第19話 デフロストサラマンダー、アイスの国境線を溶かす

 ——コンビニの冷凍ケースは、

 小さな「冬」の部屋だ。


 アイス、冷凍食品、氷袋。

 透明な扉の向こうに、きっちり冷えた世界が並んでいる。


 ……本当は、そうであるはずなのに。


 ときどき現れるのだ。


 その「冬」のドアを開けっぱなしにして、

 中身だけじわじわ解凍させていくやつが。



 休日の昼下がり。

 子ども連れのお客が増える時間帯だった。


 レジから見える位置に、

 アイスの縦長ケースが三台並んでいる。


 その真ん中の扉が、さっきから開いたままだ。


「ねぇ〜、これがいい〜」

「え、それ高いじゃん。こっちの棒のやつにしなさいよ」


 母親と、小学生くらいの女の子。

 女の子はしゃがみ込んで、

 ケースの一番下の段をじーっと見ている。


 扉は、全開。


 冷たい空気が、店内にダダ漏れだ。


(閉めたい……)


 心の中でそう思いながらも、

 会計の列は途切れない。


「◯◯円になります」


 支払いを受け取り、袋詰めしながら、

 チラッと冷凍ケースの温度表示を見る。


 ——−18℃ → −16℃


 数字が、じわりと上がっていた。



 ようやくレジが一段落したころ。

 冷凍ケースの前に行ってみる。


 扉の内側は、うっすら曇っていて、

 下のほうには水滴がたまり始めていた。


「……ぬるい」


 試しに、ケースの中のアイスを一つ指で軽くつまむ。


 カチコチ、とはいかない。

 ほんの少し、柔らかい。


「直人、温度ログ見たか?」


 背後から、レイ店長の声がした。


「さっき、−18℃から−15℃まで一気に上がってた」


「見てました。たぶん、さっきの親子連れのときですね」

「デフロストサラマンダーが出たな」

「デフロスト……?」


「“冷凍ケースの扉を開けっぱなしにして、アイスの国をじわじわ解凍させる火トカゲ型モンスター”だ」


 そう言って、レイさんは冷凍ケースの温度パネルを指さした。


 デジタル数字の下には、小さなボタンが並んでいる。

 「温度ログ」「アラーム」「デフロスト」。



 バックヤード。

 ノートPCの画面には、

 冷凍ケースの温度ログがグラフになって表示されていた。


 時間軸に沿って、青い線がずっと−18℃あたりを走っていて——

 ある一点から、にゅるっと−15℃近くまで跳ね上がっている。


「これがさっきの“開けっぱなしタイム”です〜」


 美希が、グラフのその部分を拡大した。


「約三分間ドア開きっぱなしですね。その間、コンプレッサーはフル稼働〜」

「三分でこんなに変わるんですね……」


 俺がつぶやくと、ひよりがタブレットにメモを取りながら言う。


「冷凍ケースって、“中身を冷やす箱”というより、“冷気を逃がさない前提の箱”なんですよね」


「ドアを開けっぱなしにされると、“中に冷やした空気をずっと外に捨ててる”状態になります」

「そんなもったいないことを……」

「しかも、アイスは“温度変化”に弱いですから」


 ひよりが、温度グラフの横に、

 簡単なメモを書き足す。


 ——【アイスの敵】

 ・温度の上がり下がり(解けて→再凍結で品質劣化)

・ケース内の結露・霜


「さっき、下のほう少し柔らかかったですよね?」

「はい。全部じゃないですけど、端のほうが」

「一度柔らかくなって、また凍ると、氷の粒が大きくなって“ジャリジャリアイス”になっちゃうんですよ」

「それは嫌ですね……」



「まずは、モンスター定義だな」


 レイさんが、ホワイトボードに書き始める。


 ——デフロストサラマンダー

 ・冷凍ケースの扉を開けっぱなしにする

 ・中身を見ている時間よりスマホ見ている時間が長い

 ・子どもとの相談会議も全部、扉オープン状態で行う

 ・結果的にケース内温度をじわじわ上げる


「“本人の中では、ちょっと選んでるだけ”なんですよね〜」


 美希が、苦笑いしながら言う。


「“冷凍庫開けっぱなしの家庭”のノリを、そのまま店に持ち込んでる感じです」

「家庭でも怒られてほしいですけどね、それは」



「で、どうするかだ」


 レイさんが、ペンの色を変える。


「“開けっぱなし禁止”って言いたいけど、まったく開けるな、とは言えない」

「“開けて選ぶのはOK”だけど、“会議やスマホは一回閉めてから”って線引きですかね」


 ひよりが、POP案のメモを開く。


 ——『冷凍ケースご利用のお願い

   ・商品をお選びになる際は、

    開けた扉はできるだけすぐお閉めください

   ・迷われるときは、一度扉を閉めてからお選びください

   ・扉を開けたままにすると、中の商品が解けてしまう場合があります』


「“電気代が〜”とかより、“アイス解けます”のほうが伝わりますね」

「はい。“自分が買うアイス”も解けるので」



「あと、これはどうでしょう」


 美希が、新しい画面を出した。


 冷凍ケースの上に取り付ける、

 小さな表示パネルのイメージだ。


 ——【アイスの国の温度】ただ今:−18℃(安全)


「現在温度を、ちょっとだけ“キャラ化”して見せる感じです〜」


「“アイスの国”……」


「扉が長く開くと、−18℃→−16℃になって、“アイスの国が少し溶けてきた!”みたいなコメントを出す」

「それは……ちょっと面白いかもしれないですね」


 俺の頭の中に、

 冷凍ケースの中に住む小さな雪だるまのイメージが浮かぶ。


「扉を閉めると、“戻った!”とか?」

「そうです〜。子どもにも伝わりやすいかなと」



 さらに、レイさんが、

 冷凍ケースの取っ手の位置を指さした。


「ここに、“一度閉めてから選ぼう”シールを貼る」


 ——『開けたらすぐにパタン。迷うときは、一度閉めてから考えよう』


「リズムで覚えられるやつですね」

「うちの店の“アイスの国の掟”ってことにしよう」



 その日の夕方。


 レジから冷凍ケースを見張りつつ、会計をこなす。


「◯◯円になります」


 ふと目をやると、

 中学生くらいの男の子二人が、

 アイスケースの前でしゃがみ込んでいた。


「どれにする?」

「うわ、めっちゃ種類増えてるじゃん」


 扉は開いたまま。

 冷気が、するすると逃げていく。


 ケース上の小さなパネルがピコンと光った。


 ——【アイスの国の温度】、ただ今:−16℃アイスの国が少し溶けてきた!


 その文字を見て、

 一人の少年が「あ」と声を上げる。


「おい、なんか言ってるぞ」

「アイスの国が溶けてきたって……、お前のせいじゃん」

「え、俺!?」

「ドア閉めろよ、ドア!」


 もう一人が慌てて扉を閉める。


 パネルの表示が、少しして変わる。


 ——【アイスの国の温度】

   ただ今:−18℃

   元どおり、ひんやり安全!


「おお……」


「なんかゲームみたいですね」


 レジから見ていて、思わず笑ってしまった。



 ……が、その少しあと。


 今度は、さっき見かけたのとよく似た親子連れが現れた。


「ほら、どれにするの?」


「ん〜〜〜」


 母親と、髪を二つ結びにした女の子。

 女の子は、さっきの子とは違うけど、

 見ている位置は同じだ。


 扉をガバッと開けて、

 一番下の段を、じーっと眺める。


 パネルがピコンと光る。


 ——【アイスの国の温度】

   ただ今:−16℃

   アイスの国が少し溶けてきた!


 ……が、母親は見ていない。

 女の子も、ケースの中身しか見ていない。


(パネルだけでは、全員には届かないか)


 そう思って、俺はレジから一歩出た。


「いらっしゃいませ」


 できるだけ柔らかい声で、

 冷凍ケースのほうに近づく。


「アイスお選び中ですか?」


「はい〜。

 この子が全然決めなくて」


 母親が苦笑いする。


「どれも美味しそうなんで、悩みますよね」


 俺も笑いながら、

 ケースの取っ手のシールを指さした。


「一つだけお願いしてもいいですか?」


「はい?」


「選んでるあいだだけでいいので、

 扉、一回閉めてもらえると助かります」


 女の子が、きょとんとした顔で俺を見る。


「このケース、中があったかくなっちゃうと、

 アイスが少しずつ解けちゃうんですよ」


 パネルの表示を見せる。


 ——【アイスの国の温度】

   ただ今:−16℃

   アイスの国が少し溶けてきた!


「さっきまで、−18℃だったんですけど、

 扉が開いてるあいだは、

 “アイスの国の冬”がちょっと弱くなっちゃってて」


「……」


 女の子が、ゆっくりと扉を閉めた。


 パタン。


 数秒後、表示が変わる。


 ——【アイスの国の温度】

   ただ今:−18℃

   元どおり、ひんやり安全!


「戻った!」


 女の子が、目を輝かせる。


「じゃあ、決めてから開けた方がいいね」


 母親が笑った。


「ほら、どれにする?」


「えっと、さっきのチョコのやつ!」


「はい!」


 女の子は、もう一度だけ素早く扉を開けて、

 狙っていたアイスを一本だけつかむ。


 パタン。


 今度は、すぐに閉めた。



 夜。


 バックヤードで、カルテ更新タイムだ。


 ——【クソ客カルテ No.019】

 種別:デフロストサラマンダー

 特徴:冷凍・冷蔵ケースの扉を開けたまま長時間物色/

    子どもとの会議・スマホ相談も扉オープンのまま/

    結果としてケース内温度をじわじわ上げ、アイスをデフロストさせる


 対応:

 ・冷凍ケース上に「アイスの国の温度」表示パネルを設置

  − 扉開放が続くと −18℃→−16℃になり

   「アイスの国が少し溶けてきた!」などのメッセージ表示

 ・取っ手に「開けたらすぐパタン/迷うときは一度閉めてから」のシール

 ・POPで「扉を開けたままにすると、商品の品質が落ちる」ことを明示

 ・店員の声かけテンプレ

  「アイス解けちゃうので、一度扉閉めさせていただいてもいいですか?」


 備考:

 ・子ども連れのほうが、温度表示と“アイスの国”メタファーには反応が良い

 ・“電気代”より“自分のアイス”が溶ける話のほうが刺さる


「“デフロストサラマンダー”って名前のわりには、今日の親子はそこまで悪くなかったですね〜」


 美希が、カルテを見ながら笑う。


「“火トカゲ”ってより、“ちょっと天然な子どもの冬遊び”って感じでした」


「モンスター扱いするのは、

 行動だけでいい」


 レイさんがホワイトボードを見上げる。


「中身まで“クソ”って決めつけると、

 こっちの視界も狭くなるからな」


「“行動=モンスター”として切り出して、

 “仕組み”で駆除するってことですね」


 ひよりが、温度グラフをスクロールしながら言う。



 締め作業の前。

 もう一度、冷凍ケースの前に立ってみる。


 扉は、全部きちんと閉まっている。

 ケース上のパネルには——


 ——【アイスの国の温度】

   ただ今:−18℃(ひんやり安全)


 さっき、子どもたちが楽しそうに眺めていた表示だ。


(……まぁ、悪くないな)


 ケースのガラスに指先を軽く当てると、

 ひんやりとした感触が返ってきた。


 コンビニクソ客バスターズの戦いは、

 今日も、アイス一個ぶんの温度差から、

 静かに続いていく。

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