講演と思わぬ再会

 鳴ったのは、部屋の内線だった。


 またあの、クソ親父かよ。


 こんな、日付も変わった時間に何の用だ?


 シャワー浴びてからいい加減に寝るつもりだったんだが。


 電話って、こういう時に来るよな。


 しかも、こういうときにどうでもいい内容のものが。


「何だよ、親父」


『お前がまだ寝てなくて良かったよ。


 お前、明日大学行って講演してこい。

 断るなよ。


 理事長直々に、俺に頼んできてな』


「は!?


 なんで俺が!?


 大学とか行ったことねぇんだけど。


 講演なら、姉さんのほうがうってつけだろ」


「だからだ。


“学歴じゃなく刑事もとしての現場のプロ”が必要なんだとさ。


 学生も喜ぶだろう。


 行け。


 ちなみに、お前の上司の茂木課長もその大学の出身らしいぞ』



 そこまで行く理由を並べられたら、仕方ない。


「……分かったよ、行けばいいんだろ」


 『講演は午後13時30分からだ。


 講演の評判によっては、複数回の講座にすることも検討するとの話だ。


 明日は頼んだぞ、麗眞』


 言うだけ言って、内線電話は切れた。


「……ったく。


 せめて、もう少し早く頼めよな」


 何もなしで講演をするわけにはいかない。


 せめて、資料くらいは作らなくてはならない。


「麗眞坊っちゃま。


 まずは身体を温めてからのほうがよろしいかと。


 坊ちゃまも本日は雨に濡れましたので」


「そうだな。


 相沢が言うなら、そうするよ」



 身体に纏わせた泡をシャワーで流しながら、ふと呟いた。


「ほんと、人使い荒いんだからな、あのクソ親父」


 この数週間、徹夜続きでシャワーを浴びたのみで、ろくに湯船につかっていなかった。


 俺の優秀な執事の相沢は、そのことも知っていて俺に入浴を勧めたのだ。


 ったく、デキるやつだ。



 講演のテーマは情報の取り扱いには気をつけよう、というものにする、と決めていた。


 今はSNSという便利なものがある。


 不用意に、軽い気持ちで載せた1枚の写真が、人生を変えてしまうこともある。


 そんな事例を、いくつか紹介したい。


 スライドも、なんとなく頭の中では形になっている。


 部屋に戻ると、デスクの上にはパソコンと、フタ付きのマグカップに入った熱いコーヒーが準備されていた。


「優秀すぎる執事で、良かったよ」



 そう呟いてから、椅子に腰をおろして、パソコンに向かい合った。



 耳元で、やけにうるさい目覚ましの音が鳴り響いた。


「うっせーな……



 寝かせろよ」



 アラームを止めて、再び横になる。


 コン、コン。


 間のないノックは、相沢のものだ。


「麗眞坊ちゃま。


 お目覚めですか。


 おはようございます。


 よいスライドが出来たようで、何よりでございます。


 朝食は既にお出しする準備が整っておりますので、支度を終えましたらお越しください」


 それだけを言って、相沢は部屋を出て行った。


「ちゃんと食いに行くよ。


 ありがとな、相沢」


「お気になさらず。


 常に先を読んで動くのが、我々の職務ですので」


 サンドイッチとスープを飲み干し、早めに講演先の曉耀大学ぎょうようだいがくへと向かった。


 講演前の打ち合わせまでしたいようだ。



 俺としては、早めに着いているほうが気持ちも楽なので、断る理由もなかった。


 行きのリムジンを運転するのは、いつものごとく相沢だ。


 彼のハンドルを切る横顔が、どこか楽しそうだった。


「きっと、本日は坊ちゃまにとって嬉しい誤算となることでしょう。


 お気をつけて、行ってらっしゃいませ。


 坊ちゃま」


 リムジンを降りた瞬間、レンガ作りの校門がそびえ立っていた。


 どうやら15を超える学部が集まるマンモス校とに相応しい作りだ。


 噴水の音がBGMになる芝生広場。


 談笑を楽しむものや、ランニングをするものもいた。



 キャンパス内の広大な図書館に足が向いたとき。


 後ろから声を掛けられた。


「宝月 麗眞さまですね。


 こちらへどうぞ」


 キャンパスの中を闊歩していると、本当に自分が大学生になった気分だ。


 講堂へ案内された。


 スクリーン以外は全て、学生のための聴講席だった。


 まぁ、宝月グループの講堂には劣るが。


 マイク音量や、スライドがきちんと投影されるを確認しながら、全体の流れを打ち合わせしていく。


 最近の若者は、『今さえ良ければそれで満足』って思考ですからね。


 先のリスクを読まなさすぎる。


 "読めない"といったほうが正しいかもしれないですが。


 少し、その点にも切り込むつもりです」


「素晴らしいです!


 とりわけ学生だけでなく、優秀な我が校の教職員にも、聞いてほしいくらいです。


 特に獣医学部の非常勤講師は優秀で、なおかつ学生からの評判も良いのです」


 理事長の喋りを、別のスタッフがわざとらしい咳払いで止めた。


「失礼。


 打ち合わせはここまでとして、本番を楽しみにしています。


 学生たちは積極的に質問をしてきますので、質疑応答は20分設けます。


 素晴らしい講演を、期待しています。


 ぜひ、講演前に我が校自慢のテラス付きのカフェテリアでお食事を楽しんでください」


「ありがとうございます。


 カフェテリアは気になっていたので、楽しみです」


 学園への愛が溢れ出過ぎている理事長に頭を下げて、講堂を出た。



 さっそく、理事長オススメのカフェテリアとやらに向かうか。


 一歩目を踏み出した刹那。


 聞き覚えのある声に、身体が石のように固まった。


「止めて!


 いい加減にしてよ。


 そもそも、貴方のレポートの提出が遅れたのが悪いのよ。


 情けはかけないわ。


 他の学生が不公平になるもの」


 金髪の男に言い寄られている女性がいた。



 ドレミでいうとラの音程の声。


 冬の澄んだ空気みたいな、透明感のある声。


 肌が透けるシースルー素材で、幾重にも連なったフリルと襟の黒が目を引く白いブラウス。


 膝が隠れる丈の薄いイエローのスカート。


 耳からはビジューが集まってボールのようになったものが下がっている。


 鎖骨を超える長さの茶色の髪の毛は後頭部に向けて編み込みがされている。



 矢榛 椎菜やはり しいな


 はらわたが煮えくり返る思いだ。


 自分の大事な女が、どこぞの馬の骨かもわからない男に触れられているというのは。


「あのさ、何してるの?


 その子から離れたほうが、身のためだと思うよ」



 俺は親父ゆずりのアイドルスマイルを浮かべて、椎菜に言い寄っている男に近寄る。


「誰だよお前……


 教授にしては、見ない顔だな」



「だろうな。


 特別講演を依頼されて呼ばれただけだからな。


 それより、邪魔なその手を離せ」


 俺はそれだけを金髪の男の耳元で告げた。


 笑えるくらい上手い具合に手を掴まれているが、むしろ好都合だ。



 薄い笑みを浮かべて、相手の手首を右手で抑えるように握る。



「痛たたっ……!


 あたっ……!」



 俺の身体が回転すると同時に、男の呻き声が聞こえた。



「くそっ……!


 覚えてろよ」


 男はそう言って、手首を抑えながら俺と椎菜を交互に見て、去って行った。



「ありがと……麗眞……さん」



「別に?


 刑事だし、これくらいは朝飯前ってやつだ」



「ったく、椎菜も気を付けろよ?


 相変わらず可愛いんだから。


 そんなふうな、肌が透ける素材のブラウス着ているせいもあるんだぞ。


 ハッキリ言って襲ってくださいって宣言してるようなものだからな、それ。


 特に椎菜は、出るとこ出たいいスタイルなんだからさ」



 そう言って、椎菜の傍から立ち去ろうとしたその時。



 背中に、柔らかい重みを感じた。


 シャンプーか香水か。



 フローラルの香りが、鼻腔をくすぐった。



 振り向かなくても、椎菜が俺の背中に抱きついていることは容易に分かる。



 こんなとこで何してんだよ……



「行っちゃ……嫌……


 また麗眞に会えないの、もう嫌なの……」



 今、そんな可愛いこと言うなって……


 これでも我慢してんだよ。


「……分かったよ。


 話は後で聞いてやるから、とりあえず食堂行こうぜ。


 俺、腹減ってるの」



 しぶしぶそう言うと、椎菜は嬉しそうに腕を絡めてきた。


 こういうとこが、可愛いんだよな……


 そう思いながら、学生時代はよくこうして一緒に帰っていたことを思い出す。


 とっとと椎菜に気持ちを伝えて、あの頃みたいに、こうして隣を歩きたい。


 そして、あわよくば可愛い鳴き声を聞きたい。


「それにしても、椎菜。


 何で今、俺のこと、麗眞さんって呼んだわけ?」



「だって……

 

 変に名前呼び捨てして、学生に囃し立てられたりしたら嫌でしょ?」



 なるほど、椎菜、そういうところによく気が付くやつだったな、昔から。


 周りによく気が付く椎菜だからこそ、背負わなくていいものも、全て抱えて背負う。


「ふーん……

 

 椎菜なりに気遣ってくれてたんだ?


 でも、今は別にその気遣い要らなかったんじゃないかな。


 今はまだ、彼女でもないからさ。


 昔の知り合いと再会したってだけだろ。


 椎菜も何か食え。


 その細い身体で、よく昔の深月ちゃんみたいに何足もわらじ履けるよな」



 椎菜が露骨に傷付いた表情をしたことに、俺は気付けなかった。



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