第42章 英雄の帰還

 しばらく進んだころ、

 崖と森に挟まれた小道へ差し掛かった。


 風さえ止み、森がこちらを窺っているような、

 妙な静けさが漂っていた。


 満月が雲を割り、青白い光が道を照らしたその瞬間――

 闇の奥で、複数の気配がざわりと揺れた。

 

「へっ……やっぱり来やがったか。」

 レオが低く呟く。

 街道の両側に、黒い影がじりじりと姿を現した。


 山賊だ。

 前より明らかに人数が多い。二倍……いや、三倍はいる。


「お頭。こいつらですぜ。」


 ひときわ大柄な男が前へ歩み出た。

 圧のある声で、低く笑う。


「こないだは部下が世話になったな。

 ……たっぷりお礼をさせてもらうぞ。

 生きて帰れると思うなよ。」

 

 その脅し文句を聞いた瞬間、

 俺は弓をつがえ、レオは無言で剣を抜いた。

 

 刹那、

 馬車の御者台に、ひらりと影が立ち上がった。


 レイナさんだ。

 月光の下、相変わらず堂に入った風格を漂わせていた。


「あなたたち……懲りないわね?」


 その一言で、山賊たちがわずかにたじろぐ。


「この前みたいにはいかないぞ!」

「もう間合いまで詰めてるんだ……魔法は撃てまい!」


 山賊たちは距離を詰めてくる。

 ――極大爆裂魔法を封じるつもりだ。

 

   

 俺たちも武器を構える。

 レオは剣、ルナは杖、マルコは祈りの姿勢。


 緊張が張り詰める。


 山賊たちの足が、一斉に地面を蹴りかけた――。


 その刹那。


「……あぁ?」


 低い声が、馬車の中から響いた。


 ぬっ……と、黒く巨大な影が馬車の内部から立ち上がる。

 英雄アレクスだ。


 月光に浮かぶその横顔には、

 戦いの炎をくぐり抜けた者だけが持つ静かな威厳があった。

 逞しい体躯、鋼鉄のような腕、そして……赤い光を宿す瞳。

 

 月下、

 凛と立つレイナさんと、その後ろに立つ英雄アレクス。


 ――絵になりすぎて、もう何と言えばいいのかわからない。


 アレクスがゆっくりと剣に手をかけた。

 鞘から引き抜かれた瞬間――


 オーラが爆ぜた。


 空気が震える。

 肌が粟立つ。

 殺気が、一気に街道を満たした。


 山賊たちは、本能で悟った。

 ――“ここにいたら死ぬ”。

 

「ひっ……!!」


 山賊たちは、蜘蛛の子を散らすように四方へ逃げていった。

 一人残らず、崖も森も関係なく、

 悲鳴を上げながら走り去っていく。


 レイナさんが小さく息を吐く。

 アレクスは剣をひと振りして鞘に戻すと、


「……夜風が気持ちいいな。」


 とだけ呟いた。

 

 そして――


 俺たちは、街に凱旋した。

 

 街へ入る前に、俺たちは一報を送っていた。

 ――“英雄アレクス、帰還”と。


 その知らせは早馬に乗って風よりも早く駆けていき、

 街の入り口にはすでに多くの人々が集まっていた。


 街を出たときとはまるで違う、

 もっと大きな、もっと熱い空気。


 馬車がゆっくりと街門をくぐると、

 ざわめきが波のように広がった。


「アレクスだ! 本当に帰ってきた!」

「レイナさんが、英雄を連れて戻ったぞ!」

「生きて……生きて帰ってきたんだ!!」


 歓声が風を揺らす。


 アレクスとレイナさんが馬車の窓から顔を出し、

 優しく、控えめに手を振った。

 それだけで、人々の喜びは一気に爆ぜた。


「アレクスの旦那ぁぁ!!」

「レイナ様ーー!!!」

「うおお、帰ってきたああ!!」


 俺たちの馬車のまわりに、人の輪が幾重にもできていく。


 アレクスが最初に馬車を降りる。

 レイナさんも、それに続いた。


 そして俺たちも順に地面へ足をつけた瞬間――

 アレクスが振り返り、俺たちの前に立った。

 その横に、レイナさんがそっと寄り添う。


 英雄は、静かに手を差し出した。


 ――空気が、止まる。


「改めて、礼を言わせてくれ。」


 低く、よく響く声だった。


「マイト。レオ。ルナ。マルコ。

 お前たちは、俺の命の恩人だ。」


 その一言は、

 山賊を一喝したときの殺気とは正反対の、

 大きく、温かく、深い響きを持っていた。


 俺たちはそれぞれ、その手を握り返した。

 たったそれだけの仕草なのに――


 街全体が、沸いた。


「おおおおーーーーっ!!!」

「恩人! 英雄を助けた恩人だ!!」

「ありがとう! 本当にありがとう!!」


 歓声が空に突き抜ける。

 誰かが太鼓を叩きはじめ、子ども達が駆けてくる。


 その中から、

 ミカが飛び出してきた。


「レイナさんっ!!」


 勢いよく抱きつくミカを、

 レイナさんはしっかりと受け止めた。


「ただいま、ミカ。

 ……留守番、ありがとう。大変だったでしょう。」


 ミカは顔を上げ、涙をこらえて頷いた。


「ううん……! でも……よかった……!」


 街の人たちが口々に声をかける。


「レイナさん、よかったなぁ!」

「アレクスの旦那も、おかえり!」

「みんな無事で、本当によかった!」


 笑顔、涙、拍手。

 それがずっとずっと続いていく。


 喝采と祝福の声は、

 まるで祝福そのものが空にこだまするように、

 いつまでも街に響き続けた。

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