから、
見せ方とルールで、ある程度“牽制”しましょう」
◇
「まず、見た目からだ」
ひよりが、マシン前の写真に赤ペンで印をつける。
「ボタンの横に、カップの絵と価格を並べて表示しましょう」
——【ボタン横POP】
・Sカップ:ホットS/アイスS(◯◯円)
・Mカップ:ホットM/アイスM(△△円)
・ラテ:専用価格/カップ別
「“どのボタンがどのカップ前提か”を、
視覚的にくっつけておくんですね」
「そうです」
ひよりが頷く。
「あと、
マシンの上に一枚、大きく」
——『レジでご購入いただいたサイズ・種類と
違うボタンを押された場合、
差額をいただくことがあります』
「“やると損するかも”ってことですね〜」
美希がくすっと笑う。
「“やっても得しかしない”と思われてると、
ゴブリンが増えるので」
◇
「でも、
“差額ください”って、
どうやって言えばいいんですか?」
俺が聞くと、
ひよりがすでにテンプレを用意していた。
——【声かけテンプレ】
・「こちら、Sサイズでお会計いただいていたかと思うんですが、
今Mサイズのボタンを押されましたか?」
・「もしサイズ変更されるようでしたら、
差額だけいただいてもよろしいですか?」
・「ラテに変更される場合は、こちらの価格になります」
「“泥棒”とは言わない」
レイさんが、マーカーのキャップを回しながら言う。
「“サイズ変更ですね? 差額をお願いします”
あくまで事務的に」
「“悪いことした”って感情より、
“バレると面倒だな”って感情のほうが効きますからね〜」
美希がニヤッとする。
◇
「もう一つ、
“本当に間違えた人”用の救済ルートも用意しとこう」
レイさんが、ホワイトボードに線を引く。
——【押し間違え救済】
・本当に一回だけ/明らかに慣れていない人
→ 差額は取らず、「次回からお気をつけください」で流す
・常連で何度も同じことをする人
→ 差額を請求/最悪の場合、販売をお断り
「“毎朝やってる人”と、
“今日初めて使った人”は、
分けてあげたいので」
「常連のログ、
カルテに残しておきましょうか」
ひよりが「サイズ泥棒ドリップゴブリン」の下に小さく追記する。
◇
数日後の朝。
コーヒーマシンの前は、
少しだけ見た目が変わっていた。
ボタンの横には、
カップのイラストと価格。
マシンの上には、大きなPOP。
——『レジでご購入いただいたサイズ・種類と
違うボタンを押された場合、
差額をいただくことがあります』
カウンターにも、
小さな注意書きが増えている。
——『コーヒーカップは会計前にサイズをご確認ください』
◇
「ホットのコーヒー、Sで」
スーツの男性がカップを置いた。
「ホットS、◯◯円です」
会計を済ませて、
例のマシンのほうに向かう。
Sカップをセットして——
一瞬、「M」のボタンの上で指が止まる。
男は、マシン上のPOPを見た。
——『レジでご購入いただいたサイズ・種類と
違うボタンを押された場合、
差額をいただくことがあります』
「あー……」
小さくため息をついて、
Sのボタンを押した。
マシンの前を通り過ぎるとき、
目が一瞬、レジのほうを見た。
俺と視線がかち合ったが、
すぐに逸らされた。
(分かってるんだな……)
◇
その少しあと。
さっきと同じ若い男が、
カップを二つ持ってやってきた。
「ホットのSを二つ」
「ホットSを二つで、◯◯円です」
会計を済ませて、
やっぱりマシンのほうへ向かう。
一つ目のカップをセットして——
迷いなく「カフェラテ」のボタンを押した。
「……」
俺は、レジから一歩だけ前に出た。
「お客様、失礼いたします」
「ん?」
「先ほど、
ホットコーヒーSでお会計いただいていたと思うんですが」
マシンのPOPを指さしながら続ける。
「こちらのラテのボタンですと、
コーヒーとは別の価格になってしまうので……」
「あ、そうなんですか?」
男は、“知らなかったですけど?”という顔をした。
「もしラテに変更されるようでしたら、差額をいただく形になりますが、いかがされますか?」
「……」
一瞬だけ、男の表情が固まる。
「いや、じゃあ、普通のコーヒーでいいです」
「かしこまりました」
男は、
慌ててスタートを止め、
もう一つのカップにセットし直して、
今度はブレンドのボタンを押した。
泡立ちかけていた一杯目は、
こちらで回収する。
◇
バックヤード。
「今の、完全に“やろうとしてた”顔でしたね〜」
美希が笑う。
「“差額”の一言で、
すごい速度でやめましたけど」
「“バレなきゃ得する”から、“バレると損するかも”に変わると、ゴブリンの足はだいぶ鈍くなりますね」
ひよりが、カルテの備考欄に追記する。
——備考:
・POPとボタン横価格表示で“確信犯”は減少
・声かけ時、「差額いただく形になります」で大抵止まる
「“本当に間違えた人”もいました?」
「一人いましたね」
ひよりが、ログを開く。
「年配の方で、
“ボタンの意味が分からなかった”パターンです」
「そのときは?」
「“今回はそのままで大丈夫ですので、
次回からこちらのボタンでお願いします”って案内しました」
「それで十分だな」
レイさんが、ホワイトボードを眺める。
「“毎日やってる人”と“今日生まれた人”を同じ扱いにするほうが、
クソだ」
「お店側のモラルの話になってきましたね」
美希が笑った。
◇
締め作業前。
コーヒーマシンの抽出ログを、
ひよりが確認する。
「ここ数日、
“売上より抽出回数が多い差”が少し減ってますね」
「ゼロにはならないかもしれませんけど、
“やればやるほど得”の仕組みではなくなった、と」
「はい」
ひよりが頷いた。
「それに——」
「それに?」
「さっき、
いつもMボタン押してたっぽい人が、
ちゃんとSボタン押してたの、見ました」
「お、改心?」
「“サイズ泥棒ドリップゴブリン”から、
“普通のコーヒー好きな人”に戻りましたね」
「それはいい」
レイさんが、マーカーでカルテの端に小さく書き足した。
——※一部ゴブリン、転職成功
◇
閉店しない店の、
一区切りみたいな時間。
マシンの前に立つ。
ボタン横には、
カップの絵と価格。
マシン上には、
差額POP。
カウンターには、
サイズの説明。
(……まぁ、悪くないな)
試しに自分用のコーヒーを一杯、
Sカップで入れてみる。
Sのボタンを押すと、
ちょうどいい量で止まった。
「サイズ泥棒のゴブリンさんには、
Sで我慢してもらいましょうかね」
小さくつぶやいて、
コーヒーを一口飲む。
コンビニクソ客バスターズの戦いは、
今日も、カップ一杯ぶんの差額から
静かに続いていく。
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