第40章 英雄の目覚め

「……戦士アレクスは、この街にいる。」


 レイナさんの肩が、ぴくりと震えた。


「ただし──」

 ギルド長はゆっくりと言葉を続けた。


「二年前のクラーケンとの戦闘で深手を負い、今も意識は戻っていない。

 街の療養所で、静かに眠っている状態だ。」


 その瞬間、レイナさんの顔から血の気が引いた。


「……そんな……」


「命はある。だが、目覚める兆しはない。

 会いたければ、すぐにでも向かうといい。

 紹介状もある。手続きはすぐ終わるだろう。」


 やはり、そうだったか。


 俺たちは礼を言い、急いでギルドをあとにした。


 ――そして、療養所へ向かう。


 港から少し離れた場所に建つその施設は、

 静かな海風が流れ込むように設計された白い石造りの建物だった。

 受付で事情を告げると、スタッフはすぐに案内してくれる。


「こちらの病室です。」


 扉を開けると、

 そこには──巨体の浅黒い男が横たわっていた。


 アレクス。


 英雄と呼ばれた男は、まるで大きな岩のように静かで、

 規則正しい呼吸だけが、辛うじて生の証を示していた。


「アレクス……!」


 レイナさんが駆け寄り、

 そのまま彼の胸に飛び込み、両腕で強く抱きしめた。


 大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。


「やっと……やっと会えたのに……!

 なんで……こんな姿で……」


 その背中を見て、俺も胸が締め付けられた。


 だが──泣いている暇はない。


「……よし、起こすか。」


 レオが腕を組んだまま呟く。


 俺はレイナさんに向き直り、やわらかく声をかけた。


「レイナさん。

 アレクスさんの“起こし方”は……ちょっと極秘事項でして。

 ここは危険なので、病室の外で待っていてください。」


「え、危険って──」


「すぐ終わりますから。」


 戸惑いながらも、レイナさんは涙を拭い、部屋を出ていった。


 扉が閉まり、病室には俺たちとアレクスだけとなる。


「……よし、レオ。頼む。」


 俺が目配せすると、レオは無言でうなずいた。


 そしてそのまま、アレクスの上にまたがる。


 渾身の力を込め──


 「バチィィィィンッ!!」


 拳がアレクスの頬にめり込む。


 一瞬の静寂。


 次の瞬間。


「いっってぇぇなあ!! 何しやがる!!?」


 アレクスが弾かれたように目を見開き、上体を起こした。


 怒りで目をギラつかせ、

 レオの胸倉に掴みかかろうとした、その刹那。


 ――バーンッ!!


 勢いよく扉が開いた。


「アレクス!!」


 レイナさんが飛び込んできて、

 そのままアレクスに抱きついた。


「会いたかった!! 本当に……!!」


 声を震わせ、号泣するレイナさん。

 状況が飲み込めていないアレクスは目を白黒させる。


「れ、レイナ……? なんでここに……?」


 それでも、ゆっくりと腕を伸ばし、

 彼女の肩をやさしく抱いた。


 その手は、確かに生きている人間の温もりだった。


 しばらくして、レイナさんの涙が落ち着くと、

 俺たちは椅子を寄せ、アレクスのベッドのまわりに集まった。


「……さて、説明するか。」


 俺は深く息を吸い、

 この数日間に起きたすべての出来事──

 レイナさんの依頼から、

 そしてこの港町に来るまでの旅路を順に語り始めた。


 アレクスは目を細めながら、じっと話を聞いていた。

 やがて、俺の説明が終わるころには、

 その瞳に、わずかながら力が戻っていた。


「……まずは礼を言わせてくれ。

 君たちは、俺の命の恩人だ。」

 

 英雄は──確かに目覚めたのだ。

 

 アレクスは、深く息を吸い込むと、

 ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「……話そう。

 二年前に遡る、あの日のことから。」

 

 レイナさんは彼の手を握ったまま、じっと耳を傾けている。


「クラーケンは、この街の外海に姿を見せた。

 街を守るために、ギルドの精鋭たちと共に船を出した。

 だが──船上での戦いは初めてだった。

 揺れる甲板では思うように動けず、

 何度も海に叩き落とされそうになった。」


 アレクスは苦笑する。


「それでも、仲間たちと力を合わせて、なんとか奴を追い詰めた。

 最後は……俺がとどめを刺した。

 ちょうどその瞬間だ。

 クラーケンの触手が俺の脇腹を貫いた。」


 レイナさんが息をのむ。

 アレクスは彼女の手をそっと握り返した。


「落ちた。

 海の底に沈んでいく感覚があった。

 水の中で、光が揺らいで……

 “あぁ、終わりか”と思った。」


 だが、とアレクスは眉をひそめる。


「気づけば、俺は……森の中に倒れていた。

 見たこともない森だった。

 空も違う、風も違う。

 この世界じゃないと、すぐにわかった。」


 アレクスは目を閉じ、記憶をたどるように続ける。


「身体は限界だったが……不思議と歩けた。

 導かれるように、森をさまよっていた。

 そして──ジョーに出会った。」


 そこで、アレクスは俺を見た。


「マイトといったか。

 そうか……お前もジョーに会ったのか。」


「ええ。俺も世話になりました。」


 アレクスは小さく笑った。


「ジョーと別れたあと……俺は、あの世界を旅した。

 地図もなく、もちろん帰り道もわからない。

 だが、歩くしかなかった。」


 アレクスの声に、静かな孤独が滲む。


「人には……ほとんど、会わなかった。季節を2度超えた。

 広い世界なのに、まるで俺だけが取り残されたようだった。」


 レイナさんの指が震える。

 アレクスはその手を、またそっと包んだ。


「いつか帰れると信じてはいたが……

 結局、どうやって戻ってきたのか、記憶が曖昧なんだ。

 強い衝撃を感じて……

 次に目を開けたら、ここだった。」


 ひととおり話し終えたあと、

 アレクスは深く息を吐き、レイナの肩をそっと抱き寄せた。


 逞しい腕は、今も英雄そのものの強さを湛えていた。

 だが、大切な人を抱きしめた瞬間だけ――その手は静かに震えた。


「……すまない、レイナ。

 約束を守れなくて……ずっと……すまなかった。」


 かすれた声が、病室の静けさに染み込んでいく。

 レイナはその胸に額を押しあて、小さく首を振った。


「謝らないで……。

 生きていてくれただけで、もう十分なの。

 ずっと……あなたを待っていたんだから。」


 アレクスの肩に、レイナの涙がひとしずく落ちる。

 彼はその涙を受け止めるように、静かに目を閉じた。


 病室の窓から、午後の柔らかな陽光が差し込む。

 白いカーテンが揺れ、光の粒が二人を包む。

 

 まるで、ハリウッド映画のラストシーンみたいだ。

 気づけば俺は、その光景にただ見入っていた。

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