第3話 村域ヲ歩ク

次の日曜日、私は伊里斐いりひ市へ向かうため、電車に乗りました。


私が現在住んでいる市から急行で約45分の位置にあるその市は、人口23万人を擁し、大阪の中心部から電車で30分ほどという利便性の高い地域です。市域全体が丘陵地帯で、平地は谷間の川などの限られた範囲しかありません。かつては山あいの寒村だったようですが、その利便性の良さから、戦後、特に高度経済成長期からバブル期にかけて人口が増加し、今では複数の大学や研究機関が集まる学術都市として知られています。豊かな自然も残り、ファミリー層にも根強い人気を誇る街です。


古くは先に話したとおり、いくつかの村が合併してできた地域ですが、かつての村名は今ではわずかに町名として残るのみとなっていて、別々だった村の境界は曖昧になり、1つの大きな街へと変貌しています。


旭ヶ丘地区は、市の中心駅から各駅停車に乗り換え、二駅目に位置します。山を切り開いてつくった台地の上に駅が立ち、整然と区画整理された街並みが広がる、伊里斐市の中でも比較的新しい地域です。


私は電車を降り、改札を出て駅前のロータリーをゆっくりと歩きました。複数のバス路線が駅から放射状に伸びており、典型的な郊外のベッドタウンといった雰囲気です。神社近くまで行くバスの便もありましたが、地図を見ると歩いても20分ほど。せっかくなので、少し暑いですが、気持ちの良い散策になるだろうと歩くことにしました。


駅から続く長い坂道を10分ほど下ると、やがて坂が終わり、平坦な土地が広がってきました。地図によれば、ちょうどこの辺りがかつてのアサノ村のようです。


ですが、町名も旭ヶ丘のままであり、これまで歩いてきたところと変わりませんでした。もちろん、アサノの名前は見当たりません。地図上では、完全に周囲の地区に同化しています。


ただ、区画整理された街並みは、その整然さの中に、ほんの少しの歪みを孕んでいるように見えました。大手ハウスメーカーによって建てられたであろう、等間隔に並ぶ住宅の合間に、まれに古い瓦屋根の家がぽつぽつと混じっています。まるで、その家々だけが時の流れを拒み続けているように見えました。


「これは…アサノ村の名残りかな」


そんなことを考えながら、私は神社へ向かうため、これまで歩いてきた大通りを左に折れました。


先へ進むと、先ほどまでの街並みが徐々に変化していくのを感じました。時おり吹く風が湿った土の匂いを運んでくるようでした。道は緩やかに右へと曲がりながら、上り坂になっていきます。次第にどんどんと家の区画も大きくなり、立派な日本家屋も並ぶようになりました。


そして、高い垣根のある大きな家を最後に、更に景色は変わりました。


これまで続いてきた家並みがぷつりと途切れ、木々が道の両脇からせり出しています。続く道幅は一気に狭まり、大きな轍が目立ち、今朝降った雨の影響か、水たまりができています。雑草も生えており、ひと目見て人の往来が極端に減ることが分かりました。


ふと目線を左に向けると、木々に隠れるように、小さな納屋が一棟建っています。かなり昔に作られたと思われる木造の小屋は今でも現役のようで、傾いた屋根の下に軽トラックが一台停まっていました。


「なんだか雰囲気のあるところだな」と思いながら、ひっそりとした空気が満ちるその先を100メートルほど進むと、木陰の奥、正面に小さな鳥居が見えてきました。


鳥居は、静かに佇んでいました。かつては朱色であっただろうそれは、長い風雨にさらされて色を失ったのか、黒ずんだ木目がところどころ浮き出ています。周囲の整然とした街並みから切り離されたように、その一角だけタイムスリップしたように感じました。人影はまったくありません。ついさっきまで遠くで聞こえていた車の走行音も、いつのまにか途絶えています。耳に届くのは、じりじりと焼けつくような蝉の声だけでした。


私は、目的の神社に到着しました。

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