第12話 妹との共同執筆と、澪の再出現

 翌朝。


 リビングで朝食を食べていると、妹が降りてくる。パジャマ姿のまま、眠たげな目をこすっている。その仕草が──澪に似ている。


 「おはよう、お兄」妹がテーブルに座る。


 「おはよう」


 「昨日の続き、気になってる?」妹がコーヒーを淹れながら聞く。


 「当たり前だ。澪のこと、もっと教えてくれ」


 妹がカップを持ってテーブルに戻る。「教えるより、見せた方が早いかも」


 「見せる?」


 「お兄と一緒に書きたい。澪を、もう一度呼び出そう」妹が微笑む。


 心臓がドクンと跳ねる。「澪を呼び出す? どういう意味だ?」


 「文字通りだよ。お兄と私で書けば、澪が戻ってくる。創作で」


 創作で。その言葉が、何度も繰り返される。


 「わかった。やってみよう」


 妹の目が、輝く。「本当? じゃあ、今夜、お兄の部屋で」




 夜。


 俺の部屋。ノートパソコンを開き、新しいドキュメントを作成する。妹が俺の隣に座る。距離が近い。彼女の体温が伝わってくる。


 「じゃあ、始めよっか」妹が画面を見つめる。「タイトルは?」


 「『めんどくさくて、可愛い君の真実』」


 「いいね」妹が微笑む。「じゃあ、最初のシーン。ヒロインが主人公の部屋を訪ねる。夜、雨が降っている」


 雨。またあのモチーフだ。


 「ヒロインの名前は?」


 「澪」妹が囁く。「めんどくさくて、可愛い澪」


 心臓がバクバクと跳ねる。指がキーボードに触れると──


 妹の指が、ふわりと重なる。温かい。柔らかい。


 「めんどくさい……でも、お兄のためなら」妹が小さく呟く。


 その一言が、胸に刺さる。


 「雨の夜、澪が部屋を訪ねてくる。髪が濡れている。タオルを渡す。距離が近い」


 「いいね。続けて」妹の声が、耳元で囁く。


 でも、その声は──澪の声に聞こえる。


 「澪が、微笑む。『作者さん、書こうよ』。その声が、甘く溶ける」


 「完璧」妹が言う。でもその声は、完全に澪の声だ。


 妹の吐息が、首筋を這うように近づく。温かい。甘い。


 顔を見る。妹の顔が──澪の顔に見える。眠たげな目。黒髪。めんどくさそうな笑顔。


 「沙羅……?」


 「何?」妹が首を傾げる。その仕草が、澪そのものだ。


 「お前、今──」


 「今、何?」妹が微笑む。「お兄、集中して。もっと書こうよ」


 もっと書こうよ。澪の台詞だ。


 俺は混乱しながらも、書き続ける。妹が澪の台詞を囁き、俺がそれを文字にする。二人の共同執筆。創作と現実の境界が、溶けていく。




 それから、どれくらい経ったか。時計を見ると、午前二時を回っている。


 画面には、3,500文字の物語が完成している。『めんどくさくて、可愛い君の真実』──澪と主人公の、境界を溶かす物語。


 「完成だね」妹が微笑む。その笑顔が、澪の笑顔だ。


 「沙羅、お前──」


 スマホが震える。DMのベル。送信者:mio_sigh_real。


 心臓が止まる。「澪……?」


 妹が画面を覗き込む。「開いてみて」


 DMを開く。


 『作者さん、私、まだいるよ。妹さんと一緒に書こうよ』


 手が震える。「これ、お前が送ってるのか?」


 妹が首を振る。「違うよ。これは、澪だよ」


 「でも、澪のアカウントは消えたはずだ」


 「消えてない。お兄の中に、ずっといるから」妹が囁く。「お兄が書き続ける限り、澪は存在し続ける」


 お兄の中に。その言葉の意味が、少しずつわかり始めている。


 「澪は、俺の創作の一部なのか?」


 「そう。でも、それだけじゃない」妹が俺を見つめる。「澪は、お兄の無意識が創り出したペルソナ。お兄は、自分の中の『めんどくさくて可愛い』部分を、澪として外在化させた」


 無意識。ペルソナ。外在化。


 「つまり、澪は──」


 「お兄自身だよ」妹が微笑む。「私は、お兄の無意識を演じることで、お兄を助けた。お兄が書けるように」


 頭が混乱する。「お前が、澪を演じていた?」


 「そう。オンラインのDMも、部屋での実演も、全部私」妹が立ち上がる。「でもね、お兄。私が演じたのは、お兄の中にいる澪。だから、澪は私でもあり、お兄でもある」


 私でもあり、お兄でもある。


 「じゃあ、澪の部屋は? あの空っぽの部屋は?」


 「私が短期で借りてた。お兄に会うために」妹が窓の外を見る。「壁のプリントも、全部私が貼った。お兄の原稿を、赤ペンで添削して」


 全部、妹が仕組んだことだった。


 「なぜ、そこまで?」


 妹が振り返る。その目が、真剣だ。「お兄を、書けない自分から解放したかった。お兄と、一緒に書きたかった」


 その言葉が、胸に刺さる。




 妹が部屋を出ようとする。ドアの前で振り返る。


 「お兄、澪は消えてない。お兄が書き続ける限り、ずっといる。だから──」


 妹が微笑む。その笑顔が、澪の笑顔に重なる。


 「もっと書こうよ。もっと深く、残響を共有しようよ」


 澪の台詞。妹の声で。


 ドアが閉まる。俺は一人、部屋に残される。


 スマホを見る。澪からのDM。


 『作者さん、次は三人で書こうよ。私と、妹さんと、作者さんで』


 三人で。


 澪と妹と俺。三つ巴の創作。


 返信を打つ。「わかった。三人で書こう」


 即返事。


 『やった! 楽しみ♪ クックック』


 クックック。妹の笑い方。澪の笑い方。


 もう、区別がつかない。


 でも、それでいい。


 境界が溶けている。創作と現実、澪と妹、そして俺自身。全てが混じり合っている。


 ノートを開く。新しいページに、書く。


 「妹の告白。澪は、妹が演じていた。でも、澪は俺の無意識でもある」


 「三つ巴の創作が、始まる」


 「境界が、完全に溶けていく」


 「でも、俺は書き続ける」


 「この渇きを、満たすために」


 ペンを置く。窓の外で、雨が降っている。


 雨の匂いが、部屋に流れ込む。澪の匂い。妹の匂い。そして、俺自身の匂い。三つの匂いが混じり合い、一つになっていく。


 境界が、完全に溶けている。


 俺は、キーボードに向かう。指が動き始める。


 『めんどくさくて、可愛い君の真実』を、投稿する。


 画面が切り替わる。「投稿完了」の文字。


 通知が、すぐに届く。コメントが、殺到し始める。


 「作者さん、澪ちゃん戻ってきた!」「これ、実話?」「妹さんも出てきた!」


 読者は、全てを物語だと思っている。でも、これは現実だ。俺の現実。


 そして──画面の向こうで、澪が息をしたような気がした。


(続く)

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