第19話 デフロストサラマンダー、アイスの国境線を溶かす
——コンビニの冷凍ケースは、
小さな「冬」の部屋だ。
アイス、冷凍食品、氷袋。
透明な扉の向こうに、きっちり冷えた世界が並んでいる。
……本当は、そうであるはずなのに。
ときどき現れるのだ。
その「冬」のドアを開けっぱなしにして、
中身だけじわじわ解凍させていくやつが。
◇
休日の昼下がり。
子ども連れのお客が増える時間帯だった。
レジから見える位置に、
アイスの縦長ケースが三台並んでいる。
その真ん中の扉が、さっきから開いたままだ。
「ねぇ〜、これがいい〜」
「え、それ高いじゃん。こっちの棒のやつにしなさいよ」
母親と、小学生くらいの女の子。
女の子はしゃがみ込んで、
ケースの一番下の段をじーっと見ている。
扉は、全開。
冷たい空気が、店内にダダ漏れだ。
(閉めたい……)
心の中でそう思いながらも、
会計の列は途切れない。
「◯◯円になります」
支払いを受け取り、袋詰めしながら、
チラッと冷凍ケースの温度表示を見る。
——−18℃ → −16℃
数字が、じわりと上がっていた。
◇
ようやくレジが一段落したころ。
冷凍ケースの前に行ってみる。
扉の内側は、うっすら曇っていて、
下のほうには水滴がたまり始めていた。
「……ぬるい」
試しに、ケースの中のアイスを一つ指で軽くつまむ。
カチコチ、とはいかない。
ほんの少し、柔らかい。
「直人、温度ログ見たか?」
背後から、レイ店長の声がした。
「さっき、−18℃から−15℃まで一気に上がってた」
「見てました。たぶん、さっきの親子連れのときですね」
「デフロストサラマンダーが出たな」
「デフロスト……?」
「“冷凍ケースの扉を開けっぱなしにして、アイスの国をじわじわ解凍させる火トカゲ型モンスター”だ」
そう言って、レイさんは冷凍ケースの温度パネルを指さした。
デジタル数字の下には、小さなボタンが並んでいる。
「温度ログ」「アラーム」「デフロスト」。
◇
バックヤード。
ノートPCの画面には、
冷凍ケースの温度ログがグラフになって表示されていた。
時間軸に沿って、青い線がずっと−18℃あたりを走っていて——
ある一点から、にゅるっと−15℃近くまで跳ね上がっている。
「これがさっきの“開けっぱなしタイム”です〜」
美希が、グラフのその部分を拡大した。
「約三分間ドア開きっぱなしですね。その間、コンプレッサーはフル稼働〜」
「三分でこんなに変わるんですね……」
俺がつぶやくと、ひよりがタブレットにメモを取りながら言う。
「冷凍ケースって、“中身を冷やす箱”というより、“冷気を逃がさない前提の箱”なんですよね」
「ドアを開けっぱなしにされると、“中に冷やした空気をずっと外に捨ててる”状態になります」
「そんなもったいないことを……」
「しかも、アイスは“温度変化”に弱いですから」
ひよりが、温度グラフの横に、
簡単なメモを書き足す。
——【アイスの敵】
・温度の上がり下がり(解けて→再凍結で品質劣化)
・ケース内の結露・霜
「さっき、下のほう少し柔らかかったですよね?」
「はい。全部じゃないですけど、端のほうが」
「一度柔らかくなって、また凍ると、氷の粒が大きくなって“ジャリジャリアイス”になっちゃうんですよ」
「それは嫌ですね……」
◇
「まずは、モンスター定義だな」
レイさんが、ホワイトボードに書き始める。
——デフロストサラマンダー
・冷凍ケースの扉を開けっぱなしにする
・中身を見ている時間よりスマホ見ている時間が長い
・子どもとの相談会議も全部、扉オープン状態で行う
・結果的にケース内温度をじわじわ上げる
「“本人の中では、ちょっと選んでるだけ”なんですよね〜」
美希が、苦笑いしながら言う。
「“冷凍庫開けっぱなしの家庭”のノリを、そのまま店に持ち込んでる感じです」
「家庭でも怒られてほしいですけどね、それは」
◇
「で、どうするかだ」
レイさんが、ペンの色を変える。
「“開けっぱなし禁止”って言いたいけど、まったく開けるな、とは言えない」
「“開けて選ぶのはOK”だけど、“会議やスマホは一回閉めてから”って線引きですかね」
ひよりが、POP案のメモを開く。
——『冷凍ケースご利用のお願い
・商品をお選びになる際は、
開けた扉はできるだけすぐお閉めください
・迷われるときは、一度扉を閉めてからお選びください
・扉を開けたままにすると、中の商品が解けてしまう場合があります』
「“電気代が〜”とかより、“アイス解けます”のほうが伝わりますね」
「はい。“自分が買うアイス”も解けるので」
◇
「あと、これはどうでしょう」
美希が、新しい画面を出した。
冷凍ケースの上に取り付ける、
小さな表示パネルのイメージだ。
——【アイスの国の温度】ただ今:−18℃(安全)
「現在温度を、ちょっとだけ“キャラ化”して見せる感じです〜」
「“アイスの国”……」
「扉が長く開くと、−18℃→−16℃になって、“アイスの国が少し溶けてきた!”みたいなコメントを出す」
「それは……ちょっと面白いかもしれないですね」
俺の頭の中に、
冷凍ケースの中に住む小さな雪だるまのイメージが浮かぶ。
「扉を閉めると、“戻った!”とか?」
「そうです〜。子どもにも伝わりやすいかなと」
◇
さらに、レイさんが、
冷凍ケースの取っ手の位置を指さした。
「ここに、“一度閉めてから選ぼう”シールを貼る」
——『開けたらすぐにパタン。迷うときは、一度閉めてから考えよう』
「リズムで覚えられるやつですね」
「うちの店の“アイスの国の掟”ってことにしよう」
◇
その日の夕方。
レジから冷凍ケースを見張りつつ、会計をこなす。
「◯◯円になります」
ふと目をやると、
中学生くらいの男の子二人が、
アイスケースの前でしゃがみ込んでいた。
「どれにする?」
「うわ、めっちゃ種類増えてるじゃん」
扉は開いたまま。
冷気が、するすると逃げていく。
ケース上の小さなパネルがピコンと光った。
——【アイスの国の温度】、ただ今:−16℃アイスの国が少し溶けてきた!
その文字を見て、
一人の少年が「あ」と声を上げる。
「おい、なんか言ってるぞ」
「アイスの国が溶けてきたって……、お前のせいじゃん」
「え、俺!?」
「ドア閉めろよ、ドア!」
もう一人が慌てて扉を閉める。
パネルの表示が、少しして変わる。
——【アイスの国の温度】
ただ今:−18℃
元どおり、ひんやり安全!
「おお……」
「なんかゲームみたいですね」
レジから見ていて、思わず笑ってしまった。
◇
……が、その少しあと。
今度は、さっき見かけたのとよく似た親子連れが現れた。
「ほら、どれにするの?」
「ん〜〜〜」
母親と、髪を二つ結びにした女の子。
女の子は、さっきの子とは違うけど、
見ている位置は同じだ。
扉をガバッと開けて、
一番下の段を、じーっと眺める。
パネルがピコンと光る。
——【アイスの国の温度】
ただ今:−16℃
アイスの国が少し溶けてきた!
……が、母親は見ていない。
女の子も、ケースの中身しか見ていない。
(パネルだけでは、全員には届かないか)
そう思って、俺はレジから一歩出た。
「いらっしゃいませ」
できるだけ柔らかい声で、
冷凍ケースのほうに近づく。
「アイスお選び中ですか?」
「はい〜。
この子が全然決めなくて」
母親が苦笑いする。
「どれも美味しそうなんで、悩みますよね」
俺も笑いながら、
ケースの取っ手のシールを指さした。
「一つだけお願いしてもいいですか?」
「はい?」
「選んでるあいだだけでいいので、
扉、一回閉めてもらえると助かります」
女の子が、きょとんとした顔で俺を見る。
「このケース、中があったかくなっちゃうと、
アイスが少しずつ解けちゃうんですよ」
パネルの表示を見せる。
——【アイスの国の温度】
ただ今:−16℃
アイスの国が少し溶けてきた!
「さっきまで、−18℃だったんですけど、
扉が開いてるあいだは、
“アイスの国の冬”がちょっと弱くなっちゃってて」
「……」
女の子が、ゆっくりと扉を閉めた。
パタン。
数秒後、表示が変わる。
——【アイスの国の温度】
ただ今:−18℃
元どおり、ひんやり安全!
「戻った!」
女の子が、目を輝かせる。
「じゃあ、決めてから開けた方がいいね」
母親が笑った。
「ほら、どれにする?」
「えっと、さっきのチョコのやつ!」
「はい!」
女の子は、もう一度だけ素早く扉を開けて、
狙っていたアイスを一本だけつかむ。
パタン。
今度は、すぐに閉めた。
◇
夜。
バックヤードで、カルテ更新タイムだ。
——【クソ客カルテ No.019】
種別:デフロストサラマンダー
特徴:冷凍・冷蔵ケースの扉を開けたまま長時間物色/
子どもとの会議・スマホ相談も扉オープンのまま/
結果としてケース内温度をじわじわ上げ、アイスをデフロストさせる
対応:
・冷凍ケース上に「アイスの国の温度」表示パネルを設置
− 扉開放が続くと −18℃→−16℃になり
「アイスの国が少し溶けてきた!」などのメッセージ表示
・取っ手に「開けたらすぐパタン/迷うときは一度閉めてから」のシール
・POPで「扉を開けたままにすると、商品の品質が落ちる」ことを明示
・店員の声かけテンプレ
「アイス解けちゃうので、一度扉閉めさせていただいてもいいですか?」
備考:
・子ども連れのほうが、温度表示と“アイスの国”メタファーには反応が良い
・“電気代”より“自分のアイス”が溶ける話のほうが刺さる
「“デフロストサラマンダー”って名前のわりには、今日の親子はそこまで悪くなかったですね〜」
美希が、カルテを見ながら笑う。
「“火トカゲ”ってより、“ちょっと天然な子どもの冬遊び”って感じでした」
「モンスター扱いするのは、
行動だけでいい」
レイさんがホワイトボードを見上げる。
「中身まで“クソ”って決めつけると、
こっちの視界も狭くなるからな」
「“行動=モンスター”として切り出して、
“仕組み”で駆除するってことですね」
ひよりが、温度グラフをスクロールしながら言う。
◇
締め作業の前。
もう一度、冷凍ケースの前に立ってみる。
扉は、全部きちんと閉まっている。
ケース上のパネルには——
——【アイスの国の温度】
ただ今:−18℃(ひんやり安全)
さっき、子どもたちが楽しそうに眺めていた表示だ。
(……まぁ、悪くないな)
ケースのガラスに指先を軽く当てると、
ひんやりとした感触が返ってきた。
コンビニクソ客バスターズの戦いは、
今日も、アイス一個ぶんの温度差から、
静かに続いていく。
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