第2話 幕が開く前 2/2
最初の民間の仕事として、美咲はベータ・カノプス星系の商業ギルドを経由しての依頼を受けた。外縁航路で行方不明になった輸送船の捜索だった。単純な仕事に見えたが、報酬は破格。前金の支払いがあることも好ましい。しかし、そんなところで行方不明になること自体がアヤシイ。裏があるとにらんだが、生活のためには稼がねばならない。であれば善は急げ。フリーダム・ベンチャーでベータ・カノプス星系へジャンプしよう。
恒星間の行き来は、恒星や惑星からの重力の影響が少なく超空間のねじ曲がったジャンプ・ポイントから、慣性の法則とエネルギー保存則に沿った特定のジャンプ・ポイント先へのテレポーテーション。一度に遠くに跳べば跳ぶほど、キャンセルせねばならない差分のエネルギーを相殺するために燃料を消費する。ジャンプ自体は一瞬であるが、恒星たる主星の周りをまわる居住惑星からジャンプ・ポイントまで移動、次いでジャンプ、ジャンプ先の居住惑星までの移動を合わせるとおおむね一週間の旅と言うところ。これは惑星上の飛行機の旅と言うよりも船旅に近い。ジャンプ・ポイントのない星系へは…実質的に行く方法はない。そんな深宇宙の星々には人類は興味の一片すらも持たない。
ベータ・カノプス星系へのジャンプ・ポイントを出た。そこから外縁航路へ航行しての捜索もまたおおむね一週間を要するようだ。オートパイロットの設定も済ませ、美咲は艦橋の中で一人、情報局時代の記憶と向き合う。思い出される任務、三度の潜入捜査、支え合った同僚、そして志を同じくする組織を越えた仲間たち。何度も情報局では単独の任務についたのに、情報局から離れて初めての単独航海はひどく美咲を感傷的にした。好きな組織ではないと思っていたけど、居場所を失うと少なからず喪失感があるものらしい。
「この船があたしの新しい居場所なわけよね」美咲はつぶやく。「でもまあ一人でいられるのは本当に気が楽だわ!」
静謐な宇宙でフリーダム・ベンチャーの古い偵察船スラスターが唸りを上げる。この音は、美咲にとっては慣れ親しんだもの。宇宙を滑る音だと美咲は常々思う。
宇宙は思想の多様性をはじめとしてすべてのものをおおらかに抱き込む。人なんてちっぽけなもの。ノンポリのあたし一人がどうしようと、無限の虚無はその本質を変えずに許容する。彼女はその保証された自由さに微笑む。それこそが彼女が長年欲していたものだったから。
捜索三日目、美咲は異常を察知した。主要な航路から外れた外惑星のリング、さらにそのリングを構成する小惑星の陰に、微弱な熱源。標準装備を超えた高感度スキャナーは、わずかな熱の痕跡を捉えていた。
「あれが...輸送船?これを探していたわけね…というか、こんな簡単な仕事でいいの?ああ、簡単だから、情報局自体では扱わないということかしら…。あたしにおこぼれとしていただけたのかしら?」
近づくと、船体に刻まれた「ヘスペリア」の文字。依頼の対象だ。しかし状況は予想と異なった。非常に年季の入ったその船は航行不能のようではあるが、外から観察する限りは大きな損傷はない。単なる機関故障ではなく、意図的に放棄されたような痕跡がある。もうすでにヘスペリアの座標は記録した。依頼は達成された。
「しかし、変よね...」
意を決してヴォイド・スーツに着替えて船内に入ると、静寂と闇だけが美咲を迎えた。乗員の姿はなく、個人所持品もきれいさっぱりに片付けられている。貨物室を丁寧に確認すると、そこに答えがあった。壁に埋め込まれた隠し区画、中には正規の積荷目録にない小箱が数十個。
「禁制品...」
それは新種の向精神薬のカプセル。星系間で規制が異なる灰色地帯の商品だが、ベータ・カノプス星系では厳しく禁止されていた。美咲はデータパッドを取り出し、貨物の詳細をスキャンする。
「依頼主も、船と言うよりこれを探していたということ?でも、大っぴらには扱えないものよね」
依頼主がこの禁制品の存在を知っていたとしたら、この発見を依頼主に報告すれば追加の報酬が得られるかもしれない。しかし、禁制品の存在を馬鹿正直に報告したら、そんな報告をするマジメなやつは、当局にマジメに報告すると思われて、むしろあたしの身が危険かもしれない。
依頼主がこの禁制品の存在を知らないとしたらどうだろう。禁制品があったことを報告したら、正式な捜査が始まって、依頼主に迷惑がかかるかも。不都合がある関係者からは、勝手に船に入ったことをとがめられるか、あるいは法執行機関で足止めをくらわされるか。美咲は、この禁制品の存在を知ったことがあたしの命とりになるかもしれないとも感じた。
どうする?高額の報酬は口止め料込ってこと?
美咲の考えでは、依頼主が禁制品の存在を知っていても知っていなくても、どちらにしても禁制品が存在することを報告することは危険だ。依頼主が禁制品の存在を知らないのなら、あたしがもらってもいい。知っているとしたら、そもそもこのミッション自体が怪しい。まともに行動すること自体が危うかろう。そうであれば予想外の行動に出よう。つまり、あたしが禁制品をもらうということだ!
禁制品の扱いは複雑だ。情報局なら没収して終わりだが、彼女はもう局員ではない。依頼主にも誰にも足がつかないようにお金に替えればいいわけだ。
「こんな時、商取引の専門家が必要よね...」
美咲は禁制品をフリーダム・ベンチャーに積み替えた。燃料タンク内の高耐圧貨物ベッドは、まるでこの日のために設計されたかのようだった。彼女は内心で笑う。
「部長、あなたは何を知っていたの?これはあたしへの迷惑料?あるいはボーナスってことかしら?」
思い当たることはなくもない。
輸送船についてはどうしたものだろう。私の能力への評判に傷がつくかもしれないが、見つからなかったと長距離通信で報告だけしておくか。安全のために船を破壊した方がよいが、ドライブを暴走させて爆発させる場合は手っ取り早く証拠隠滅できるが、その爆発が悪目立ちするかもしれない。であれば、隠し区画だけ破壊したうえ、船を手ごろな小惑星にぶつけて、早々にベータ・カノプスを離れよう。
罪のない船にはちょっとかわいそうだけど。ん?船にも禁制品を運んだという罪はあるのか?そういうことにしておこう!
仕事を終えた美咲は連絡先リストを開いた。高校時代の友人でメガコーポレーションで活躍するヴァレリー。高校時代の親友、久しぶりに思い出した。彼女を思い出せただけでもこの仕事に意味があったかも。うん、彼女なら力になってくれるに違いない。高校時代はいつも力になってくれたし。彼女がいるはずの、レムナント星系へ向かおう。
美咲は最終的にレムナント星系へつながる一連のジャンプ・スキームのうち、最初のジャンプ・ポイントに船を向けるよう、オートパイロットを設定する。
「禁制品の処分と...ちょっとした再会のために」美咲はつぶやいた。
実力組織の庇護があって、星系をまたにかけた商業あるいは工業の雄ともいえるメガコーポレーションが大小さまざまな商業活動を展開している。同様に星間違法組織コンステラツィオーネもこれまた大小さまざまが暗躍している。一部の星域には、地方の宇宙海軍をしのぐ海賊さえ出るかもしれない。そもそも、連邦の内部であっても星系同士の、あるいは星系の内部での国家同士の、そうした争いだって珍しくはない。
そうだとしても、今は凪の時代。人々はある意味平穏であり、意味のある人生を送っている。ただし、凪ではありながら、次なる新たな時代の到来を人々は感じ始めている。期待と不安を込めて。フリーダム・ベンチャーは星々の間を滑るように進み、新たな物語の真の幕開けへと美咲を運ぶ。
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