第25話 聖女様と初めての料理

「いい? リリちゃん。私の教えは厳しいよ! 覚悟しなさい! 」


莉奈が腕組みをして、仁王立ちで宣言した。

その表情は真剣そのものだが、口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。


「はい! よろしくお願いいたします、莉奈師匠! 」


リリアーナは背筋をピンと伸ばし、深々とお辞儀で答えた。

師匠て。

俺は心の中でツッコミを入れつつ、この凸凹コンビの行方を不安半分、期待半分で見守ることにした。


まずは手始めに、と莉奈が連れて行ったのは洗面所だった。

料理は昼食の時間に教えるとして、それまでは現代社会での生活スキルを叩き込むつもりらしい。


「じゃあ、まずは洗濯機の使い方からね」


莉奈が洗濯機の蓋を開けて説明を始める。


「ここに洗剤を入れて、コースを選んで、スタートボタンを押すだけ。簡単でしょ?」

「なるほど……この箱がぐるぐると回って、衣服を綺麗にしてくれるのですね」


リリアーナは興味津々といった様子で洗濯機の中を覗き込んでいる。


「ところでリリちゃん、ここ数日は洗濯どうしてたの?着替えとかあるんでしょ?」


莉奈の素朴な疑問に、リリアーナは「ああ、それでしたら」と明るく答えた。


「特に何もしておりません」

「えっ? 洗ってないってこと? 」

「いいえ、ご覧ください」


言うが早いか、リリアーナはキッチンの醤油差しを手に取り、自らの純白のドレスにポタポタと垂らした。


「な、何してるの!?」


黒いシミが広がるのを見て、莉奈が悲鳴を上げる。

しかし、リリアーナは涼しい顔で「大丈夫ですよ」と微笑むと、そっと目を閉じて両手を組んだ。

祈りのポーズだ。

瞬間、ドレスが淡い光を放つ。

光が収束すると同時に、醤油のシミはおろか、ドレスの細かいシワまでもが完全に消え去り、新品同様の輝きを取り戻していた。


「女神様の寵愛を賜る聖女が身にまとう物は、聖なる加護が付与されるのです。このドレスも、私の祈りによって、いかなる汚れや呪いもたちまち浄化され消え去ります」


リリアーナが得意げに俺に以前言った事と同じ事を説明すると、莉奈は口をポカンと開けて固まってしまった。

俺は苦笑しながら、莉奈の肩を叩く。


「凄いよな……洗剤買わなくていいし、天気を気にして干さなくても良いとか、正直羨ましいよな」


「……ダメーーーッ!! 」


突然、莉奈が叫んで俺の手を振り払った。

拳を振り上げ、顔を真っ赤にして怒っている。


「そんなんじゃダメよ! リリちゃん、この世界でしばらく生きるんでしょ?だったら、こちらの世界の普通の暮らしを覚えるべきよ! 聖女様なら、普通の人間の目線に立つことが大事じゃないの! ?」


莉奈の剣幕に、俺は思わず縮こまる。

しかし、リリアーナの表情はすぐに感嘆の色へと変わった。


「……莉奈さんの仰るとおりかもしれません! 」


リリアーナはキラキラした瞳で莉奈を見つめた。


「私は皆様と同じ目線に立つことを忘れておりました。皆様と同じ苦労や手間を理解できずに何が聖女でしょうか!? わかりました、これからは祈りによる浄化は封印し、洗濯機を使います! 」

「よろしい! 」


なぜか熱血指導のような空気になった。

その後、ブラジャーのカップが潰れないように立体型の専用ネットに入れる説明が始まった時、俺は居たたまれなくなってそっと視線を天井へ逃した。


「悠人、何ニヤニヤしてんのよ」

「してねーよ! 不可抗力だろ! 」


洗濯が終わり、濡れた衣類を洗濯籠に入れて二階のベランダへ運ぶ。

秋晴れの空の下、リリアーナは見よう見まねで洗濯物を干していった。

パンパン、とシワを伸ばして干す仕草も、最初はぎこちなかったが、最後の方は様になっていた。


「終わりました……! 」


空っぽになった洗濯籠を見て、リリアーナは額の汗を拭う。


「これが、皆様が当たり前に毎日行われていたことなのですね」


彼女の声には、魔法で解決していた時にはなかった、確かな達成感が滲んでいた。


「皆の当たり前を、私も1つ理解できた気がします」


嬉しそうに微笑む彼女を見て、俺も自然と頬が緩む。


「悠人様! これからは洗濯物はすべて私におまかせください! 」

「いや、さすがに任せっきりは申し訳ないから、交代制にしような」


俺の提案に、リリアーナは「はい! 」と元気よく頷いた。


そして、いよいよ料理の時間。


「初心者向けといえば、やっぱりカレーでしょ! 」


莉奈の号令で、カレー作りがスタートした。

まな板の前に立つリリアーナは、まるで伝説の聖剣でも扱うかのように、おっかなびっくり包丁を握りしめている。


「刃物を握るのは初めてでして……」

「大丈夫、猫の手にしてね。そうそう、ゆっくりでいいから」

「こ……こうでしょうか?」


顔の横で猫の手をして首をかしげるリリアーナ。

なんて可愛さだ……ただでさえ可愛いのにそれは反則だろう……!

胸を押さえる俺を不思議そうな目で見るリリアーナと、ジト目で睨む莉奈。

なんで睨まれてるんだ……?


そして莉奈の指導の下、ジャガイモの皮むきが始まった。

しかし、そこは不器用なリリアーナ。皮を厚く切りすぎて、ジャガイモが1回りも2回りも小さくなっていく。


「ああっ、小さくなってしまいました……」

「初めてだから仕方ないよ! 次はもっと薄くね! 」


莉奈が励ます横で、俺はハラハラしながら見守る。

その後も、皿を運ぼうとして盛大にクラッシュしたり、お玉を洗おうとして蛇口を全開にし、水流がスプーンのカーブに直撃して周囲に水を撒き散らしたりと、キッチンは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


「きゃああっ! ?」


水しぶきを浴びた莉奈の上着がびしょ濡れになる。


「も、申し訳ございません莉奈さん! お風邪を召されては大変です、早くお脱ぎください! 」


リリアーナが慌てて莉奈の服の裾を掴み、思いっきりめくり上げた。


「ちょっ、ちょっとちょっとリリちゃん! ?いいから! 悠人が見てるでしょ! あっちで着替えてくるからやめてー! 」

「ですが濡れたままでは! 」

「だから脱がそうとしないでってばー! 」


莉奈の悲鳴とリリアーナの必死な声が交錯する中、俺は「俺は見えてない、俺は壁だ」と自分に言い聞かせて後ろを向いた。


そんなこんなで一時間後。

どうにかこうにか、カレーが完成した。

俺が皿を出し、莉奈がご飯をよそい、リリアーナが恐る恐るルーをかける。

湯気とともに、スパイシーな香りが食欲をそそる。


「で、できた……」


完成したカレーを見て、リリアーナの瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「えっ、リリちゃん! ?どうしたの!?」

「リリアーナ、どこか怪我でもしたか!?」


俺たちが慌てると、リリアーナはふるふると首を横に振った。


「こ、こんなに何も出来なかった私が……皆様のお手伝いあってのこととは言え、料理を作ることが出来ました……」


彼女は涙を拭いながら、俺たちに深く頭を下げた。


「本当に、ありがとうございます」


その純粋な感謝の言葉に、俺たちは顔を見合わせた。


「大げさだなあ。これからも色々教えてやるから、気にすんなって」

「そうよ。リリちゃんはお友達で私の弟子なんだから、これくらい当たり前でしょ?」


俺たちが笑いかけると、リリアーナも泣き笑いのような表情で頷いた。


三人でカレー皿を持ってリビングへ向かう。

すると、テーブルに最近会ったばかりの幼女がちょこんと座っていた。

手にはちゃっかりとスプーンが握られている。


「えっ」


俺たちの足が止まる。


「が、ガルンヴァルス様!? 何故ここに!? 」


俺が素っ頓狂な声を上げると、ガルンヴァルスはぴょんとテーブルの上に立ち上がり、仁王立ちになった。


「リリたんの初めての手料理と聞いて!! 」


彼女は両手を天へと突き上げ、高らかに叫んだ。


「リリたんの手料理を最初に食べるのは、創造神たる我だーーーっ!! 」

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