霧の街のコル~勘当令嬢、イチから始める理想郷~

れあ

1話:勘当令嬢、グランツベルを出る

 グランツベル王国の城内――大広間は今夜に限っていつになく眩しかった。


 王国主催の晩餐会とあって、室内を鮮やかに灯す燭台の光が、机に並べられたご馳走をきらきらと照らし出す。


 香ばしい匂いを放つ料理は、国中から集まった貴婦人やご令嬢たちを、これでもかと言わんばかりに歓迎していた。


 そんな中、私は少し遅れて会場に足を踏み入れた。


「ごきげんよう」


 足首を覆うほど、長いドレスの裾を手で持って令嬢たちに形だけの挨拶を済ませる。

 私の声に、近くの彼女たちも微笑みを浮かべて挨拶を返してきた。


 そのまま会場の隅っこに移動して考え込む。


(あぁ、帰りたい……) 


 礼儀作法の先生に、何度も何度も叩き込まれた完璧なお辞儀。

 それをしている間だけ、私が私じゃなくなる瞬間が、嫌いだ。


 会場内は、自然といくつものグループに分かれていた。


 優雅に奏でられるピアノの前では、貴婦人たちが一点の濁りもない白ワインを細い指で支え、お上品に笑い合っている。

 少し離れたところでは、令嬢たちが自分たちの世界を作り上げていた。


 次にダンスホールの近くに視線を移すと、そこには上流階級の人たちが集まっていた。

 パパ――フリッカ公爵は、彼らと共にいかにも難しそうな政治の話をしていた。

 そのすぐ傍で、エルマニ兄様も口角を上げて、真剣に相槌を打っていた。


 私はこの煌びやかに飾られた空間に居心地の悪さを覚えながら、皿に盛ったローストビーフにフォークを突き立てた。

 それを勢いよく口に運び、むしゃむしゃと食べ進める。


 ふと顔を上げると、兄様と目が合った。


 兄様は少し眉を下げ、心配そうにこちらを見つめて、それから紳士たちの輪を離れてこちらへ歩いてくる。


「コル。またそんな隅っこで食べて」


 近くに来た兄様が、呆れた声色で言った。


「仕方ないじゃない。話が合わないし」

「また父上に言われるぞ。

 どうして落ち着きがないんだ、フリッカ家の名を汚すんじゃないって」

「それはパパの世間体でしょ。私には関係ないもん」


 別の料理を手に取り、それを一心不乱にかき込む。


「それより、早く家に帰ってスパナ持ちたい」


 兄様は私の発言に、さらに深く頭を抱えた。



 やっと、この長く退屈な晩餐会がお開きとなった。

 私は再び形だけの挨拶を済ませ、脇目も振らずに広間を飛び出した。


 頭の中は、もはや帰ることでいっぱいだった。


 城の前にいくつか止まっていた馬車に乗り込んだ。

 馬車に取り付けられた自動仕掛け人形――馬型オートマトンに行き先を伝えると、馬車はゆっくりと動き出した。


 ここ数十年の急速な発展のおかげで、馬車に御者ぎょしゃが乗る必要はなくなった。

 運転手という職業は、今や昔話。これを昔は人が操っていたなんて、とても信じられない。


 カラカラと車輪が心地よい音を立てる。

 馬車に揺られながら、窓の外を眺めた。


 舗装された石畳の歩道に並ぶ、いくつもの街灯の光。

 プシューッ、と音を立てて、列車の小さな煙突から白い煙が上がる。

 さらに奥には工場地帯が顔を見せて、そこから立ち上る濃い煙が夜空に溶けていた。

 空にはスクリューのついた飛行船が優雅に空を飛んでいる。

 時折鼻をかすめるツンとした油の匂いが、私をより高揚させた。


 ――あんな煌びやかな場所より、断然こちらのほうが好きだ。


 目的地に着いて、馬の側面に触れる。無機質な案内の音声が流れ、本人確認を済ますと料金が払われたことを告げた。馬は一度だけいなないて、再び客を探して走り出した。



 私は心を躍らせながら家へと駆けこむ。

 ドタドタ――そんなせわしない足音に、使用人たちは心底驚いていたが、そんなことはどうでもよかった。



 自分の部屋でドレスをかなぐり捨てる。もう窮屈なコルセットとはおさらばだ。

 クローゼットから着替えを取り出した。私だけの、特別仕様の一着――。亡き母からもらった、大切な……。


 その服に身を包む。

 ゴーグルつきの帽子よし。火に強い特殊加工が施されたジャケットに手袋よし!

 底の高いヒールを床に放り出し、茶色いショートブーツを履いて……完璧だ。


 いつものエンジニアスタイルに満足し、部屋から飛び出て地下の入り口を駆け下りる。

 風のように去っていく私を前に、使用人は目を丸くさせていた。



 工房には、人が二人は入ってしまいそうな大きなかまどが据えられている。

 作業用の机の下には、オートマトンを動かすためのコアがたくさん積まれている。これがなければ、オートマトンはただの人形。大事な大事な核だ。


 本の中の登場人物が言っていた。

 ――“機械はね、人の手で何度でも立ち上がれるの”。


 それから、見よう見まねで機械を組み立てるようになった。

 完成したのが嬉しくて、ママに見せるとぎゅーって抱きついて褒めてくれた。

 だから私は、この時間が好き。


 金床の前でどっしりと腰を据え、スパナを手に未完成品の組み立てを始めた。


 *


 どれくらい経っただろうか。

 この工房に時計はない。物を作るときくらいは、時を忘れて没頭したいから。



 ……少し休憩しよう。そう思った時、ドシドシと太い足音が聞こえる。

 誰かが地下に降りてきていた。ゆっくりとその方向へふりかえる。


「って……ゲッ」

「げっ、とはなんだ」


 野太い声が私の心を震わせる。

 鋭い眼光とカッチリとした体躯の合わせ技で、ビビらない人はいるのだろうか。

 わかりやすく眉間にしわをよせている。自慢の口髭を触りながら、パパが口を開いた。


「あれだけ、晩餐会では慎ましくいるように言っただろう」

「し、し、知らないもん!」


 珍しいものが沢山あるからと、城下の工房に勝手に近づこうとして説教されたばかりなのを思い出す。

 

「もん、じゃない。お前はどうして、こう落ち着きがない。フリッカ家の名を――」


 パパはそこで一度言葉を切り、少しだけ目を伏せた。


「母さんが生きていれば、もう少し淑やかに……いや、何でもない」


 その一言で、胸の奥がちくりと痛む。


(またママの話……)


 言い返したい言葉は喉まで上がってきたけれど、油まみれの手をぎゅっと握って飲み込んだ。


「とにかく、お前もフリッカ家の人間だ。いずれ結婚し、他の貴族の名を継ぐことになると、忘れるんじゃないぞ」

「……政略通りの結婚なんて、しないもん」

「このことは、しっかりとエルマニにも伝えさせてもらうからな」


 言いながら、パパは地下室を後にした。

 今日は気分が冷めた。もう、寝よう。


 ――重い気分を抱え、私も地下室を後にした。



 ――翌朝。


 足りない部品を買い足すために、私は街へと繰り出していた。

 これで私だけのオートマトンを作るんだ!


 誰にも邪魔をされないこの時が最高だ。街の機械たちが奏でる心地よい音。

 こんなに安らかでいられる時間はない。


「ん……?」


 ふと脇に目を逸らす。

 どこか異国の服のような物を着こんだ人が、挙動不審に通りを縫うように走っていた。

 フードを目深に被り、表情は見えない。けれど、あの様子は間違いなく、何か悪さを企んでいる感じだった。


 この悪い人を捕まえたら、褒章がもらえる⁉ 

 パパにも少しは認めてもらえるかも!

 ピンとひらめいて、興味の赴くままに追いかける。


 ――これが、甘い考えだなんて、この時の私は思いもしなかった。



(怪しい……)


 その人物は、貴族や軍人しか出入りしないはずの施設の門の前で、周囲の目を気にしていた。

 そして、さっと中へ消えていく。


(あれってたしか、軍の工房だったよね……?)


 疑問に首をかしげて、門の陰から様子をうかがう。

 中にはびっしりとオートマトンによる監視の目がある。警備をつけなくとも、そう簡単に悪さはできない……はずだ。

 じいっと倉庫に目を凝らし、犯人を逃がすまいと集中する。


 と、それほど時間も経たないうちに、フードの男が出てきた。すると、にぃっと不気味にほくそ笑んで、倉庫に背を向ける。


 (何をしていたのか知らないけど……)

 今だッ!


 地面を蹴るようにして一歩踏み出した、その瞬間だった。

 男が少し離れたところから倉庫に手をかざす。

 ピカッ。周囲に一瞬の閃光が走った。



 ――ドゴオオオオォッ‼



 立っていられないほど地面が揺れ、鼓膜が破けそうになる轟音に、耳を塞いでその場に伏せた。

 熱い。熱い熱い……風にあおられた熱が一気に吹きつけてきて、ようやく我に返る。


「え……」


 ゴオゴオと音を立て、瞬く間に倉庫を飲み込んでいく火の手。

 やがて、フードを被った人物は私の姿に気づき、鳥型オートマトンに飛び乗ると、瞬時に空へと消えていった。


 「嘘……」

 思わず、声がこぼれた。待て――その一言すら絞り出せずに、恐怖に立ちすくむ。



 刹那、私は怒号を浴びて、腕ごと身体を乱暴に拘束された。

 ハッと我に返り、小さく振り返る。

 ――街の治安維持局、近衛兵長。ディン・スプレット。


「ここで何をしてるんだ!」


 その荒げた声に、かすれた声で「違う」とこぼす。すると、ディン兵長は私の顔をまじまじと見て言った。


「あなたは……フリッカ家の」


 家名が私を締めつける。


「……話は、維持局で聞こう」



 ――それからは、大変だった。


 パパにも話が通り、私の行動が不審だとまくし立てられ、迎えが来るまで延々と怒号を浴びた。

 『あなたがやったんだろう』『オートマトンの目を搔いくぐって破壊できるのは、出入りを許可された貴族と王族だけだ』


 ……そんな言葉をたくさん聞いたけれど、今の私には何一つ届くことはなかった。



 私はパパの部屋で涙をこらえていた。


「私じゃない……信じて、信じてよッ‼」


 そう叫ぶも、パパは小さくため息をつくばかりで何も言わなかった。

 嘘でもよかった。お前のことを信じている……そのたった一言でよかったのに。


「なんで、何も言ってくれないの?」


 不安げに伝える。パパはそれでも、何も反応を返さない。

 静まり返った部屋に響いた、ノックの音。パパが返事をするとともに、その扉は開かれた。

 兄様がお辞儀を返し、部屋へ入ってくる。どこかへ行っていたようだ。

 その姿を見るやいなや、パパも声色を変えた。まるで、私のことなんて興味すらないように。


「父上、ただいま帰りました」

「おお、エルマニ。どうだった」


 パパの含みのある言葉に、兄様は耳打ちで報告した。

 私には聞こえないように。その言葉を聞いて再び嘆息をつくと、ついに私に向けての言葉が放たれた。


「コル」

「……はい」

「お前を、勘当することとなった」


 ぴくりと身体がこわばる。どこかで私は、パパに期待していたのだと思う。だから、つい声を荒げた。


「それって、もうフリッカ家の敷居をまたぐことは許されないと、そういうおつもりですよね!」


 パパが目を伏せて頷いた。

 どうして、こうなったのだろう。自分に何度も自問自答する。


「私は言った……普段の素行を見直すようにと、何度も。そう……母さんのように」


 瞬間、私の中で何かがはじけた。


「ママは関係ないッ‼」


 拳を握りしめ、咄嗟に言い返した。

 ママは確かに、常に慎ましく……身も心も綺麗で。病弱ながらに公爵夫人として立派な最期だったことを知っている。


 ――でも。


「私は私だもん‼ なんで‼

 パパだけは私の味方だと思ったのに‼」

「……コル」


 震えながら、うまく回らない乾いた唇で、言葉を振り絞った。

 ……これが最後だから。


「パパなんて、大嫌いッ‼」


 バンッ!

 扉を破るように、乱暴に飛び出した。




 走った。とにかくどこでもいい。パパがいないところへ行きたい……。


 そう思ったのに、気づけば廊下で足を止めていた。

 私はなんて、バカなんだろう。後悔しても、何もかもが遅いのに。わかっているのに。


 じんわりと浮かんだ涙が、頬を伝って流れた。

 悔しい……悔しいよ。

 誰にも信じてもらえないことが、こんなに……。


「コル」


 追いかけてきた兄様が、言葉をこぼす。

 最後の、拠り所だった……。

 けれど兄様から私に突きつけられた事実は、残酷なものだった。


「……先ほど、国王陛下より王命を……キミの処遇を仰せつかってきた」

「処遇……」

「霧の街、ネーベルフォートの管理を任せる、とのことだ」


 ――ネーベルフォート。話だけは聞いたことがある。

 一寸先も見えないほどの濃霧がかかっていて、まるで人々に全貌を知られまいと拒んでいるような土地だ。

 霧は毒素を含んでおり、それも含めて未だ踏破されたことはない。

 そのため、政府も立ち入り禁止区域に指定し、事実上見捨てられている場所だ。


 そんな場所にほっぽられるなんて、死を言い渡されているようなもの。

 ……でも、それでいいのかもしれない。


「ごめんな、コル。護ってやれなくて……僕は、信じているよ。コルのこと……」

「ううん、いいの」


 私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を必死で拭い、兄様にだけは太陽のような笑みを作った。


「いいの、私、ワクワクしてるんだから」

「ワクワク……?」

「うん」


 詰まりそうになる声をひねって、一言、一言を振り絞る。


「だって、前人未踏だよ⁉ こんなにワクワクすることないじゃない!

 私だけの居心地のいい場所が作れるんだ! 誰にも邪魔されないコル王国!」

「コル、無理しないで」

「無理してないよ!」


 兄様は、私のことを空元気だと疑っていた。

 ……気持ちだけで充分。兄様は私の味方でいてくれるんだって、わかっただけで収穫だ。


「立派な街になったら、兄様も遊びに来てね! 絶対だよ!」


 精一杯の元気で、そう言った。

 兄様は最後に告げた。『せめて列車まで見送らせて』と。



 私は母の形見のエンジニア服に身を包み、大きなリュックを背負って列車を待つ。

 毎晩ためていた非常食に、いつでも困らないよう最低限の工具。

 あとは機械製作用のコアを持っていけるだけ、リュックに詰め込んだ。


 最後なのに、何も言葉を交わせなかった。

 なのに――別れの時間はとても短く感じた。


 プシュッ――。音を立てて列車が止まる。

 私はゆっくりと、足を踏み込んだ。


「コル」

「エルマニ兄様。それでは……」



「ごきげんよう」

 そう言って、高貴な者の挨拶を返す。列車が出発するまでポーズをとり続けた。



 『コル――ッ‼』

 兄様の声が遠くに聞こえた。

 遠く消えゆく兄様の姿……再び流れそうな涙を拭った。



 もう泣いても、誰も助けてはくれないんだ。これからは――一人で頑張らないと。

 そう、旅立ちの決意を固めた。


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