せめてもの抵抗
はあ……。
やっぱり、ダメだったのかもしれない。
藤原のことを、必死になって調べた。
気になって仕方がない。
夜も眠れずに、ただ時間だけが過ぎていく日々。
もし……本当に生きているのなら——
今、どこにいるのだろう。
そんなことばかり考えていた朝。
いつもと変わらない、パンのバイキング形式の朝食で。
矢吹が、いつもより少し静かな声で言った。
「彩お嬢様。
奥様と旦那さまは、つい先ほど宝月家専用のチャーター機で成田を発たれました。
目的地はロサンゼルスでございます」
「ああ、そう……」
アメリカ、か。
どうせ——またMLBのオールスターゲーム絡みなんでしょうね。
まったく、あのふたりらしいわ。
……相変わらず。
本当に、好きなんだから。
それにしても、私には未だに分からない。
野球の、どこがそんなに面白いのかなんて。
ただ球を打って、走って、また止まって……それだけじゃない。
なのに、あのふたりは毎年のように目を輝かせて出かけていく。
「……お嬢様も同じ機体を折り返しでお手配できますが、いかがなさいますか?」
「今は……そんな気分じゃないわ」
「かしこまりました」
ほんの少しだけ、矢吹の声が落ちた。
その横で——
いつの間にかフランスパンをかじっている男が、当然のように割り込んだ。
「じゃあさ、姉さん。
お祭りでも行くか?
花火がめちゃくちゃ綺麗らしいぞ」
「麗眞!?
ちょっと、いつから座ってたのよ!」
「最初からだけど?」
花火、か……
そんなに綺麗なの?
「お嬢様。
いくら世間知らずと言えど、花火を一度もご覧になったことがない……
なんてことはありませんよね?」
「はあ?
あるわけないでしょ! 」
小さい頃、隅田川の花火大会に連れて行かれて、音にびっくりしてずっと泣いていた——
そんな話をママから聞かされたのを思い出す。
矢吹が補足する。
「地方の花火大会会場までは、宝月家のチャーター機で移動可能です。
すでに本日の便を押さえております」
「……あなたたち、準備が早すぎない?」
「矢吹は姉さん関連だけは“秒速”で動くからな。
仕様だ。
姉さんのこと好きすぎだろ」
そして——麗眞が続ける。
「で、花火の翌日。
そのままテーマパーク行かね?
隣接ホテルまるまる、矢吹が全部押さえてる」
「は???」
思わず素で声が出た。
矢吹は、相変わらず淡々とした口調で言う。
「国内にある某テーマパークでございます。
所在地と名称が一致しないため、初見のゲストを必ず戸惑わせる……
しかし、夢とロマンに満ちた“あの”場所でございます。
すでに貸し切りも完了しております」
「ちょ……ちょっと待って。
話の規模が一気に“バカンス”なんだけど?」
麗眞が、少しだけ真剣な声で言う。
「姉さん。
ずっと藤原さんのことで苦しそうだったからさ。
思い切り休んでこいよ。
俺も久々に学生気分で遊ぶし」
お見通しなのね。
麗眞には……全部。
「……ありがとう」
「どういたしまして。
これ言ったら怒るだろうから言わねぇけど。
やっぱ椎菜と似てんだよな、その分かりやすさ」
「って、言ってるでしょうが!!」
矢吹が静かに宣言した。
「では、お嬢様。
花火大会のある地方空港まで——
宝月家チャーター機の出発準備が整っております。
お嬢様のご支度ができ次第、ご案内いたします」
——行こうかな。
ほんの少し、息をつきに。
花火と、テーマパークと。
久しぶりに“現実”を忘れるための旅へ。
そうは言ったものの、服や髪の準備に手間取り、集合場所に到着したのは出発の10分前。
「遅えよ、姉さん。
……ま、椎菜には及ばないけど、それでも可愛い。
ほら、早く乗れよ。
出発すんぞ」
麗眞と矢吹に手を引かれてチャーター機の座席に座らされると、機体は静かに滑走路を走り、空へと舞い上がった。
それにしても——いちいち自分の想い人と私を重ねるな!
まったく、癪に障る弟ね。
梅雨がようやく明け、夏の光が容赦なく照りつける。
チャーター機の中にいても、サングラスが手放せなかった。
外の光は眩しすぎて、目が痛くなるほど。
「なんだ姉さん、セレブ気取りか。
姉さんはいいけど、セレブじゃないやつがそれやると、ただイタいだけだぜ?」
――その軽口の裏に、弟なりの心配や照れも混ざっているのは分かる。
「何よ、麗眞!
私だって、パパとママの娘よ?
社長令嬢よ。
世界屈指のお嬢様よ?
本物のセレブなんだから、ちょっとくらい派手にしても許されるでしょう!
何を着るかくらい、自由じゃない!」
気分転換に夏祭り、花火……そんな提案をしてくれるのは嬉しい。
だけど「イタい」って言い方は……どうしても引っかかる。
それでも、貴方、私の弟なのよね……?
「彩お嬢様、麗眞さま。
テーマパークでの3泊4日、遊び放題を先にお楽しみくださいませ。
その後、県内最大の花火大会を見学に参りましょう」
矢吹の声はいつも通り落ち着いていて、冷静に事実を告げる。
予定では花火大会が先のはずじゃなかった……?
でも、まぁいい。
予定調和も、行き当たりばったりも、この際はどちらも歓迎。
心のどこかで、少しだけ冒険の期待が湧き上がる。
「あら、そうなの。
わざわざ教えてくれてありがとう、矢吹」
矢吹はにっこりと小さく会釈した。
すぐに飛行機の窓の外を眺めながら、私は心の中で旅への期待と不安を交互に揺らしていた。
そこから1時間半で、目的のテーマパークに到着するらしい。
ホテルに泊まることで、隣接する二つのパークを自由に行き来できるのだそうだ。
泊まるのは、エントランスからも見えるオフィシャルホテル。
……さすが、手配が早いわね。
窓の外に広がる景色を見つめながら、胸の奥に小さなときめきが膨らむ。
久しぶりの遠出、久しぶりの非日常。
この瞬間、目の前の景色が、心を軽くしてくれる気がした。
「姉さん。ここでも夜に花火上がるって!」
麗眞は嬉しそうに続ける。
「いいよな、花火。
俺、昔椎菜と行ったときのこと思い出すわ。
花火も綺麗だったけど、椎菜の浴衣姿の方がもっと綺麗でさ。
大会終わったあと相沢に屋敷まで送ってもらったんだよ。
車で揺られてる間、椎菜が眠そうに俺の肩にコトって寄りかかってきて……
もうそれだけで心臓どうにかなったわ。
遅いから泊まってけって言って……
そのまま一緒に夜過ごしたんだよ。
甘えるときだけは声がちょっと上ずるんだよ。
あれがまた可愛くてさ。
俺、何度も“好きだ”って言われて……
ああ、俺この子を絶対守るって、あの夜に本気で思ったんだよな」
麗眞の昔話──
という名の惚気が始まった。
今でも椎菜ちゃんに気持ちが残っているのなら、連絡のひとつでもすればいいのに。
……口が裂けても言えなかった。
「翌朝もさ、寝癖ついてるのに笑うと綺麗で……
あんな顔で“また花火見に行きたいね”なんて言われたら、そりゃ連れてってやりたいって思うだろ?」
……はいはい、そうでしょうとも。
語る麗眞の横顔が、あまりにも優しくて、あまりにも過去に囚われていて。
いまの彼にはまだ、この甘い思い出しか見えていないのだと痛感する。
だからこそ──私は言えない。
椎菜ちゃんが経験した妊娠と流産のこと。
いずれ彼女自身の口から麗眞に伝えられるその事実。
それを麗眞が受け止めきれるのか……
今はただ、それだけがひどく不安だった。
惚気はまだ続いていたが、私は相槌を打ちながら半ば夢の中で聞き流した。
──本当に、いつまで続くのよ、これ。
いいかげんより戻せ!
空気が新鮮で、胸いっぱいに吸い込む。
いつもの広大な屋敷で吸う空気の何億倍も美味しく感じた。
園内はきっと人で溢れているだろう——
そう思ったら、私たち以外は誰もいない。
なんで……?
「おや、前にも申しましたよ?
貸切でございます。
お嬢様とお坊ちゃま。
皆様方のみで、ごゆるりとお楽しみを」
その言葉を聞き、思わず背筋が凍った。
貸切……?
この、宝月の屋敷くらいの広さのテーマパークを——
自分がどれだけ特別な立場にいるのか、身に染みて分かった気がした。
「はぁ……いよいよね。
童心にかえって楽しむわよ!
せっかくの大人のバカンスだからね!」
動物病院の同僚にも、鑑識医の仲間にも、お土産をたのまれている。あ
こういうときにセンスが出るもの。気合を入れて選ばないと。
ホテルに荷物を預け、さっそくエントランスへ向かう。
宿泊客専用の入り口から入れるのはありがたい。
「ほら、早く!
ボーッとしてないで行くわよ!」
麗眞と矢吹の手をつかみ、まるで犬の散歩の飼い主のように引きずりながら、私はエントランスを駆け抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます