第3話 反則

「え? ちょ、え? 何言ってるの? 大学に行くってどういうこと?」


「どういうことも何も、そのままの意味だよ。私は、唯斗と一緒に大学に行くって言ってるの」


「駄目だよ、そんなの」


 ぶーっ、と綾香は不満げに頬を膨らませた。


「何で? どうして?」


「何でって……綾香を大学に連れて行ったら、注目を浴びちゃうよ。綾香ほどかわいい人が、目立たないわけがない。そんなことになったら困る」


「注目を浴びるのがどうしていけないの? 何で困るの?」


「俺みたいな大学生が注目を浴びるなんておかしいし、綾香と付き合ってるみたいな噂を流されたら、ほら、俺にとっても綾香にとっても、よくないだろうし」


「何で唯斗が注目を浴びるのがおかしいの? ねえ、何で?」


 綾香はまっすぐな目で俺を見つめてくる。


「俺は、えっと、注目を浴びるような人間じゃないから」


「どういうこと? 何で決めつけるの? 意味が分からないよ」


 綾香の言葉がぐさぐさと俺の心に突き刺さる。俺は拳を握り締め、「とにかく!」と語気を強めた。


「綾香を大学に連れていくことなんて出来ない! 絶対に駄目!」


「この家で1人で待ってろって言いたいの? そんなのやだ! もう1人で寂しい思いをするのは嫌なの!」


「綾香は神様なんでしょ? 大学は人間が通う場所だから、駄目!」


「そんな理屈通じないよ! 私はどう見たって人間でしょ、ならいいじゃん!」


「駄目だよ、俺1人で行く! 綾香はここで待ってて!」


「やだ!」


「駄目だ!」


「やだ!」


「駄目だって!」


「やだやだやだ!」


「駄目だって言ってるじゃん!」


 押し問答はしばらく続いた。綾香は言葉に詰まり、視線を下に向け、その後意を決したように再び俺を見つめた。


「……駄目、なの……?」


 涙混じりの、上目遣いで、綾香は声を絞り出す。どくん、と俺の心臓が跳ねた。


「本当に駄目なの……? そんなに私と大学に行くの、嫌……? そんなに私のこと嫌い……?」


 こんなにかわいい女の子が、こんな仕草で、こんな声を出すなんて。


 反則だ。こんなことをされて、折れない男なんていない。


「……分かったよ、特別に許してあげる」


「ほんと? やった〜!!!」


 先程の悲しげな表情はどこへやら、綾香は飛び跳ねるようにして喜んだ。


「もう……そんな上目遣いで、しかも涙まで滲ませて、反則だよ」


「涙? え、私泣いてる? 嘘でしょ?」


「嘘じゃないよ。そんなに俺と大学行きたかったの?」


「あ、いや、これは、その、か、勘違いしないでよね! 私はただ、えっと、ほら、唯斗は1人で寂しかった、って言ってたから、1人で大学に行くと寂しくなっちゃうと思っただけだから! 別に嬉しいとかじゃないから! 逆に、私と一緒に大学に行けること、感謝してほしいくらいなんだけど!」


 ツンデレなのか? と俺は思った。


 綾香は時折、ツンデレのテンプレートとも言える話し方をする。綾香がツンデレという概念を知っているのかどうかは分からないが、言葉だけ聞いてるとどう見てもツンデレだ。


「綾香、ツンデレって言葉知ってる?」


「何それ、食べ物の名前?」


「何でもないよ」


 どうやらツンデレの概念は知らないようだ。って、そんなことはどうでもいい。


 俺は、綾香の押しに負けて一緒に大学に行くことになってしまった。


 綾香の言葉は的を得ていた。綾香を置いて1人で大学に行っていたら、今まで通り寂しさに心を痛めていただろう。言葉では否定しつつも、俺は綾香と一緒に大学に行くことを望んでいたのかもしれない。


 とにかくえらいことになった。綾香ほどの美少女と一緒に、大学に行くなんて。


 想定される事態を考える。綾香は確実に周りの目を引く。100パーセント、間違いない。それほどまでに綾香のかわいさは群を抜いている。おまけに猫耳まで生えている。何も策を講じず大学に足を運べば、否応なしに注目を集め、よくないことになるのは目に見えている。


「綾香、よく聞いてほしい。一緒に大学に行くのはいい。ただし、条件がある。綾香の顔、そして猫耳を隠させてほしいんだ」


「どういうこと?」


「綾香はものすごくかわいい。信じられないくらいかわいい。そんな綾香が、顔や猫耳を隠さずに大学に行ったら、どうなると思う?」


「うーん……分からないよ。そもそも大学ってどういう場所なのかよく分かってないし」


「綾香は注目を集める。下手したら、下心を持った奴が話しかけてくるかもしれない。それは俺にとっても、綾香にとってもよくないことなんだよ」


「ああ、大学には他にも人がいるってこと? そういう場所なんだ」


 本当に何も知らないんだな、と俺は思った。


「人間の世界をずっと観察してた、ってさっき言ってなかった? その割には、大学のことを全く知らないってちょっとおかしくない?」


「うーん、なんか色々な知識はあったはずなんだけど、忘れちゃったのかなぁ」


「まあいいや。話を戻すよ。とにかく、綾香が顔や猫耳を隠さずに大学に行くと、よくないことが起きる。だから、両方隠す必要がある」


「どうやって隠すの?」


 俺は棚の隅に置かれている、マスクが入ったケースからマスクを1枚取り出し、「これだよ」と言って綾香に見せた。


「これは何?」


「マスクだよ。これをつければ、顔の一部分を隠せるからね。つけてみて」


 綾香はマスクを受け取り、「どうやってつけるの?」と言って首を傾げた。


「マスクを顔に当てて、紐を耳にかけて……そうそう、そんな感じ」


 俺の助けを借りてマスクをつけた綾香は、「何これ?」と眉を顰めた。


「これはどういうものなの? なんかちょっと息苦しいんだけど」


「自分が持ってる感染症を他の人に広げない、みたいな? まあとにかく大事なものなんだよ」


「ふーん。どう? 顔隠せてる?」


 たしかにマスクによって顔は隠せているが、綾香のかわいさは隠せていない。このままじゃ駄目だ。


 やはり目も隠さなければ、と思ったその時、以前友達からもらったサングラスがあったことを思い出した。今は話すこともなくなったその友達からもらったサングラスは、たしか机の引き出しの中にあったはずだ。引き出しの中を探ると、案の定サングラスがあった。


「綾香、これもつけて」


「何それ?」


「これはサングラスだよ。日差しとかから目を守るために使うもの。これをつければ目を隠せるから」


 着用方法を教え、綾香にサングラスを手渡す。サングラスを着用した綾香は、「わ!」と驚きの声を上げた。


「世界の色が変わった! なんか変な感じ!」


「まあ、サングラスってそういうものだから。すぐに慣れるよ」


「ねえねえ、私のかわいさ、隠せてる?」


 サングラス、そしてマスクの着用によって、ようやく綾香のかわいさを隠すことが出来た。逆に言えば、サングラスとマスクの両方を着用しなければ隠せないほど、綾香のかわいさは半端ないということになる。


「うん、大丈夫。大学に行く時は、マスクとサングラスをつけてね」


「なんかマスクは息苦しいし、サングラスも鼻と耳のあたりがむずむずしてくるんだけど、とっちゃ駄目?」


「駄目。綾香のかわいさを隠す必要があるから。あとは猫耳も隠さないとね。よし、この帽子をつけてもらおうか」


 クローゼットから、有名なメジャーリーグの球団のロゴが入った帽子を取り出し、綾香に手渡す。


「はい、帽子かぶって」


「分かったよ。うーん、なんか耳が圧迫される感じがして嫌だなぁ」


「我慢して」


「はいはい。それで、いつ出発するの?」


「そろそろ出るよ」


 そこで俺は、自分が未だ寝巻きを着ていたことに気付いた。


「綾香、急いで服を着替えるから、あっち向いてて」


「何で?」


「何でって、着替えてるところを見られたら恥ずかしいからだよ」


「何が恥ずかしいの?」


「いや、えっと……とにかく、あっち向いてて!」


「分かったよ」


 俺は寝巻きを脱ぎ、洗濯機に放り投げ、大学に着ていく服を選定した。クローゼットの中にあるのは安物の服ばかりだ。


 その中から、灰色の上下のヒートテック、黒いズボン、白いトレーナーに黒いダウンジャケットを引っ張り出し、身につける。図らずも綾香と似ている白黒のコーデになってしまったが、しょうがない。服にあまり関心がなく、なんとなく白と黒の服ばかり買っていたツケがここで回ってくるとは。


「あ、今更なんだけど、綾香のその格好寒くない? 上着着る?」


「ううん、大丈夫。私、神様だから、寒さとか全然気にならないんだよね」


「なるほど」


 外見は完全に人間のため、気を抜くと綾香が神様であることを忘れてしまう。いや、そもそも神様というのが不思議でおかしすぎるけど。


 俺は安物のリュックにパソコンやら筆記用具やら、ファイルやら何やら必要なものを詰め込んだ。これで準備完了だ。


「じゃあ、行くよ」


「うん」


「綾香は神様。普通の人間とは違うってことを忘れないように。いや、まだ綾香が神様って信じきってるわけじゃないけど、とにかく綾香は人間とは違う存在なんだから、それを肝に銘じておいてね」


「うん」


「絶対に目立つような行動はしないこと。約束してね」


「分かった」


「よし、行こう」


 俺は靴を履き、綾香と一緒に外に出た。靴を持っていない綾香にはスペアの安物の靴を与えた。綾香はマスクやサングラスが気になるようで度々指でいじっている。俺は扉に鍵をかけ、キーホルダーのついた鍵をリュックの中に突っ込んだ。


 こうして俺は人生で初めて、誰かと一緒に大学に行くことになった。


 




 





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