悪名高い令嬢に転生したけど、誤解がひどすぎて今日も生きづらい

月城リア

第1話悪名高い令嬢に転生してしまった件

――ふかふか。


 最初にそう思った。


 体の下にあるのは、沈み込むように柔らかい何か。鼻をくすぐるのは甘い花の香り。遠くで鳥のさえずりまで聞こえる。


「……え? ここどこ」


 半分寝ぼけた頭でつぶやいて、ゆっくりと目を開けた瞬間、私は固まった。


 視界いっぱいに広がるのは、白いレースと金色の刺繍で飾られた天蓋。天井には重たそうなシャンデリア。壁は絵画と古そうな本棚。どこを見ても「お嬢様のお部屋です」と自己主張してくる。


 いやいやいや、待って。

 私の部屋、六畳だったよね? 机と安いチェストと、布団オンリーのあの生活感たっぷり空間はどこ行った。


 上体を起こそうとして、そこでまた固まる。


 腕が、細い。白い。

 しかも、ひらひらのレース付きの長袖パジャマを着ている。


「……なにこれ」


 手のひらをじっと見つめる。どう見ても子どもの手だ。中学生どころか小学生くらい。指を握ったり開いたりしてみても、これは紛れもなく私の動きだ。


 心臓がバクバクし始めたところで、部屋の隅に立てかけてある姿見が目に入る。


 嫌な予感しかしない。

 でも確認しないと落ち着かない。私はベッドから降りると、よろよろと姿見の前まで歩いた。


 そこに映っていたのは――。


「……え、誰」


 長い金髪が、ゆるく波打って腰のあたりまで流れている。目は澄んだ氷のようなライトブルー。肌は透けそうなくらい白くて、顔立ちは人形みたいに整っている。


 どう見ても、ヨーロッパ風ファンタジー世界の美少女。


 そして、私はその美少女と目が合った。


「動いた……ってことは、これ、私?」


 右手を上げれば、鏡の中の彼女も右手を上げる。変顔をしてみても、同じ顔がゆがむ。

 はい、確定。これが今の私。


 そこで、頭の奥を電流みたいなものが駆け抜けた。


 ――リディア・フェルンハイト公爵令嬢。

 氷属性最強の天才魔法使い。

 冷酷非道で有名な『氷の魔女』。

 最終的に断罪されて国外追放になる、悪役令嬢ポジション。


 どさりと膝から崩れ落ちた。


「ちょ、ちょっと待って待って待って!!」


 パニックで声を張り上げた途端、ばたばたと足音が近づいてきて、勢いよくドアが開く。


「お、お嬢様っ!? な、何事でございますか!」


「また怒鳴り声が……! だ、誰を処刑なさるおつもりで……!」


 メイド服の女性が二人、青ざめた顔で飛び込んできた。私を見るなり、ビクリと肩を震わせる。


 え、今の叫び声だけでそんな反応?


「い、いえ、べつに誰も処刑しないからね!? ちょっとびっくりしただけで!」


 慌てて手を振りながら否定したけれど、メイドたちの顔色はさらに悪くなる。


「び、びっくりしただけ、であのようなご声音を……」


「さすがでございますお嬢様……怒りを抑えていらっしゃるのですね……」


 なぜそう解釈した。


 私は思わず頭を抱えたくなったけれど、その前に重要な事実を整理する。


 ここは、前世で私が遊び倒した乙女ゲーム『銀氷のロマネスク』の世界。

 そして私は、その中で悪名高い悪役令嬢として登場する、リディア・フェルンハイト本人。


 ゲームでは、ヒロインをいじめ倒し、婚約者である第一王子に断罪され、最後は魔力暴走を起こした挙げ句、国外追放になる残念ポジションだ。


「うそでしょ……なんでよりによってここなの……」


 思わず漏れたため息を、メイドたちはまた別の意味に受け取ったらしい。


「お、お嬢様……そんなにご不満が……」


「やはり、今の平穏な日々では物足りないと……」


「物騒な欲求がある前提で話を進めないで!」


 もう泣きたい。

 なんでこんなに会話が噛み合わないのか。


 でも、泣いてる場合じゃない。

 このままゲーム通りに進めば、私は数年後、断罪イベントまっしぐらなのだ。


(絶対に嫌だよ、そんな未来)


 前世では、平凡な会社員として淡々と生きて、残業帰りにトラックに突っ込まれて終わった人生だった。

 ようやくファンタジー世界でやり直せるなら、今度こそ穏やかに平和に生きてみたい。


「……あのさ」


 できるだけ柔らかい声で、私は目の前のメイドたちに話しかける。


「今日からは、なるべく静かに過ごしたいの。人を怒鳴ったりとか、怖がらせたりとか、なるべく減らしたいっていうか」


 心の底からの本音だ。

 私はほんとは、誰かをいじめたいわけでも、冷酷でいたいわけでもない。ただ、普通に優しくしていたいだけ。


 けれど、メイドたちはまたしても硬直した。


「……なるべく」


「“減らしたい”……」


 なぜピンポイントでそこを拾う。


「ち、違う違う、そうじゃなくて! ぜんぶ、やめたい、のほう!」


 慌てて言い直したけれど、時すでに遅しという顔をされる。

 うん、これは相当根深い誤解が積み上がっているやつだ。


 と、そのとき。


「おーい、リディア。朝から騒がしいな。またメイドをいじめてるのか?」


 軽い声がして、今度は控えめに扉がノックされた。


 振り向くと、落ち着いた紺色の瞳をした少年がドアの前に立っていた。少し寝癖のついた茶色の髪、よく着込んだらしいシンプルなシャツ。

 メイドたちとは違って、私を見てもまったく怯える様子がない。


「アレン様……!」


 メイドの一人がホッとしたように名前を呼ぶ。

 そうだ、この子の顔、知ってる。


 アレン・クラウス。

 子爵家の息子で、ゲーム本編ではモブ寄りポジションのはずの少年。

 でも、幼少期のリディアの唯一の友達であり、数少ないツッコミ役。


「お前なぁ……朝から絶叫するなよ。屋敷が揺れたぞ」


「ごめん、ほんとに色々あってさ……」


 思わず素で謝ってしまうと、アレンは目を丸くした。

 そして、じっと私の顔を見つめる。


「……お前、今日なんか違うな」


「え?」


「いつもなら『誰が悪いか教えてあげようかしら?』とか言うだろ。今の口調、妙に普通だ」


「そんなこと言ってたの、前の私……」


 自分の過去の決め台詞のセンスに頭を抱えたくなる。

 どう考えても嫌われるタイプの台詞じゃない?


 アレンはため息をひとつつくと、私のすぐ近くまで歩いてきて、へにゃっと笑った。


「ま、いいけどさ。とりあえず今日、魔法の適性検査だろ。屋敷中が緊張してるから、あんまり騒ぐなよ」


「魔法……」


 その単語に、さっと血の気が引いた。


 ゲームのリディアは、氷属性の魔法の才能だけ、ぶっ壊れレベルで高かった。

 その圧倒的な魔力と制御の甘さが、最後の“魔力暴走→都市半壊エンド”に繋がるのだ。


(あれも破滅フラグのひとつなんだよね……)


 でも裏を返せば、ちゃんと制御できれば、ものすごい戦力になるということでもある。


 誤解されまくってる性格は今からでもなんとかするとして、魔法だけはきちんと扱えるようにならないと。


 私はぎゅっと拳を握りしめる。


「アレン」


「ん?」


「今日から、真面目に生きることにしたから」


「え、急に何の宣言?」


「誤解されないようにがんばるし、魔法もちゃんとコントロールする。だから――」


 そこで一拍置いて、私は真剣な目でアレンを見る。


「もしまた変な噂立ったりしたら、ちゃんと突っ込んで止めて」


「……ああ、そういうことか」


 アレンはちょっとだけ驚いたあと、ふっと笑って肩をすくめた。


「前からそうしてるつもりだったけどな。お前、すぐ顔が怖くなるから。放置すると被害者が増える」


「顔が怖いって言わないで」


 傷つく。


 でも、アレンがそうやっていつもそばにいてくれることだけが、この世界での唯一の救いかもしれない。


 私は深呼吸をひとつして、天蓋付きベッドを振り返る。

 今日からが、本当の意味での転生ライフのスタートだ。


「……よし。断罪エンドなんて、絶対に回避してやる」


 小さくそうつぶやいた私の声を、誰も本気にしてはいなかった。


 ――この時点では、まだ。

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