死者狩りに、銭は舞う。

占路玄

第1話 〈池女〉

 普通になろうとしてなりきれていない、そんな印象の少女だった。


 ボリュームのある黒髪のセミロング。ジャージパンツにパーカー、その上に薄手のジャンパーを羽織っている。

 外見は悪くない。しかし、それを上回る、少女の纏う独特のオーラが、人を寄せ付けまいとしているようだった。


 そんなちょっと変わった高校生、鞠村まりむら知図ちずは洗面台でコンタクトレンズと格闘していた。


 このコンタクトレンズを使うようになってから、一年は経過しようとしている。そろそろ慣れるべきなのだが、目に異物を入れるという行為に対して、どうしても抵抗感が湧いてくる。


「こんなことで時間食ってる暇は無いのにな……」


 そんなことを呟きつつ、ようやく装着が完了した。


 小走りで居間に戻ると、コンセントから直方体の充電池を取り外し、机上のライフルを手に取ると、弾倉にカチャッと収納する。

 鞠村は、ライフルと言われると全身黒塗りのものしか思い浮かばないほどの素人だが、このライフルはそうではなかった。全体的に木目調で、引き金や銃口などの大事そうな部分が金属製になっている。


 そして、ライフルを適当な袋に突っ込むと、肩にかけて玄関へ。玄関から自転車のカギを取り、外に出て、アパートの駐輪場へと向かう。


 自転車は高校生の頃から愛用している、黒を基調としたものだ。

 この地域では、不思議なことに、とあるメーカーの自転車が微生物のように蔓延っている。特に自転車にこだわりが無い鞠村も、例に漏れず、そのメーカーの自転車に跨った。目的地に向けてゆったりと漕ぎ出す。


 腕時計を確認すると、時刻は深夜十二時。世間一般は寝静まる時間だ。


 信号が赤になった。

 深夜で人通りは無く、信号無視をしても咎める者はいない。だがそれでは、負けた気がするので律義に止まる。


 川沿いを北上していくと、お寺が近づいてきた。お寺付近に到着する前に右折し、環状線を南下していく。

 辺りは真っ暗だ。店も一切合切閉まっている。


「はあ……ねむ……」


 なぜこんなことになったのだろうか。考えてかけて、すぐやめた。今更過去のことを考えたところで変わらない。


 そうこうしているうちに目的地に到着した。


 池だ。


 真っ暗で池の様子を、はっきり視認することはできない。スマホのマップを開き、航空写真を確認する。


 そこまで大きくはない。大きめのプールくらいのサイズで、上から見ると凹型。くぼみ側に木々が、反対側に道路が面している。暗くてよく見えないためか、池の部分だけぽっかりと穴が開いたように何も無くて、少し不気味だ。


 適当なところに自転車を放置し、探索を始める。取り敢えず、周辺道路を歩いてみることにした。


 スマホのライトをつけ、池の方や背後の木々を照らしてみる。特に何も起こらない。

 インターネットで検索をしてはみたが、心霊スポットなどではないらしい。近くに霊園があるため、霊がうろうろしてはいるものの、お目当ての奴ではない。


 スマホの、白黒の勾玉を組み合わせたような図柄が入ったアイコンをタップ。アプリを開く。下部の『指名手配』と表記されたアイコンをタップし、一覧を表示。お目当ての悪霊の詳細を確認する。


 曰く――


・女性の声が聞こえる。

・何かに足首を掴まれる。

・池に白骨遺体が沈んでいる。


 らしい。


 狩りのセオリーは、霊のテリトリーに入らないことだ。侵入した瞬間、霊現象に見舞われ即死、なんていうケースも無い訳ではない。そのため、遠方から観察して、距離を保った上で狙撃する。霊現象に遭遇しないことが最善手だ。


 とはいえ、今回は近づかなければ何も起こらないのかもしれない。


 仕方がない。鞠村は腹を括ることにした。


 袋からライフルを取り出し、両手に抱える。

 ガードレールを越え、池へ向かう。スマホのライトで足元を照らしながら、一歩一歩ゆっくり歩みを進める。


 そして、池の手前にたどり着いた。


 恐る恐る、池を覗き込んでみる。


 何も起きない。


 極ありふれた、ただの池だった。


 試しに銃口を真っ黒な水面に突きつけてみる。


 やっぱり、何も起きない。


 おかしい。


 『システム』の情報が間違いとは思えない。となると、出現に何かしらの条件があるのかもしれない。特定の日にち、特定の時間、特定の天気、特定の人間。霊は物理法則とは違う。気まぐれなのだ。


 このまま三十分間ほど待っても何も起きなければ、本日は諦めよう。


 そう思ったときだった。


 足元の感覚が変わった。


 掴まれていた。


 不思議な感触だった。硬くもなければ、柔らかくもない。全身に悪寒が走るのを感じる。


 慌てて足元に目を向ける。


 白い。


 手だった。


 迷わず弾丸を発射した。発砲音は無い。故障とかではなく、そういう仕様だ。


 着弾すると、雪女を想起させる真っ白な手が散り散りになった。


 安心した束の間である。


 池から何かが飛び出してきた。


「あぶねっ⁈」


 咄嗟に後ろに仰け反る。その勢いのまま、後退した。


 白い何かが、池の中から一本だけ、伸びてくる。


 人の手だ。だが、異常に長く、肘も手首もない。


 すると、白い手が伸びるのが止まる。


 次の瞬間、池全体がうごめいた。


 無数の白い手が水面を突き破る。

 ライブ会場のように――いや、それよりも、もっと静かで、もっと不気味だ。


 その中心、手の無い場所からそれは現れた。


 長い黒髪。白黒のような肌。滲む輪郭。


 まるで、昔のテレビの中から抜け出してきたかのような女が、池の上に立っていた。


 生気が宿って無さそうな真っ黒な瞳。シャツを着てスカートをはいているようにも見える。

 全身からは白いモヤが出ており、異様な空気が漂っている。


 その実体のない女は池に直立しているような姿勢でこちらをじっと見ている。どうやら、完全にやる気のようだ。


「……池にいるから〈池女〉ってこと? 随分、安直だよね」


 スマホをポケットに入れる。右手でグリップ、左手で前方を掴み、ライフルのお尻を頬と肩で支え、銃口をゆっくりと、〈池女〉に向ける。


 それに呼応するように、〈池女〉は無数の白い手を放ってくる。


 まるで千手観音に襲われているようなそんな気分になった。

 こんな状況の中、そんなことを考えていたら、無数の白い手が一斉に襲い掛かってくる。


 頭を狙ってきた腕をしゃがんで回避する。その行動を待ち構えていたように向かってきた掌の中心を、弾丸を以って撃ち抜く。あるいは、鞠村の足元に飛び込んできた攻撃を跳躍により飛び越え、そのまま地面に向けて引き金を引く。


 さながら弾幕ゲームが如く、華麗に対処していく。


 どうやら〈池女〉も痺れを切らしたらしい。無数の白い手が全方向から鞠村を狙ってぶつかってくる。


 前方から。後方から。横から。空から。地面から。

 避けることはできない。逃げ場は無い。


 鞠村は思考する。


 普通、霊に物理的干渉はできない。しかし、〈池女〉は鞠村の足首を掴んできた。それに一連の攻撃は、手で触れることではなく、つかんだ上で池に引きずり込むことが目的なのだろう。そうでなければ、最初の時点で鞠村はゲームオーバーになっているはずだ。


 それなら。


 〈池女〉の全方向攻撃が到達する前に。


 前方の手を蹴散らした。そして、後方から追いかけてくる手に追いつかれないよう、全速力で走る。

 ライフルの銃口を〈池女〉に向けたまま。


 間髪入れず、またもや前方から、腕の集団が侵攻してくる。

 鞠村は怯むことなく、今度はライフルで殴りつけた。


 そして、その間隙を縫うように、〈池女〉目掛けて発砲する。

 複数の弾丸が、〈池女〉の頭部に直撃した。


「あああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーー」


 〈池女〉の悲鳴が辺りに響き渡る。傷口からは粒子のようなものがあふれ出ていた。無数の手の動きは停止した。その粒子を外に出さまいと必死に押さえている。

 先ほどまで無感情だった〈池女〉の瞳には、明らかに怒りと憎しみの情が籠っていた。


「悪いね。こっちも命がかかってんだ」


 白い手の侵攻が収まったことで、鞠村はゆっくりと〈池心中〉に銃口を向ける。

 

 慎重に狙いを定め。


 引き金を引く。


 体のど真ん中に。


 虫の鳴き声しか響かない静寂な闇夜に〈池女〉の悲鳴が再度が轟いた。


「お前も……私の……ように……私のように…………あのとき、あいつのせいであいつのせいであの男のせいで私は私はわた――」


 途中で〈池女〉の声が遮断された。


 喉に五百円玉くらいの穴が空いたからだった。


 鞠村のライフルが〈池女〉の喉に向いている。


 人間の姿をした霊は、人間の体と同じ機構を有している。よって、喉が傷つけば、生者同様に声が出なくなる。それを知っての行動だった。


「回想とか入る流れだったかな? 生憎と、霊の過去とかには興味が無いんだ。私が興味のあるのは――」


 左腕。右腕。腹。右足。左足。

 立て続けに穴が空いていく。体のあちこちから粒子が漏出する。


「お金だけなんだよね」


 そして。


 〈池女〉は、その場で霧散した。同時に池から生えていた無数の白い手も消えていく。

 その場には何も残らなかった。

 まるで、初めから何事も無かったかのように。


 鞠村は大きくため息を吐いた。


「さすがにちょっと後味悪いかな……」


 〈池女〉は消える直前、泣いていたような気もした。罪悪感のようなものが残ったので、一応手を合わせて祈っておく。


「よし」


 ポケットからスマホを取り出し、先ほど使用したアプリをもう一度開く。

 そこにはATMで電子決済サービスの残高をチャージしたときのように、『プラス五万円』と表示されている。

 

 その内、五割引かれるから、残ったのは二万五千円。


「命を懸けて戦った結果が、時給千円で二十五時間働いたのと同じってことかな……」


 鞠村は天を仰ぐ。


「いや、割に合わんでしょ……」


 もう一度大きくため息を吐く。


 こうして、今夜も鞠村知図は、霊を狩る。

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