6

玄関に入ると、ストーブのあったかい風が足元に流れてきた。


灯油の匂いがして、冬の家の空気だった。




「ご飯、すぐできるからね。座ってて」




母はエプロンをつけて、台所に立った。


鍋から湯気があがっていた。


コトコト、音がしている。




テーブルに座って、ぼんやりその背中を見ていた。


少し丸い背中。


髪を後ろで束ねて、いつもの姿。


昔から変わってない。




鍋の蓋が開くと、湯気が一気に広がった。


甘い味噌の匂いが漂う。




「ほれ、好きだったしょ?豚バラとキャベツの味噌鍋。


 あんたの好きな豆腐も入れたよ」




「うん。覚えててくれたんだ」




「忘れるわけないっしょ」


母は笑った。




味噌鍋がテーブルに置かれる。


具材がぐつぐつ煮えて、汁が少しオレンジ色だった。


昔と同じ甘い味噌の匂い。




「卵、ときなさいね。つけて食べるしょ」




卵を溶いて、器に入れる。


その隣には七味。


父がいつも入れていたやつだ。




「父さんはね、卵に七味入れるんだわ。


 辛くてうまいんだと」




「知ってるよ」




その返事を聞いた母は、


「そだね」とだけ言って鍋をよそった。




豚バラを卵につけて口に運ぶ。


味噌の甘さと卵のまろさが混ざった。


記憶の中と同じ味だった。




キャベツが柔らかい。


豆腐が熱くて、少し口をやけどしそうになった。




「東京じゃ、こういうの食べてなかったべ?」




「…食べてなかったね」




「なら良かったわ。いっぱい食べなさい」




鍋がぐつぐつ音を立てて、


湯気が部屋の空気を暖かくしていった。




テレビはついていない。


鍋の音と、箸の音だけ。




父が食べていたとき、


いつもこうだったなと思う。


静かで、普通で、それが当たり前だった。




母が俺の顔をちらっと見て、


「明日も作るから。ゆっくりしてけばいいんだよ」と言った。




「うん」




それだけ返した。


大げさな言葉はいらなかった。




ただ、鍋はうまかった。

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