第9話 祭礼

彼が「行きましょう」と静かに言いました。私は返事をして、彼と歩調を合わせるように歩き始めました。


道すがら、秦野さんと奥様のことを教えてもらいました。

秦野さんは28歳、大阪府内の会社でWebエンジニアをしているようです。もともとは関東出身で、就職を機に関西へ引っ越し、三年前の結婚をきっかけに、この街へ移り住んだとのことです。

奥さまの悠希さんは32歳、生まれも育ちもN県だそうです。元々は秦野さんと同じ職場で働いていたそうですが、現在はフリーランスでwebデザインの仕事をされているそうです。

現在、夫婦2人で暮らしており、子どもは欲しいけど今はいないとおっしゃっていました。


「妻は根っからの関西人で。怒ると関西弁がキツくなって怖いので、なるべく喧嘩しないようにしていました。」

「分かります。私も普段は標準語混じりですが、実家に帰ったり古い友人に会ったり、怒ったりすると関西弁が強くなります。」


そんなたわいのない話もいくつかした後、私は奥様がいなくなった日のことを秦野さんへ尋ねました。


「仕事柄、在宅で作業することも多いんです。あの日も家で仕事をしていて。妻は私以上に融通が利くというか、普段から自宅で仕事をしています。あの日も遅めの朝食を一緒に食べたあと、私が皿洗いをしている間に“ちょっと出てくる”と言って……それきり、帰ってきませんでした。」


「そうですか…」


そう呟いたものの、なんと言葉をかければよいのか分からず、私は黙り込んでしまいました。秦野さんも、しばらく沈黙したままでした。

そのとき、私は郷土資料に記されていた一文を思い出しました。


――或ル年、参列ノ供物怠リシ家ヨリ、人ガ忽然ト消エシ。其ノ後ニ至リテモ、度々人消エ行方知レズトナルコト有リ。ヤガテ神隠シガ如ク、其ノ身還ラズトナル。


あの神社の祭礼にまつわる記述。あの資料を読んで以来、どうしても胸に引っかかっていました。


「あの…ひとつ伺いたいのですが、この上に神社がありますよね。行かれたことは?」


「すみません、行ったことはありません。〇〇さんからメッセージをいただいて、それで地図を見て初めて、この場所に神社があることを認識しました。なんというか、普段の動線から外れているので、行ったこともなくて。それに、土地勘もありません。」


「そうでしたか。土地勘がないのは私も同じです。こんなところに神社があるなんて、思いませんよね。」


私はそう答えながら、秦野さんが神社と関わりがなさそうで、少し安心しました。でも、ほっとしたのも束の間、秦野さんは話し始めました。


「ただ、地図アプリで神社を見てみたら、あの鳥居にどこか見覚えがあって。それで少し考えたら――あ、少し前まで駅に貼ってあったポスターで見たんだって思い出したんです。」


「ポスター?」

私は首を傾げました。


「はい、この地域の夏祭りのポスターです。毎年やっているみたいで。ちょうど今から一か月前くらいかな、妻がいなくなったのと同じ時期でした。そのお祭りの会場が、昔はその神社だったようですね。今でもポスターには、鳥居が描かれているみたいです。」


私は思わず息を呑みました。


「…それって、どんなお祭りですか?」


「行ったことがないし、自治会にも入っていないので詳しくは知らないんですよね。でも、よくある地域の小さなお祭りだと思います。出店が少し並んだりするらしいです。浴衣姿の子どもを見かけるくらいで、それ以上のことは正直…」


「…」


私は、色々な感情が綯交ぜになりました。

神隠しに繋がるあの祭は、今も続いているのかもしれない。そう思ったんです。

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