やり直し教皇と本狂いの元暗殺者

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本編

第1話 やり直し教皇①

(……ありがとう。連れてきてくれて)

(こちらこそだよ。ここに一緒に来れて良かった)


 私が礼を言うと、彼は屈託くったくなく笑った。


 風化したこぎれいな墓標ぼひょうの上。

 ほわりとやわらかそうな白い羽毛の、一羽の小鳥。瞳はルビーのような深緋こきあけ色。それが今の私の姿だった。

 私は、短いくちばしを上げて、目の前にかがむ青年の顔を見上げた。

 青年の指は、私の小さなひたいにそっとえられていた。彼はそうして、言葉を話せない小鳥である私の思念の声を、読み取ってくれる。


(私は、本当に……幸せ者だな)


 墓標の上を、風がないでいく。

 青年は目を細めて笑った。


(はは。未練みれんが増えちゃった?)

(ああ、まったく。今になっても、君との時間が名残なごりしくてたまらない)


 目頭が熱くなる。

 もうこれで終わりにしようと、覚悟してきたはずだったのに。もし、私の判断をまどわすこの記憶が、初めからなかったら。そう、たとえば、


(全部、な)

「…………あっ」


 彼が、ふと声をらした。そして、首をかしげた私の名を呼びすくい上げる。


「なあ、ファナ=ノア。……もし、よかったらだけど」


 続く彼の言葉を聞いた私は、深い緋色ひいろの目を大きく見開いた。

 それが、彼の望みだと言うのなら。


 ためらいながらも、私はゆっくりとうなずいたのだった。

 



 † † † 

 (十七年後)

 † † †




 自分のことを心底認めてくれる、対等な存在に出会いたい。

 小さな祭壇を見上げ、そんな願掛けをしてみる。……まあ、要するに、今現在手持ち無沙汰ぶさたなのだ。


 その祭壇は、私が腰掛けるソファから見て正面、西の壁にあった。

 どこの教室にもあるそれは、『白の教皇ファナ=ノア』の像をまつったもの。神秘的な、深い緋色の瞳に白い髪──。赤目は創造神の御使みつかいなのだと信じられている。スリット窓から差し込むあざやかな夕陽がまるで後光のようだ。白の教皇は、無形である創世神の偶像として、今も世界中で崇拝すうはいされている。

 でも、教皇の像を見ると、私はいつも不思議な感情が湧き起こるのだ。


(白の教皇は、本当は、孤独こどく、だったんじゃないかな……)


と。

 私がその人に感じるのは崇拝というより、共感に近かった。

 だって聖書通り、ずっと善人で居続けられるものだろうか。五百年前、世界から姿を消したというその後、実はとんでもない悪行をしていたりして?


 そんなとりとめのないことを考えながら、私は視線をテレビに戻した。時刻はもう夕方の六時だ。

 室内には、シンプルな二人がけのソファがローテーブルをはさんで一組。正面の大きなモニターではつけっぱなしのニュースが流れている。郊外で出現した巨大な怪物を、教会の司祭たちが退けたとかなんとか。

 向かって右には衝立ついたてがあって、その向こうには薬品や何かの実験器具が背の高い棚からはみだしてごっちゃりと積み上げられている。


 ここは、国立大学附属ふぞく高等学院の物理化学研究室。そして、ここの担当教諭きょうゆは私の父だ。今日は時間が合わせられそうというから車で一緒に帰宅する予定で、生徒会の用事を片付けてさっきからここで待っているのだけど、なにやら珍しく予定が押しているらしい。激しいタイピングの音が連続して聞こえてくる。だからといって私は焦れたり怒ったりもしない。こういう温厚さは私の取り柄である。

 とはいえ、このままではらちが開かないと、私は声をかけてみた。


「何か手伝えることは?」

「あーっ、うーんと……」


 衝立ついたての向こうで父が頭をかいたとき、ドアがガラガラと開いた。


「失礼しまーす! あっ、ファナくんもいるぅっ」

「なんで生徒会長がここに?」

「知らないの? 親子なんだよっ!」

 

 女子学生が六人。きゃいきゃいと甲高い声で狭い室内が一気に騒がしくなる。衝立で見えないけど、父が歯を食いしばって『あ゛あ゛あ゛こんなときに』とわしゃわしゃ髪をかき乱しているのが分かった。モテるっていうのも大変だよな。


 私の名前はファナ。『白の教皇ファナ=ノア』という神様的存在にあやかった、ありふれた名前。性別は男、年は十七。生徒会長もやっている。


 準備室に入ってきた女子たちも、ソファに座っていた私を見つけて、嬉しそうに駆け寄ってきた。父が申し訳なさそうに声だけを投げてくる。


「ファナごめんっ! そっち頼むっ」

「……分かったよ」


 父は今も猛烈もうれつにキーボードを叩いている。家で待っている母のためにも頑張ってほしい。夕食が冷めると怖いのだ。


「ねえねえ、先生ー! うちら、分かんないことがあってさー!」

「ちょっと待って、皆」


 奥の研究室へ雪崩なだれ込もうとする彼女たちをどうにか食い止める。


「今は、静かにしていよう?」


 口元に人差し指をあてて片目を閉じると、女子たちは「ほう……」と固まった。

 自分でいうのもなんだけど、私は眉目秀麗びもくしゅうれいとよくめられる容姿なのである。いわゆる王子っぽい仕草で受けるコツは、心を無にして恥を捨てること。

 ……ところで。

 私は女子学生のうちの一人に目を向けた。一歩退がった位置で、薄い笑みを浮かべ、一人だけ落ち着き払っている。


(こんな子、いたかな?)


 週に二回は登校時に校門に立って挨拶あいさつしているから、知らない生徒はほとんどいない。転校生がくる話も聞いてるけど、それは明日のはずだ。しかもそれは男子。


 私はその女子学生を観察した。女性にしては背が高い。私と同じくらいだろうか。初夏だというのに、レースをあしらった白手袋をつけている。顔立ちは整ってて、少し化粧が濃い。アイスブルーの流麗りゅうれいな瞳を彩る華やかなつけまつげ。化粧しなかったらだいぶ印象が違うかもしれない。

 視線に気がついて、その女子学生がこちらを見た。


「会長、私の顔になんかついてる?」

「──いや、いつもそんな綺麗きれいだったかなって」


 誰か分からないなんて失礼かと思い咄嗟とっさにそう誤魔化ごまかした。するとその女子生徒は少し驚いた表情をしてから目を細め、茶目っ気のある笑みを浮かべた。


「やだー、会長ってば。ナンパみたいなこと言うなんて。そんなに私の見た目が好み?」


 うわ、失敗したな。この論点はよろしくない。


「……本音を言ってしまっていいか?」

「どうぞ?」


 断りを入れつつ表情をうかがう。

 その目は意外にも冷静で、自分が好みかと聞く割には、答えに関心が無さそうに見えた。これなら始めから気を回した言い方をしなくても良かったかもしれない。


「すまない。顔と名前が一致しなくって……」

「……。ぷっ」


 その女子学生は少し固まってから、吹き出した。お腹と口元を押さえて肩だけで笑っている。ちょっと素直に言い過ぎたかも。まあ笑っているならいいか。

 笑いを少し収めた女子学生は、いたずらっぽい表情で私を上目遣いに見つめてくる。


「思い出すまで、教えてあげなーい」

手厳てきびしいな」


 実は化粧しただけの、顔見知りだってことだろうか。いや、それすら冗談の可能性もあるな。余裕たっぷりの態度でありながら、その目は常に注意深くこちらを観察している。こんな人、一度会ったら忘れるはずがない。

 ほかの女子学生たちが焦った様子で口を挟んでくる。


「ファナくんにそんな言い方するなんて! 頼みこむから連れてきてあげたのに──」

「あーだめだめ! それでバレたら面白くないじゃん! 会長も、こんなことで目くじら立てたりしないでしょ?」

「……まあ」


 そりゃ、先に無礼を言ったのはこっちだし。昔からの知り合いみたいな口ぶりのせいで、不思議と共犯者みたいな感覚になってくる。面白い人だ。

 衝立ついたての向こうから父が顔を出した。大きなダンボール箱を抱えている。


「ちょっとこれだけ生物学棟に届けてくる! ごめんけどその間に帰ってもらって」


 大股おおまた颯爽さっそうと女子学生たちのすぐ横を通り抜けて出て行ってしまう父。


「あああっ、先生……今日もかっこいい」

「ちなみに予定が終わったら速攻で帰るよ。すでに母を随分ずいぶん待たせているから」

「えーっ!」

「生徒と奥さんとどっちが大事なの!」

「まあまあ」


 女子学生たちが口をとがらせるのをなだめる。

 まだ恋愛経験がない私には彼女たちが少し眩しい。

 ……さて。父からは彼女たちを帰らせるよう頼まれた訳だが。

 頭の中で少し作戦を練ってから、私はもう一度微笑びしょうを作った。


「早く帰りたいっていう父のことは私には止められないけど、皆のやりたいことの手伝いは少しならできるよ。実は今週末──」


 父と会える予定をほのめかしつつ、父の約束相手の方のクラスメイトに交渉する必要があることを伝える。合間で彼女たちの熱意を認めることも忘れない。


「────で、彼はこの時間まだ部活動中だから、今から行ってみたら?」

「…………! ファナくん、天っ才! ありがとう!!」


 成功かな?

 女子学生たちは、私の提案を試してみる気になったらしく、すぐさま荷物をまとめてだだーっと駆け足で出て行った。ああ、なんとかなって良かった。

 見送ってから、ぽつりとこぼす。


「すごい勢いだな……」

「そうだねー」

「!」


 なぜか一人だけ残った女子学生が反応して首を傾げている。さっきの人だ。


「だってあの先生って、結構有名な特殊能力もちでしょ? そりゃモテるわ。会長はそういうことできないの?」

「……」


 父みたいに特殊能力を使える人はとても希少だ。国か教会にいけば就職先を斡旋あっせんしてもらえる……といえば聞こえはいいけど。何を命じられるか分かったものではない。父が今かされている研究も軍事関係だし。なので私も、表向きは。


「できないよ」


 そういうことにしておこう。

 とりあえず、開けっぱなしの物理化学室のドアを閉めようと立ち上がる。

 そこで、廊下の向こう……父が向かった生物学棟の方がさわがしいことに気づいた。


「なんだろう?」

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