第14話 年齢確認ボタン決闘オヤジ、「疑ってんのか」で斬りかかる

 ——レジの画面には、小さな盾が一枚ついている。


 アルコール、タバコをスキャンした瞬間に出てくる、あの「年齢確認のお願い」の画面だ。


 “はい”を押さないと、絶対に会計が進まない盾。


 たったそれだけのものに、やたらと戦いを挑んでくる大人がいる。



 金曜の夜八時。仕事帰りの人たちで、レジ前には短い列ができている。


「◯◯円になります」


 スーツ姿の男性が、缶ビールとつまみをカゴに入れて立っている。


 ピッ、とバーコードを通した瞬間、レジ画面に例の表示が出る。


 ——『20歳以上ですか? 年齢確認にご協力ください』


 俺は、指先で「はい」のボタンを押そうとした。


 そのとき。


「おい」


 横から、低い声が飛んできた。


「押すなよ、それ」


 声の主は、缶ビールを持っている男ではない。列の後ろで、自分の順番を待っていた、中年男性だ。


 作業着に、少し色あせたジャンパー。顔は赤くないけど、目がちょっとギラついている。


「俺のときも、それ押すなよ」


 視線が完全にこっちに向いている。


(来たな……)


 レイ店長が「年齢確認ボタン決闘オヤジ」と呼んでいたタイプだ。



 今の客の会計を終わらせてから、その男の番が来る。


 タバコ二箱と、ハイボール缶一本。


「いらっしゃいませ」

「毎日来てんだからさ」


 開口一番、それだ。


「もう顔で分かるだろ。いちいち“確認”とか、押すなよ?」


「申し訳ありません。タバコとアルコールの販売の際は、必ず年齢確認ボタンの操作が必要になっておりまして」

「“必要になっておりまして”じゃねぇの」


 男が、あからさまに舌打ちした。


「客疑ってんのか?」


 レジ画面には、いつもの表示。俺の指は、まだ「はい」の手前で止まっている。


「疑っているわけではありません。このボタンを押さないと、レジが先に進まない仕組みになっておりまして……」

「だから、“押すな”って言ってんの」


 まっすぐな理不尽が飛んできた。


「“押さないと売れない仕組み”って、“押すな”と相性最悪なんだよな……」


 心の中で、ため息をつく。



「直人、一回バックヤード来い」


 男の会計が終わったあと。レイさんに呼ばれた。


 バックヤードのホワイトボードには、また新しい書き込み。


 ——年齢確認ボタン決闘オヤジ

 ・酒・タバコ会計のたびに「毎日来てるだろ」「顔で覚えろ」

 ・年齢確認ボタンを押そうとするとキレる

 ・「客を疑うな」「俺のときは押すな」と無理難題

 ・若い店員のときに湧きがち


「さっきの人ですね」

「ああ。夜勤からも同じ特徴の報告が来てる」


 レイさんが、まるでモンスター図鑑みたいに読み上げる。


「こいつらの厄介なところは、“ボタン=自分が疑われてる証拠”って思い込んでることだ」

「たしかに、さっきもそんな感じでした」

「でも実際は逆。“ボタンを押さないと疑われる”のは、店員のほう」


 ひよりが、タブレットの画面をこちらに向けた。


 そこには、本部からのメールの抜粋が表示されている。


 ——『酒類・タバコ販売時の年齢確認について

   ・年齢確認ボタンの操作は、販売ログに記録されます

   ・ボタン未操作での販売が判明した場合、

    店舗・責任者・販売スタッフに指導・罰則が科される可能性があります』


「こういうの、ちゃんと見たことある?」

「ざっくりとは……」

「ログって、こんな感じなんですよ」


 美希が、ノートPCを回して見せてくる。


 ——【酒類・タバコ販売ログ】

 日時/レジ番号/担当者ID/年齢確認ボタン:押した・押さない/商品内容


「“押した/押してない”が丸ごと残るんですね」

「そう。“押してない”が続くと、“この店、ちゃんとやってんのか?”って本部のチェック対象になる」


 レイさんが、マーカーで赤線を引いた。


「つまり、“疑われてる”のは客じゃなくて、こっち」


(そう言われると、たしかにそうだ……)



「というわけで、POPを一枚増やす」


 レイさんが、ラミネートされた紙を取り出した。


 ——『お酒・たばこをご購入のお客様へ

   ・年齢確認ボタンは「店員がルール通りに販売した」ことを記録するためのものです

   ・お客様を疑うためのものではありません

   ・ボタンを押さないと、レジが進まず販売できない仕組みになっています

   ご理解とご協力をお願いいたします。』


「文字、多いですね」

「でも、“疑ってるんじゃない”って一行だけだと、“はいはい言い訳ね”で終わるからな」


 ひよりが、三行目を指でなぞった。


「“押さないと売れない仕組み”って書いておくのがポイントです」

「“店員の自意識”じゃなくて、“システムの仕様”なんですね」


「そう。相手のプライドを削らずに、“機械のルール”のせいにしつつ、“その機械を守らないと自分たちが怒られる”って話に持っていく」

「言い方が黒いですけど、言ってることは正しいですね」


 美希がクスクス笑う。



 その夜、さっそく第二ラウンドがやってきた。


「いらっしゃいませ〜」


 レジ前に現れたのは、さっきの決闘オヤジだ。手には、さっきと同じタバコ二箱と、ハイボール缶。


(デジャヴ……)


 レジの後ろには、新しいPOP。


 ——『年齢確認ボタンは、お客様を疑うためのものではありません』


 それが、男の目に入っているかどうかは分からない。


「毎日来てんだからさ」


 やっぱり同じセリフから始まった。


「顔で分かるだろ。だから今日は押すなよ?」


 俺は、一度だけ息を整えた。


「申し訳ありません。タバコとお酒の会計のときは、ボタンを押さないとレジが先に進まない仕組みになっておりまして」

「だから、その仕組みが気に入らねぇんだよ」

「お気持ちは分かります」


 本当に、分からなくはない。


「ただ、押さないで販売しますと——」


 後ろから、ひよりが静かにフォローに入った。


「“お客様が疑われる”んじゃなくて、“この店と、このレジを打っている店員が疑われる”ことになります」


 男が、少し眉をひそめる。


「……どういう意味だよ」

「さきほどのPOPにも書いてありますが」


 ひよりが、レジ後ろの紙を指さした。


 ——『年齢確認ボタンは「店員がルール通りに販売した」記録です。押していないと、店側がルール違反をしていると見なされます。』


「このボタンを押したかどうかは、日時・レジ番号・担当者IDとセットで記録されます」

「記録って、そんなもんまで……」


「はい。“若く見える人に売ったのに、ボタンを押していなかった”などが続くと、“この店、大丈夫か?”という話になってしまいます」

「……」


 男は、しばらくレジ画面を見つめた。


「俺を疑ってるわけじゃないのか」

「少なくとも、私は疑っていません」


 ひよりが、言い切る。


「ただ、“疑っていない”ことを本部に説明するためには、“決まり通りにボタンを押したログ”が必要になります」


「……」


「もし、“押すな”と言われて、その通りにしてしまうと——」


 そこで、口を挟んだのはレイさんだった。


「“お客様の言いなりになって、ルール破ってる店”ってことになる」


 いつの間にか、レジ脇に立っていた。


「まぁ、分かるよ。“毎回押されるの、うっとうしい”って気持ちはさ」

「……」

「でもな。押さないと怒られるのは、おっちゃんじゃなくて、こいつらなんだわ」


 レジに立っている俺と、ひよりのほうを顎で示す。



 男は、タバコの箱を見下ろした。


「俺さ」


 しばらく黙ってから、口を開く。


「昔、一回だけさ。まだ未成年のガキに、『自分じゃ買えないから代わりにタバコ買ってきてください』って頼まれたことがあってよ。」


 想像してなかった方向からの告白だった。


「“一箱くらいならいいか”って、ダメなのは分かってたけど、そのときは軽い気持ちで代わりに買ってやったんだよ。」


 男は、苦笑に近い顔で続けた。


「そしたら、そのガキ、“あの店、俺でも買えたぞ”って言いふらしやがってよ。実際に買ったのは俺なのに、店が“未成年に売った店”みたいな扱いになってさ。」

「ありがちなパターンですね」


 レイさんが小さくため息をつく。


「店の人にバレた?」

「バレた。店長に、めちゃくちゃ怒られた」


 男は、少し遠くを見る目をした。


「“お前はいいけど、この店が潰れたらどうするんだ”って」


「……」


「その後も、店にはちゃんと通ってる。でも、“疑われてる気がする”のが、どうにもムカつくんだよ」


 少しだけ、合点がいった。


(“怒られた”記憶と、“ボタンを押される”感覚が、どこかでつながってるのか)



「じゃあさ」


 俺は、レジ画面をもう一度見た。


「“疑ってる”んじゃなくて、“一緒に店を守ってもらってる”ってことにしませんか」

「は?」

「このボタンを押すのは、“俺たち店側が怒られないようにするため”でもあって、“ここで買い物してるお客さんたちの場所を守るため”でもあります」

「場所?」

「はい。未成年にバンバン売ってる店って、そのうち、近所の人に敬遠されるじゃないですか」


 ひよりも、静かに言葉を足す。


「“あの店、治安悪い”って噂が立つと、普通に買い物したい人たちが来づらくなる」

「……まぁ、そうだな」

「だから、“ボタンを押させてくれる大人”は、店と他のお客様を守ってくれてる側だと思ってます」


 少し、大げさかもしれない。でも、半分くらいは本気だ。



 男は、しばらく何も言わなかった。


 レジ画面の「はい」のボタンと、タバコの箱と、俺たちの顔を、順番に見比べる。


「……じゃあよ」


 やがて、ぼそっと言った。


「押すなら、さっさと押せ。“疑って”じゃなくて、“守るために”押してるってことにしといてやるから」


 その言い方に、レイさんがふっと笑った。


「ありがとな」


 俺は、画面の「はい」を押した。


 ピッ。


 ほんの一瞬のことなのに、さっきより指先が軽く感じた。



 男が去ったあと。

 チャイムが鳴る。


 カラン、コロン。


 その直後、

 今度は別の老人が、そっとレジにやってきた。


 手には、日本酒のパックを一本。


「すみません、これお願いします」

「お会計、◯◯円になります」


 バーコードをスキャンすると、また例の画面が出てくる。


 ——『20歳以上ですか?』


「身分証、見ますか?」


 おじいさんが、財布から免許証を取り出した。


「いえ、大丈夫です。年齢確認ボタンだけ押させていただきます」

「押しときなさい押しときなさい」


 おじいさんは、くすっと笑った。


「若いもんが怒られたらかなわん」


 たったそれだけの一言で、胸のあたりが少し温かくなった。


「ありがとうございます」


 本気でそう言った。



 締め作業の前。


 バックヤードで、ノートPCの画面に新しいカルテが開く。


 ——【クソ客カルテ No.014】

 種別:年齢確認ボタン決闘オヤジ

 特徴:毎回「顔で覚えろ」「客を疑うな」で年齢確認ボタンに絡む/ルールへの理解不足

 対応:POPで“疑っていない/押さないと売れない”を可視化/

    ログと罰則の説明/“店と他の客を守るため”という枠組みに変換


 備考欄には、美希の追記。


 ——備考:

 ・本日、説明後は文句なしでボタン容認

 ・「さっさと押せ」と態度は乱暴だが、実質協力モード

 ・完全モンスター化ではなく、“決闘モード解除予備軍”


「“決闘オヤジ”ってつけてるけどさ」


 レイさんが、ホワイトボードを眺めながら言う。


「今日の人、店長に怒られた昔の記憶から、ずっと構えっぱなしだっただけかもしれんな」

「“怒られたトラウマ” vs “怒られたくない店側”ですね」


 ひよりが、静かに笑う。


「間に“ボタン”一個挟むと、なんとか会話にはなるんだから、大したもんです」



 レジ画面の小さな「はい」のボタンは、相変わらず小さいままだ。


 でも、その後ろにぶら下がっているものは、数字以上に大きい。


 店の看板。働いている人間の給料。ここで買い物している人たちの日常。


 ——年齢確認ボタン決闘オヤジは、たぶんこれからも現れる。


 でも、「疑ってる」から押すんじゃなくて、「一緒に守るために」押すんだと説明できるなら。


 この小さな盾も、少しは誇りを持ってタップできる。


「……悪くないな」


 次の酒類の会計で、また「はい」のボタンを押しながら、俺は小さく呟いた。


 コンビニクソ客バスターズの戦いは、今日も、レジ画面の小さなボタン一つぶんから続いていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る